上着屋とズボン屋_note

上着屋とズボン屋

 グルグルという町に、さっぱり流行らなくなった二軒の宿屋があった。万策つきたそれぞれの亭主は、やむなく宿屋を廃業し、新しい商売を始めることにした。ひとりは「上着屋」になり、もうひとりは「ズボン屋」になった。もともと商売ガタキであるにも関わらず非常に仲がよかったふたりは、お互いに励まし合いながら、せっせと新しい商売に精をだしていたのである。
 さて、そんなある日のこと。

「なぁ、上着屋。昨日うちに来た客が、お前のところの上着の悪口を言っていたぞ」
「ふん。生地のよしあしも分からぬくせに、ひとかどの上着評論家のような口をきく輩がいるからな。どうせ、そんな手合いだろうが、グルグル一といわれるこの俺様の上着に、いったいどんなケチをつけていたのだ、ズボン屋よ」
「それがな、上着屋。その客の言うことには、お前のところの上着は、生地は確かに素晴らしい。仕立ての具合もおそらくグルグル一と言ってよかろう。まさしく、一級品だが、しかし、ただひとつよろしくないところがある。それは……」
「うむ、それは?」
「それは、おせっかいすぎる、というところなのだそうだ」
「何だと! おせっかいすぎるとは、どういうことだ! おせっかいな上着なんて、そいつは頭がどうかしているんじゃないか、ズボン屋よ」
「まぁ、待て待て、上着屋。話は、きちんと最後まで聞くものだぞ。私も、上着がおせっかいとは、どういう意味かと、その客に尋ねてみたのだ。そしてだな、その客の説明を聞いているうちに、なるほどそういうことかと、合点がいったというわけだ」
「おいおい、そう簡単に納得するやつがあるか。お前も、頭がどうにかなってしまったのではなかろうな、ズボン屋よ」
「では、上着屋。その客の説明を話してやろう。それを聞いてから、お前なりにもう一度考えてみればよいだろう」
「よかろう。話してみるがいい、ズボン屋よ」
 ズボン屋は、おもむろに自分の頭をコツン、コツンと軽く叩き始めた。それが、記憶を呼び出す時の、ズボン屋のやり方である。
「では、上着屋。正確に再現してやろう。その客はだな、このように語ったのだ。

 はじめのうちは、まったく素晴らしい上着を手に入れたわい、と私も喜んでおったのだ。こんなにシックリと身体になじむ上着に出会ったのは誠に久しぶりである。だいたい、近頃の上着屋ときたら、やたらに愛想はいいが、まったく信用ならん奴ばかりだ。たとえば、白い上着を、黒い上着だと偽って売りつけようとする上着屋。信じられんことだが、そんな輩がおるのだ。下賎な白ならせいぜい二百グルがいいところだが、高貴な黒なら千グルの値がつけられるからな。また、鉄でつくった上着を、火であぶっても燃えることのない「魔法の上着」と称して売っていた上着屋。そいつは、これこのとおりと、その鉄製の上着をまとって焚き火に飛び込んだあげく、こんがり焼かれて死んでしまったよ。まったく、愚かな奴だ。
 この間などは、最新流行の上着ですと言って、ズボンを売りつけようとした上着屋がいた。私は、すんでのところでそれがズボンであることに気がつき事なきを得たが、そんな悪徳上着屋にだまされてズボンをはおって歩いていた馬鹿な連中もけっこういたようだ。実に、嘆かわしいご時世であることよ。しかし、お前の友だちとか言う上着屋は珍しくいい仕事をする職人だ。愛想は悪いが、品物の方は申し分ない。しかも、値段はたったの五百グル!」

 上着屋は、さも得意げに、ニンマリとした。ズボン屋はというと、さかんに頭をコツン、コツンと叩きながら、一心不乱にしゃべり続ける。

「私はくる日もくる日も、上着を眺めて過ごした。いやはや、どれだけ見ても飽きがくることがない。まったく見事な品物だ。よし、この上着にふさわしい、見事な夜が来るまでは、袖を通すのはやめておこう。そう心に決めて、私は、その夜が来るのを今か今かと待ち続けた。そうして、千の夜が過ぎた後、まったく素晴らしい、めったになく見事な夜がやってきた。
 私は、上着をはおり、上機嫌で大通りへ繰り出した。香ばしい風が、私の頬を気持ちよくなであげては、吹きすぎてゆく。頭上には、漆黒の空が清らかに横たわり、星の輝きなどはひとつとして見えない。それはそれは、素晴らしく見事な夜だった。そう、光のまったくない、千夜にひとつ来るか来ないかの、「闇に祝福された」絶対的な夜だったのだ。闇を讃えよ。偉大なる先祖を祝福せよ!」

 ニンマリとしながら聞き入っていた上着屋の表情が、その時わずかに曇った。コツン、コツン、コツン、コツン。ズボン屋の頭を叩く音が、しだいに激しさを増してゆく。上着屋は、何やらほんの少し震えているようだ。

「私は、この上もなく気分がよかった。そして、その気分をぶちこわしたのが、こともあろうに、私の身を包んでいた上着だったのだ。そのことに気がついた時、私は顔から火が出る思いだった。上着が、私の上着が、うすぼんやりと光を放っているではないか!
 何ということだ。何というぶざまな姿だ。清らかなる漆黒の夜が、「闇に祝福された」絶対的な夜が、私の上着で台なしになろうとは。恥ずかしいやら、申しわけないやらで、私は、ほうほうの態でわが家へと逃げ帰ったのである。
 家に帰りつくやいなや、私は上着を脱ぎすてて床に投げつけた。そうして十回呪い、百回踏みつけにし、千に切り裂いた。私ははっきりと思い出した。上着を買った時に、なにげなく上着屋が言っていた言葉を。「この上着は、あなたが闇に道を見失った時に、きっとお役に立つことでしょう」たしかに上着屋は、そう言っていたのだ。
 ああ、もっと注意して聞いておくのだった! 私は、素晴らしい品物を手にいれることができた喜びで、すっかり有頂天になっておったのだ」

 上着屋は、ぶるぶる震えながら、手のひらでかたくかたく耳を押さえてしゃがみこんだ。しかし、コツン、コツンという音と、ズボン屋の語る声は、手のひらの厚みを難なく通り抜け、容赦なく上着屋の耳を貫いた。

「さて、上着屋。汚らわしくもおせっかいな上着を、私に売りつけた上着屋よ。お前は、漆黒の夜をおとしめた。私は、漆黒の夜を愛する。何よりも愛する。このグルグルの町が、「闇に祝福された」町であることをよもやお前が知らないわけはなかろう。闇に光を放つ上着とは、どういう了見でそんな品物を作ったのだ!
 言わないか。ふん。言わなくても、分かっておる。近頃、巷で不穏な思想が流行っておることぐらい、私も知っておるからな。お前は、あの禁断の書『明るい』を読んだのであろう。『明るい』だと。口にするのも忌まわしい、なんという書名だ。グルグルの町は暗すぎる故に明るくすべし、などというのは、危険きわまりない思想だ。いや、思想などというものではない。あれは、単なる狂気だ!
 我々の祖先たちが、このグルグルの町から、どんなに苦労して朝という朝を追い払ったか。昼という昼を葬り去るための想像を絶する闘いと、あまたの犠牲。その崇高な歴史を忘れたというのか。お前は、私を『明るい』の信奉者だと勘違いした! そうだな。それで、あのおせっかいな上着を売りつけたのだな。上着屋!」

 上着屋は、どう、とその場に倒れこんだ。そうして、あっけなく息絶えてしまったのである。ズボン屋は、そこでぴたりと口をつぐみ、ただ黙って頭を叩き続けた。

 コツン、コツン、コツン、コツン、コツン、……ちょうど千回目のコツンで、ズボン屋はふと我にかえった。
 しばらくは、冷たくなっていく上着屋をじっと見つめていたが、やがてゆっくりと、この上もなく優しい声で語りかけた。
「そういうわけだよ、上着屋。お前は、闇を照らす上着を作った。商売熱心なお前だから、最新流行とあらば何だって取り入れるのも、うなずけることだ。しかしな、上着屋。やはり、グルグルの町で生きてゆく以上、道を踏みはずしてはならないのだ。お前は、やり方を間違った。そうして、この私は。お前を失った私は、これから先どうしたらよいのだ。
 スボンは、いつだって上着を必要としているというのに!」

 今や、すっかり冷たくなってしまった上着屋を見おろして、ズボン屋ははらはらと泣いた。その涙は、上着屋に降りかかり、降りかかり、もの言わぬ屍を静かに洗ったのである。

[了]


第2話『緑色のパイプ』


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