Say good bye

このnoteにたまに出てくる極道紛いの叔母が急死した。
コントの様にバタバタと親から連絡があり、墓に関して俺が余計なことを言ったとから何とかで危篤の心配おってけぼりにやんややんやと言い合いになる。
半年前までバカバカ酒飲んでたのに。
息子である従兄弟は絶縁していて無視だという。

それでも、なんだか叔母らしい、バタバタとした、それでいて周りをやたらと巻き込む様な生き様だったと思う。
俺は久しぶりにフィジカルが弱っていたのだが、自転車で夜中に通夜に行った。
叔母の顔を見る。
この歳になると葬式慣れしてきて、通夜でみんなで啜り泣く様な事はない。
だけどそれは悲しくないからでは無く、急だったとしても叔母は自分の人生を生き切った自負があったから、自然とみんながそれを受け入れているのかもしれない。
最愛の息子は来てないけれど、一緒に過ごした時間は向こうに行っても永遠だろう。
弔い方は人それぞれだと思う。
その人と自分がどう関係していただとか、自分にとってどうだったのかとか考えて、悲しくて仕方ないなら寂しくて仕方ないなら、それを言葉にするのは自然だと思う。
例えそれがヘタクソだろうが、上手だろうが、大きく間違ってなければ自分の中で落ち着くまで弔っていいと思う。
土が乾き切るほど太陽がぎらついても雨は降るし、どんなに曇っている空でもいつかは晴れる。
その過程で大事なのは、その日が来るまでちゃんとやり過ごせるかどうかではないか。
俺は叔母が死んだ事で落ち込んだりはしない。
だけど叔母が生きてきた事を忘れたりはしない様に、時にやらかしても精一杯生きてきた事を肯定してやりたい。

叔母の遺言は母(俺のばあちゃん)と同じ墓に入れて欲しいという事で、それは元気な頃からずっと言っていた。

俺にとって、ばあちゃんはばあちゃんだった。おばあちゃん子ではあったが、普通に大正産まれの人って感じで、パワフルではあったが、とてつもない人格者だったとか、そういう印象はない。
俺は死ぬ間際に親父、あるいはお母さんと同じ墓に入れて欲しいと思うだろうか、とか、死際に何を考えるかとか、あまりよくわからなかった。

その数日前、HBK!さんと撮影をする。そのあとは2人でぶらっとした。
叔母の墓の話をした。
俺達の様な生き方をしていると、墓がどうのと考える事はなく「死んだ後の事なんでわからない」と俺達の意見は一致していた。
今、とにかく刺激的な何かを探して、ただカレーを食べるだけでも生きてることに意味を見出す、そんな感じだった。
だからこそ、俺たちは突然やってくる人の死、そして自分の死に動揺し、悲しみ、恐怖する。

俺のとても大事な友人にも不幸があり、全然連絡がつかない。どれだけ辛いのかもわからない。

それにプラスして体調も悪いので流石に元気がなくて、家に早めに帰って寝てたら何だかひとりぼっちの様な寂しい気持ちになった。
明日も、本当ならライブに行ったのに、急遽仕事になった。
不安になってくると今関係ない事まで不安になってきて、日本の経済の落ち込みやガザ地区やウクライナでの戦争がいつ終わるのかとかまで心配になってきた。
#Gazagenocideというハッシュタグが渦巻く俺のタイムライン。公正さを調べるために#Hamas terroristで調べるとアメリカの右派ばかりが出てくる。
70年前に、さらに言えば2000年前にジェノサイドされかけた民族が今、ジェノサイドをする側になろうとしているというのか。憎しみの連鎖はどこまで続くのか。
日本のGDPは4位に転落するという。
家電をSONYで揃えればバッチリな時代はもう終わっている。
君の周りにXperiaを使っている人は何人いるだろうか?

それでも、自分は仲間がいる。
今日はどこにも出なかったけど、楽しい日もたくさんあったし、何より自分が今何かをやらなくちゃいけないのに、それがうまくいかないからって人の輪に逃げ込む様な事をするのは違う気がするし、いつかはまた会えるはずだから。
本気でみんなが頑張れば日本の経済も上向くかもしんないし、戦争だってどれくらいかかるかはわからないけど終わる日が来る。
ただ、最悪な状況にならない様に頑張ろう。
死なんように。

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