見出し画像

私が「支援者ケア」にこだわる理由

#支援者ケア にこだわる理由、支援者としての経験から、だけではなくて寧ろ不登校なった時の私起点なのか、とわかってちょっと色々変わりそう。今一度、整理のために書いてみようと思う。

***

本当に怖いんですよね、突然学校に行けなくなるの。
子どもだし自分に何が起きてるか理解も言語化もできなくて、周りからなんで、とかがんばれ、とか言われて凄く焦るし。

実際、今振り返っても説明できない。理由なんて、無いような気がする。あの時学校を行き渋ることが私にとって必要だったし家で1人で勉強してるのが心地良かった。

だけど人と違う1日を過ごしている自分が許せないし、どうしてなんだろう?と焦っていた。とにかくどうにもできない感じが続く。


私の場合は本当にラッキーだった。小中で2回行き渋りしたんだけど、2回とも「本人の学校行きたいという気持ちが出るまで何も判断せず待ってみよう」と先生方や福祉職、学校医の方が私の意志を尊重・最優先するよう関わってくださった。

あの時の、ただ寄り添って、どんな状況だとしてもそのままで居ていい、という愛にものすごく救われ、助けられた。私にとって、自分自身への無条件の尊重を学んだ機会だった。


だから自然と、教員や福祉職を目指していた。現場へ入ってみてとても楽しかったが、適切な支援をできない、支援に集中できない瞬間もあることがわかった。

***

ふむ、支援者ケアって言ってるけど支援者をケアしたいわけでは無いのだよな。

支援者はケアされるべきである、が真っ直ぐ伝わっていったときに、安心してケースにあたれる。つまり、支援にあたる人のやさしさが広がりやすく、渡しやすくなり、私にみたく救われる人が増えると思っている

だめだ、まだまだ全然言語化できてない!でも、前よりもっと魂に近い部分からやれそうだ。もう一度整理。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?