おつかい
「すみません。豚のコマ肉を300㌘ください。」
やっと言えた。
小学校2.3年生の頃だったであろうか。
母からおつかいを頼まれた私は、「いいよ」と気軽に返事をしたものの内心はドキドキで、何度も自分でブツブツと練習をしてから思い切ってお肉屋さんで声をだした覚えがある。
商店街の真ん中辺にあった我が家の通称『高いお肉屋さん』でのこと。
その日、たくさんのお肉が並んでいるショーケースの前で、まだ背の小さかった私はせいいっぱい背伸びをしてケースの向こう側にいるお店の人へ向けて声をだした。
ちなみに母と一緒の時だとお店の人とのやりとりはこんな感じ。
店「いらっしゃい奥さん、今日は何もってく?」
母「そうね、豚コマ300ちょーだい。」
店「あいよ。」
母「あっついでに牛ひきも200もらっとくわ。」
店「牛ひき200ね、他はいい?」
母「そうね、今日はこれでいいわ。」
店「まいど」
実はその頃、私はこんなやりとりに憧れていたのかもしれない。
気がつけば今ではしっかり私も似た感じのやりとりをしている気がする。
ただ場所はお肉屋さんでなく居酒屋さんでだが(笑)
店「なにお持ちしましょ?」
私「あっ、この本日のおすすめ、美味しそうね。」
店「美味いですよ~なんてたって今、旬ですからね。」
私「そうよね-じゃあ1つもらおうかな~」
店「はい、ありがとうございます。」
はて・・・こういうやりとり。
何をいいと感じたのであろうか。
なんとなく親しさがあって、ほどよい距離感があって・・・
なのかな?
とにかく私にとっては心地いいキャッチボールだったようである。
もちろん心地よさは人それぞれ違うと思うが。
私が小学生の頃(昭和40年代) おつかいと言えば、もちろん江古田商店街だった。環七から駅へ向かって続く商店街にはどのくらいの数のお店屋さんがあったのだろうか。ふと記憶をたどろうとすると、あの道があの顔があの声が蘇ってくる。本当は画像があれば一目でわかりそうなものだが残念ながらないので私の頭のなかにあるそれを連ねてみる。
まず始まりは5つ又。
小さい五差路にタバコ屋さんがあって隣に信用金庫があって。
そこから八百屋さん、小鳥屋さん、お花屋さん、文房具屋さん、酒屋さん、クリーニング屋さん、お肉屋さんと続く。もう片側は本屋さんからはじまって和菓子屋さん、お豆腐屋さん、焼き鳥屋さん、畳屋さん、不動産やさん、お茶屋さん、電気屋さんと続いて・・・そしてその先の二又の角のくだもの屋さんから魚屋さん、お味噌屋さん、乾物屋さんとどんどん店は続いていく。
一体あのお店の数はどのくらいあったのだろうか。
できうるならあの頃に戻って数えてみたい気もする。
それほどどのお店も思い出がしっかり詰まった江古田商店街。
いろんなお店屋さんに行ったな。
そして至極あたりまえだけどどのお店にもお店の人がいて。
そして老若男女お客さんもいた。
会話があって笑いがあって。
もうあんまり見かけなくなったなぁと思うことも思い出してきたのでいくつか書き出してみる。
例えば八百屋さんでは・・
当時は今のエコバックの前身になるのであろうかしっかりした“買い物かご”をもっておつかいに出かることが多かった。(母の買い物かごはお手製で花柄が可愛かったな)
八百屋さんには所狭しといろんな種類の野菜が並んでいて“これとこれちょーだい”というと、新聞紙にくるくるとくるんでひょいと持っていった買い物かごに入れてくれて。そしてお金を払ってお釣りをもらうんだけど・・・このお釣り銭の出どころが面白い。というのも何個か天井からぶら下がってるかごがあってその中に入っている小銭から受け取るのである。そのかごはかなり伸びるのでびよーんと手元までひっぱってジャラジャラしていた。私はかごからお釣りをもらいたくて、ひとりでおつかいに行った時もわざとお札をだした記憶もあり。
まだ今もこの¨釣り銭かご”を使ってるお店はどこかにあるのかなぁ・・
あったら行ってみたいな。
あと焼き鳥屋さんでは・・
これがいい匂いがするんだな、炭火焼の。だから時々母にねだって買ってもらったりして。で私が食べている間に母は別のお店に買い物に行ったりもしてたから、実は身軽で買い物ができて一石二鳥だったのかもしれないな。それにしてもあの焼き鳥はホントに美味しかった。必ず2本のうち1本はレバーだったけど。体にいいからと母のこだわり(笑)
他にも酒屋さんでは・・
ビールを1ケースと一升瓶の日本酒の配達を頼みにいって、後で私が空瓶を返しに行くから顔を覚えてもらったりして。確か当時は空瓶1本5円で引き取ってもらったかと。
まだまだ使い捨てが当たり前ではない時代のお話。
江古田商店街という環境が私に与えた影響はきっと大きかったんだろうな。
スーパーの陳列棚の前ではしゃべることはないからなぁ・・・
そしてこれからはものに向かってしゃべれば勝手にやってくれる時代なのか・・
はて、
人としての心の豊かさは、どこでどんな風に育っていくのだろうか。
あの頃を知っている私は、
便利はホント楽だけど、それだけだと何かが置いてきぼりになっていく気がするんだよなぁ。
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