見出し画像

出前落語の心得。まずは声でしょ

地元でやる出前落語のお客さんの大半は高齢者。70代80代がほとんど。高齢なので耳の遠い人も多い。どれぐらい耳が遠いかはそれこそ人それぞれ。耳が遠いことほど個人差のあるものはない。そのうえ自分でもはっきりとわからない。どの程度遠いのか、その聞こえの度合いというは自覚できない。わからないのが実際のところだ。

聴力は視力と違う。視力は見えづらいとすぐわかる。自覚できる。目の前にある小さな文字が見えないんだからね。わかる。

一方で聴力といえばいま聞こえてる音がすべて。届かない音は認識の外。自覚しようがない。目の前にある文字が見えない視力とここが違う。家人に「わたしの話がどうして聞こえないのよ!ぷんぷん」と叫ばれたときぐらいしか自覚する機会がない。

話が逸れた。ずいぶん逸れた。出前落語には高齢者が多い。高齢で耳の遠い人も多い。そして大抵の高齢者は自分がどの程度耳が遠いのか、どの音が聞こえていないのかはっきりとはわからない。そこでだ。やっと本題に戻った。よかった。

出前落語で最も気をつけたいのは声だ。お客さんに確実に届く声を出すことだ。届かなければ聞こえなければはじまらない。当たり前すぎるぐらい当たり前だ。この当たり前が至極大事なのだ。

僕は密かに、この確実に届く声が出せるか出せないかがプロとアマの決定的な違いだとさえ思っている。プロの声は確実に届く。アマチュアとここが大きく違う。

届く声を出すにはどうすればいいのか。ただ大きい声を出せば届くというもんではない。それに大声ばかり張り上げていられない。お客さんも始終大声でやられたんじゃたまったもんじゃない。聞いていられないし疲れる。落語には囁き声や呟きといった小さい声も必要だ。むしろ小さい声が肝になることも多い。

高齢者が多い出前落語で演者の声を確実に届けるためにはどうすればいいか。ただ大きいだけではダメであるとすればどうしたらいいか。これは難問だ。

僕の考えは届くように出せば届くというものだ。届けようと意識すればよい。アマチュアはその意識が足りない。自戒を込めて思う。大事なのは声の大きさではなく気である。届けようと発すれば声は届く。届けられる。

なかなか信じてはもらえないかも知れないが、これはホントのこと。出前落語会では真っ直ぐに届く声を出すことを忘れないようにしたい。

極楽亭カエル

いいなと思ったら応援しよう!