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事実は小説よりも奇なり
彼の逮捕は、各種メディアで一斉に取り上げられた。
ニュースで見たことのある光景
警察署から出てくるところを報道陣のカメラが構えている、アレだ。
テレビのニュース番組でも放送され
ネットニュースでも取り上げられた。
すぐにYou Tubeを上げる人が出てきて
まとめサイトも出来ていた。
ここでは詳細な内容は言えないけれど、衝撃的に伝わるような言葉が用いられていた。
本人から直接話を聞くことが出来ない人は、そういった報道の情報を100%本当のこととして受けるだろう。
勿論、今回のことは法に触れることだから逮捕となったのだから、そこを擁護するつもりはない。
だけれど、本人の口から語られた訳でもない、報道の内容のみを丸々鵜呑みにして、全てを判断するというのも違うのではないかなと思う。
どんなことでも、当事者にしかわからないこともある。
表面上に浮き彫りになっていることの
その奥の奥
がある
例えば、一人の少女がスーパーで菓子パンを盗んだとしよう。
盗んだことはいけないことだけど、何か事情があったのかな?
と考えないだろうか?
その少女に何故菓子パンを盗んだのか理由を聞くと、
親が帰ってこなくて、家に食べるものが何もなくて、お腹を空かせた弟がずっと泣いているから、何かを食べさせてあげたかった。
と聞いたらどうだろう?
物事には、なんでも、奥の奥というのがある。
他人にはわからないような奥の奥がある。
人が善悪正邪を判断することは出来ない。
それができるのは、神様の領分である。
色々と思うことは自由だけれど
自分の中の正しさを絶対だと振りかざして
人を裁くことは危険だと思っている。
だって、自分が知っていることは、ほんの一部に過ぎないかもしれないから。