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傷つくならば、それは「愛」ではない


これは、私が衝撃を受けた言葉なのだが、実は本のタイトルでもある。

私の師匠・心理トレーナーよしだひろちかの師匠・チャックスペザーノ博士の本だ。


以前この言葉を初めて聞いた時、衝撃が走ったのを覚えている。
時が経ち、最近またこの感覚を忘れてきていたのだが、いいタイミングでこれについて解説した記事を書いてくれたので、シェアしたいと思う。


傷つくならば、それは「愛」ではない


この言葉を簡単に説明しておきたいと思う。



みんなは、こんな経験ないだろうか?
「パートナーや子供(大切な人)とのやりとりで傷ついた」こと

もしあったら

「それは、愛が大前提じゃなかったんだね」

ってことなのだ。



いやいや、パートナー(子供など)に対して、愛がないわけないじゃないか!

と言いたい気持ちを少し抑えて聞いてほしい。


あなたが「その人のため」にそれをしたのは、わかってる。
でも、その下に本当の気持ち、隠れてない?



愛と条件は混ざり合わない



どういうことか。


まず、あなたが彼にしてあげた事は、「愛だった?」でしょうか?
ここに気づくことです。
彼にしてあげたこと、彼に言ってあげたこと、
もちろん、それは彼のためにしたことでしょうが、

その下に、同時に何かも隠れていなかったでしょうか?

例えば
「それをしてくれて、ありがとう(承認)」
「そんなこともできるんだね、たいしたものだ(価値を認める)」
「うれしい。君のおかげだよ。 (承認。・愛)」

などの、
「期待が隠れていなかったでしょうか?」

よしだひろちかブログより抜粋


つまり、

過去にパートナーとの関係で傷ついてしまったあなたが言ったこと・した事には、

「彼から何かを言ってほしい!してほしい!認めてほしい!」

が混じっていませんでしたか?と問われているのだが、


つまりつまり、

「これがほしい」(条件)は「愛」との共存はできないってこと。

なぜなら、愛は無条件だから。
無条件で、ただ与えるものだから。

だから、相手の態度が、それを受け取らなかったとしても、そこで傷つく事は無いのです。


例えば、お子さんがいらっしゃる方。

あなたは将来養ってもらったり、感謝してもらったりするために、その子を産んで、育てているのですか?

それとも、

「その子を、無条件で愛している」

のでしょうか?

よしだひろちかブログより抜粋


くうううううぅぅぅぅ〜。
なんかこう、痛いところをつかれたようなそんな感覚になります。


誰も私を傷つけることはできない


大前提として忘れちゃいけないのは、感情を選んでいるのは、私。
だから、誰も私を傷つけることはできないし、彼が傷ついたのも、彼が選んでいること。

自然界にはないのに、なぜ人間だけが「良い、悪い」という判断基準を持ってしまったのでしょうね。

少し話はズレますが、

その二元性の感覚が、私たちに「罪」を被せますし、動物にも「罪」を被せるんだな〜と思っています。

私たちの「悪い」という判断が、無邪気な心に「これはだめなこと」という判断基準を染み込ませるんですよね。

傷ついてもいい


最後に、

「いや、傷ついたっていいじゃん」

という私の意見を伝えさせてください。
そうやって経験して、自分の本当の気持ちに気づくプロセスなんだから。

あとね、調子悪い時は、イライラするし、傷つくし、怒るしね、いいんですよ。
それが人間らしいもん。

感情を素直に表現する子供が美しいし、
感情を大切にしている大人が美しいよ。


もっと詳しく知りたい人は、ぜひよしだひろちかさんのブログ読んでね。



いやぁ〜、2月の毎日投稿も残り1日!!!
本当に自分よくやり切った!!!
(もう達成できた気でいる)

一緒に取り組んでくれた仲間に、心のからの感謝。

仲間の記事の中から、私の特に好きなやつを勝手に抜粋したので、ぜひ覗いてみてね👀

🎨<初の個展を終えて>絵描きあみり
⛳️お気に入りの場所>シングルマザーはるち
🍊<大きな決断>睡眠アドバイザーころ
📷<表現力豊かすぎ>カメラマンゆうき
🐨<健康を意識するから不健康になる>オタクせいや


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