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32歳女、今までにした一番やばかった経験


<6人の仲間で毎日更新チャレンジ1日目>
今日はみんな同じタイトルでやってるので、ぜひみんなのもチェック
❗️

絵描きさん あみり
かっこいいシングルマザー はるち
睡眠アドバイザー ころ
カメラマン ゆうき
健康オタク理学療法士 せいや


ちなみにサムネイルは22歳の時、人生初めての一人旅ラスベガスのホテルの中にある動物園!ホテルの中にライオンがいるの、これもなかなかやばくない?ラスベガスは大きいホテルごとにテーマが設定されていて、ホテル自体が観光地になっていたよ!

さてさて始めましょう。
今日のテーマ「今までにした一番やばかった経験」

これはね、間違いなく「アヤワスカ」

でしょう。

どうやばかったのか?

初めてのアヤワスカ


1、初めて「生きる」にしがみついた
2、初めて「生きる」ことを手放した

これに尽きるかな、と。


1、初めて「生きる」にしがみついた


セレモニー1日目は2回吐いて、何事もなく終わった。そのため、私の内臓に「受け入れて大丈夫だよ、私を守ってくれてありがとう」と伝えて迎えた2日目。

アヤワスカを摂取して、おそらく10~15分ほどで目を閉じている目の前がぐるぐるし始めた。私はこれからどうなってしまうのか、試しに目を開けてみた。まだ目の前の景色は変わらず、アメリカ人の女の子があぐらをかいている姿が見えた。

アヤワスカ摂取時の大前提として「何があっても委ねなきゃいけない」を思い出し、再び目を閉じ、そのぐるぐるの感覚に身を委ねた。脳内や体の中もぐるぐるしているような感覚を感じていると、次の瞬間。急に何かを吐き出したくなった。(もちろんそれは普通の嘔吐なのだが)気持ち悪さの前兆もなく、いきなり、体の中の何か黒い塊を吐き出した、という感覚。

そこから急に意識を失った。聞くところによると、いきなりゴツっと床に倒れたらしい。(さっき吐き出したものは、私の魂だったのか?)

次に意識を戻すと、シャーマンに必死に名前を呼ばれていた。私の身体は場内を自由に、とても過激に動き回っていたようだ。その激しい動きとともに、気を失ったり、意識を取り戻したりを繰り返す。意識がある状態の時も、私の身体は無意識に動きまくる。そして、その度に「MIO、息して、息!」と何度も言われるが、どうしよう、息の仕方がわからない。てかむしろ私息してないの?えっ、息ってどうやってするの?

息の仕方だけじゃない、声の出し方も、体の動かし方もわからない。そんなやばい状態が1,2時間続いた。意識を取り戻している時に気づく、シャーマンが暴れる私に何度もアルコールやら煙やらを吹きかけている。

この時、初めて「生きる」にしがみついた。

なぜならこの時の私は黒い正体不明の何者かに、身体をがっしり捕まれいて、闇に引きずり込まれ、「あ、私はこのままだと死ぬ」んだと信じてならなかった。ちなみにこの時、「全てに委ねなきゃいけない」ことは全くもって考える隙もない。

私の身体は必死に叫ぶ。

「助けて」「生きたい」「連れてかないで」と。
もう一度伝えるが、この時私は声の出し方はわからない。どうやって動いているのかも、どうやって息をするのかも、どうやって喋っているのかも、わからない。だから喋りたいことは喋れない。

その中で「助けて」「生きたい」「連れてかないで」だけは泣き叫び続けている。初めて120%自分を俯瞰的にみて、「あ、自分ってこんなに生きたかったのだ」と後ほど知った。

今はこうやって冷静にNOTEを書いているが、当時は冷静さのかけらもなかった。ひたすら出したこともないような声で泣き叫び、必死に人にしがみつき、このようにして私は生きることだけに必死の1,2時間を過ごした。


2、初めて「生きる」ことを手放した


このアヤワスカの中で私が一番しんどかったのは、自分は何もできないのに、ただ認識だけできること。どういうことか?私の身に起きているのは、

・動きたくても動けない
・動きたくないのに動いてしまう
・声を出したくても出せない

のに、

自分に何が起こっているかは認識できるという状態。

この状態がおそらく4,5時間は続いただろう。
つまり、今みんながどんな目でこの狂った私を見ていて、今一緒に隣で受けているパートナーがどんなことになっていて、などが認識ができるのだ。それに加えてちょっと寒くなってきたからブランケットをかけたいから動きたいなど思いもある。なのに、その意思表示ができない。声が出ない。

私の人生の中で、これほど辛いことはなかった。

その時に思ってしまった
「一生こんな状態なら、死んだ方がまし」だと。

アヤワスカの世界では、一度思ったことは体験できてしまう。
それを何度も強く思ううちに、私の身体から重みと熱が引いていった。

そして、「あ、私はこのままここで死ぬんだ」ということを受け入れた瞬間、目を閉じ、すーっと全ての意識がなくなった。すごく不思議な体験だった。不思議と恐怖はなく、人間が死ぬときは「諦めて死ぬのではなく、受け入れて死ぬんだ」ということを悟った気がした。


以上、私の人生の中で1番やばかった経験でした。
アヤワスカの経験を語ると1日かかるので、今日はここまで。


日本一のバンジー


圧倒的1位を書き終えて、ふと第2位を考えてみた。
私は2,3年前に日本一の高さを誇ると言われる岐阜県にある215mのバンジージャンプをした。これもなかなかやばかった。待機中、仲間が落ちていくのを冷静に見ていた。何度もカウントをストップさせる人、泣いてた仲間もいたが、私は不思議とそんなに恐怖は感じなかった。楽勝だろう。そんなふうに思っていた。

自分の番が来た。板に立つ。

「うわっ、これはやばい‥」

感じたことのない高揚感と、感じたことのないほどの足の震え。板の端に1歩ずつ1歩ずつ自分の足で近づくにつれて大きくなる足の震え。もうほぼ感覚がない。下を見た。

「…今からこの中に飛ぶの?」

それを信じたくない私の真後ろから、半ば強引にカウントがかかる。しかも早い。これは、怖がり躊躇すればするほど怖くなり飛べなくなるやつだろうと本能的に思い、一発目のカウントで行くと決めていた。

「行くしかない」

思い切って飛んだ。頭から真っ逆さまに落ちていく。全身の血の気が引いていく。無意識に声が出ている。でも1秒後くらいには不思議とちょっと気持ちがいい。自分の恐怖心に打ち勝ったからか…?これがコンフォートゾーンから無理やり出たということなのだろう。

下に到達して、バウンドしてからはもう余裕。
まだ身体は震えていたが、気持ちはとてもスッキリしていた。
引き上げてもらい、地面に足をつけた時、幸福感と達成感、ふらふらでうまく歩けない不思議な感覚が入り混じっていたが、こう思ったことは忘れない。

「もう2度とやりたくない」

人生を変化させたければバンジーに行けと聞いたことがあるが、私は決めたよ。違う方法で頑張る。笑
「やってよかった」と胸を張って言えるけど、「もうやりたくない」とも胸を張って言ってやる。

<まとめ>
これを書いてて思ったのは、見ているだけと当事者になるのとはま、じ、で、歴然の差だ。これは何にでも置き換えられる。SNSでは誹謗中傷が目立つ世の中だが、そのほとんどがその立場を経験したことない人だろう。やってもない人に、否定される筋合いはない。そんな声を気にするくらいなら……と言いたいところだが、ほとんどの人は自分を攻撃してくる人は気になる。それなら、その声がかき消されるくらい応援してくれる仲間と一緒にいよう。そしてやりたいことくらい自分にやらせてあげよう。

ないものを数えずに、自分に今あるものを数えよう。
誰しもに、必ず仲間はいる。


以上、読んでくれてありがとう、また明日〜

「今までにした一番やばかった経験」


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