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通学路にいたひよこ

今思うと不思議な光景だった。

というのは、私が小学校に通っていた時のこと。
月に一度だけ、帰りの通学路の一角に、箱に入ったひよこたちが現れたのだった。

ところ狭しとピヨピヨピヨピヨ鳴くひよこたち。
その周りにはランドセルをしょったたくさんの子ども達がいた。私はいつのまにか、月に1度のそのひよこたちとの対面が楽しみになっていた。

昭和40年頃の東京練馬での話である。

実は、そのひよこたちはいわゆる客寄せパンダで、本当に売りたいのは「科学と学習」という学研から発売されていた学習雑誌だった。なんともはや当時の営業スタイルって、ね。

とにもかくにも私はそのひよこが欲しくて母にねだってその学習雑誌を1冊買ってもらった記憶がある。
もちろん「勉強したいから」と言って(笑)
そして、我が家にひよこがやってきた。

さて~このひよこちゃんどこで育てよう? 

当時、うちには11匹のカナリアがいて。
小さな庭の軒に11個のかごがかかっていた。
そして、
そのかごを落とそうとちょっかいを出すやつがいた。

それが裏のお宅の猫で。
いきなり塀からものすごい勢いでジャンプして・・・😭

そんな環境の中でひよこをどうしたものか。
ある日、出張先から帰ってきた父が日曜大工をはじめた。
どうやらピーちゃん🐤のおうちを作ってくれているようだ。
角にあったテレビ台の扉を外し、そこに網を張って、即席ひよこ小屋のできあがり~ ! である。

私はといえば、ピーちゃんが卵を産まないかなぁと毎日小屋の中を覗くのが習慣になっていた。
それは・・・
到底かなうはずのない夢だということは知らずに(^▽^;)

ある冬の寒い日のこと。
いつになくぐったりしていたぴーちゃん🐤
ひと目見た父は、これはいかんと小屋の周りに毛布を巻きつけ、中には電球を通して一晩中温めた。さほど気の利いた暖房器具もない時代のことである。

そしてお世話したかいがあってか、ピーちゃんは元気になった。

コケコッコー !

ある朝、というかまだうっすらとした明け方、
大きな鳴き声がした。

コーケコッコー! コワーココココ コワーココココ🐔

えっ、うそ、あの時おじさん、メスだから大きくなっても鳴かないよって言ってたのに。。。

それからとっても元気なピーちゃんは、毎日5時になると大きな声で鳴いた。

コーケコッコー! コワーココココ コワーココココ🐔

早起きは三文の徳とはよく言ったもんだが、こじんまりした住宅街で、毎朝5時にあの声はなかなかのご近所迷惑だったかもしれない。

それでもちっちゃいひよこの時からずっとそばにいた私にとってピーちゃんはかわいかった。ピーちゃんというには大きくなり過ぎた感もあるが(笑)

そんなある日、
私はピーちゃん🐔に追っかけられた。
何があったのか、あるいは私が何かしたのか、理由は全く覚えていないが、とにかく追っかけられて突っつかれて、、、血がでた。何日かして、父は🐔をどこかへ連れていった。

私が今でもにわとりやハトのように前後にくちばしを動かす鳥が苦手なのは、この時のことが刻まれているせいかもしれない。それでも、そのことは脇に置いておけるだけの父との思い出がここにある。🐤ピンチの時、ほとんど寝ずに見守っていた父は優しかったなぁ。。


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