果てしない記憶_note

果てしない記憶

 グルグルという名の町の大路からは、いくつもの小路が枝分かれしながら伸びている。そんな小路の一つを、奥へ奥へと進んでいった突き当たりにある家に、一人の男がポツネンと座っていた。使い古した水色のパイプをくわえている。
 少し前に緑色のパイプが流行った時も、男は水色のパイプを愛用し続けていた。奇妙なネジレを持つ緑色のパイプに、どうにも馴染めなかったのである。

 煙をポッカリと吐き出し、男は何気なくひとりごちた。
「水色のパイプを吸っていると、死ぬことができなくなる。そんな馬鹿げた噂が、流れたりもしたな」
 男は占い師を生業としているのだが、人相を見れば、その人間の命がいつ尽き果てるかということが容易に分かるのだった。そして、水色のパイプを吸っていようが、いまいが、永遠の命を持つ者など、一人として顔を合わせたことはなかった。
 俺は今まで、未来のことばかりに思いを馳せてきたが、過去を振り返ることはついぞなかった。男の脳裏に、ふと、そのような考えが浮かんだ。もう何日も客足がとぎれており、男は時間を持て余していた。そこで、ちょっとした暇つぶしのつもりで、今まで占った客の人相と、その命運を、一人ひとり思い出していくことにしたのである。

 一番最近見たのは、グルグルの町に迷い込み、落ち着く場所を探して彷徨い歩いているという商人の人相だった。なるほど、この町の人間とはまったく違う、黄色い顔をしていたが、その行く末は、はっきりと見て取ることができた。その商人は、もうわずかしか、この世にとどまることはできない。そして、寿命が尽きるまで、この町を彷徨い続けることになるのである。男がそう告げると、商人は深いため息をつき、重い足を引きずるようにして去っていった。

 その前に見たのは、歴史家の人相だった。歴史の完成に向けて、過去にのみこだわらず、未来を記述するのだと息巻いていた。しかしどうやら、歴史家は未来がどうなるのか、さっぱり分からないらしい。そこで、こっそり、占いを聞きにやって来たのだ。男が、自分は歴史のことは見通せない、ただ人の寿命しか分からないと言うと、歴史家は「まぁ、歴史の素人だから、仕方があるまい。では、私の未来だけでいいから、聞かせてみたまえ」とふんぞり返った。男が、人相に出ている通り、あなたの命運はあと千日で尽きることになっていると告げると、歴史家は、そのまま後ろにひっくり返ってしまった。

 このようにして、男は、一人ひとりの人相と、その時々のやりとりを思い返していった。記憶は頭の中にきれいに並んでおり、順番に取り出すことができた。
 千の記憶を取り出して、千の人相と、千の命運について思い返した。記憶は、まだまだ尽きそうもない。

 その前に見たのは、歌うたいの人相だった。歌うたいは、自分の歌が何処かへ行ってしまった、その行方を教えて欲しいと懇願した。男が、自分は失せものの在処を見通すことはできない、分かるのはただ人の寿命だけだと言うと、歌うたいは「私の行く末など どうでもいいの ただ私の歌の 行方が知りたいの」と高らかにうたった。そして、ほら、今の歌もやはり何処かへ行ってしまったとつぶやき、はらはらと涙をこぼした。

 その前に見たのは、きこりの人相だった。きこり達の言い伝えでは、死んだきこりは、あの世で樹木に生まれ変わるのだそうだ。その樹木は、きこりに切り倒され、そうしてまた、きこりに生まれ変わる。そのようにして、グルグルまわっているということなのだが、それは本当なのだろうかと、きこりは聞いた。男が、自分は世界の仕組みを見通すことはできない、ただ人の寿命しか分からないと言うと、きこりは「それでは、今ここが、あの世なのか、この世なのか、それだけでも教えてくれないか」とすがるような目で言う。男が首を横に振ると、きこりはうなだれてしばらく黙っていたが、立てかけていた斧を肩に背負い直し、帰っていった。

 そのようにして男はまた、千の記憶を取り出し、千の人相と、千の命運を思い返した。

 そして、また、千の記憶を取り出し、千の人相と、千の命運を思い返した。

 さらに、また、千の記憶を取り出し、千の人相と、千の命運を思い返した。

 思い返しても思い返しても、記憶は頭の中にきれいに並んでおり、いくらでも取り出すことができる。男は、だんだん恐ろしくなってきた。
 男は、水色のパイプをくわえたまま立ち上がり、部屋の壁に掛けてある鏡の所まで歩いていき、その中を覗き込んだ。そこに写っている人相をどれだけ見ても、寿命がいつ尽きるか知ることはできなかった。
 自分自身の命運だけは、見通すことはできない。占い師とはそういうものだと思って来たのだが、本当にそうなのだろうか。

 俺は、いったい、いつから生きているのか。
 そして、いつまで、生きていくのか。

 鏡の中の惚けたような顔をした男が、古ぼけた水色のパイプを口から離し、ポッカリと煙を吐き出した。


[了]


第4話「歌のゆくえ」



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