与える人が、与えられる。
ハイサイ!沖縄からこんにちは!
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
日々是精進と思ってます、五木田穣(ごきたゆたか)です。
↑2年半くらい前にこんな投稿をしてました。
日々の日常にたくさんの学びがありますね。
内容を抜粋するとこんな感じです↓
隣の席に、友達同士と思われる40代くらいの女性二人組。片方が保険の営業してる。が営業されてる方は渋ってる。やはり保険も人として信頼できる保険屋さんにお願いしたい。
あなたの利益じゃなくて、私の利益を考えて欲しい。本当に私のことを考えて保険を提案してくれてるのかどうか。売りたいだけでしょ?あなたにお金が入るからでしょ?そう思ってしまう言動がある。心の底の声が言動に出てる。
売り込まれてる感を感じちゃうと、人は心理的に拒否するもの。そんな良い保険があるんだ!教えてくれてありがとう!て、なれば喜んで契約するし、お金も支払うでしょう。お金は感謝の気持を表すものだから。
何のために仕事をしてるのか?お金のため?目の前の人を幸せにするため?やはり、人としての在り方、使命感、ミッションが大事だと再確認。人間関係は信頼関係で成り立つ。信頼される人間でありたい。
『前提(定義)』を、間違えてないか?
この時の投稿は、売ることが目的になってないか?という問いかけですね。
目的と手段を履き違えてしまっているんじゃないか?
利己心なのか。利他心なのか。
全ての商売は、世の中を良くするため、誰かの役に立つためにあると考えています。
それが前提として、感謝の気持ちを表すものが、お金です。
ゆえに、感謝できないものにお金は支払いたくないと思うもの。
お金は生きていくために必要でしょう。
だから、稼がなくてはならない。
その気持ちもわかります。
でもね、逆じゃないかなと。
感謝される人だから、お金が手元にやってくる人だから、
お金を受け取れる人だから、生きていけるんじゃないかなと。
『前提(定義)』を変えてみたら?
お金は奪いあうものではございません。
なぜならば、そもそも「お金」なんてものは存在せず、
概念上の問題だからです。
お金なんて、いくらでも刷ろうと思えば刷れるわけだから、そもそも限りがありません。ただのアルミニウムや亜鉛、銅、ニッケル、紙切れでできたものに過ぎません。それを価値があると思い込んでるだけです。
奪い合おうとするから、争いが生まれるんです。
綺麗事ではありません。奪い合わなければいいだけ。
それだけです。
『奪い合い』から『与え合い』へ。
奪いあうものではなく、与え合うものだとすれば、どうでしょうか。
そこに、お金が存在するのは、誰かに与えるため。
では、誰に与えたいか。
あなたは、どんな人に与えたいと思うでしょうか。
あなたは、与えたいと思われる人でしょうか。
あなたの存在が誰かの役に立った時、その人はあなたに感謝の気持ちとしてお金を支払いたいと思うでしょう。
誰かに嬉しいことをされたら、その感謝を何かで表したくなるものです。
感謝の気持ちがあまり抱けないのなら、お金を支払うことに抵抗が生まれるでしょう。
だから、自分にできることは、
自分が提供できることで、誰かの役に立つことだけかなと。
誰かのためになりたい!て思って生きるだけかなと。
そしたら、感謝されて、幸せに生きれるんじゃないかなと。
感謝の気持ちを受け取ることが嬉しい。
世の中には、お金をあまり持っていないという人もいるでしょう。
ポンと1万円を支払える人がいる一方で、5000円出すのもしんどいという人もいるでしょう。いや、1000円でもしんどいという人もいるでしょう。
そんな中、1000円出すのもしんどい人が、1000円を支払ってくれたらどうか。
めちゃくちゃ嬉しいですよね!
本気で感謝の気持ちを示したいと思って、その人の100%を支払ってくれたわけだから。
金額の価値ではなく、感謝の気持ちの強さに価値があります。
そこに存在するのは、絶対的な価値ではなく、相対的な価値です。
逆に、感謝できなければ、価値を感じなければ、1000円でも出したくない。そういう風に、感謝される人であれば、お金が勝手に集まってくるでしょう。与える人は、与えられる。世の中、そんな風にできているようです。
話はちょっとずれますが、神社のお賽銭とか10円とか小銭の人が多いように思いますが、感謝の気持ちのってますか?
与えるものが返ってくると考えると、10円で返ってくるものってどんなものでしょうね?
最後に、最近読んだ本でオススメの本をご紹介します。
こちらは、基本となる1冊。
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