第1回 三鷹駅前編(散歩日10/27)
どうも藤原です。
おさんぽnote、記念すべき初のお散歩ターミナルは三鷹です。どこでもよかったのですが、家から近く、行ったことがない駅ということで、記念すべき初陣に任命しました。頼んだよ。
13時45分頃、三鷹駅に着きました。
遅くとも13時には着いていたかったのですが、夜勤明けの自分を甘やかしました。
甘やかすなコラ。
おかげで三鷹ランチも食べずに散歩開始です。
今回、下調べせずなんとなく歩こうと思っていたので、特に考えもなく南口に出てみると
ジブリ美術館!太宰!エピジェネティクス!
エピジェネティクス…?
文系の自分にはさっぱりですがどうやら遺伝子関係のお話らしいです。今回は「太宰が生きたまち」の文字に惹かれ、まずは太宰治文学サロンに向かうことを決めました。
南口を出て左手に進み玉川上水沿いを歩きます。
玉川上水はかつて江戸の町に飲水を運んでいた水路で、太宰治が愛人と入水した場所としても知られています。そんな歴史ある玉川上水沿いですが、平成6年から約8年を掛けて道路整備が行われ、今では「風の散歩道」の愛称で親しまれています。
14時頃、太宰治文学サロンに向けてマップも見ずに、なんとなく方向だけを頼りに歩いていた僕の眼前に、その施設は現れました!
三鷹市山本有三記念館です。
いや、三鷹市山本有三記念館かい!と思いました。思いましたが芸人は経験を買うべきだ!とのJCA(プロダクション人力舎の芸人養成所)時代の教えから入ってみることに。
門をくぐり、素敵なお庭を抜け入館し、受付で入館料300円を支払います。
軍資金 3000円→2700円
「ぶれんどしっぷ藤原のおさんぽnote」初出費。
記念すべき瞬間の歓びを噛み締めていると
「ボランティアガイドはいかがですか?」
受付の女性が僕に聞いてくれました。どうやら僕のような不勉強な人間でも、この施設を骨の髄までしゃぶり尽くせる、ボランティアガイドなるシステムがあるようです。
ありがたくお願いすると受付の奥にあるベンチに座していたグレーヘアが綺麗なご婦人がすっくと立ち上がり「では参りましょうか」と一言。
ご婦人との山本有三記念館巡りが始まりました。
記念館には作家、政治家として活躍した有三に纏わる多くの品々が展示されていました。
ご婦人はそういった展示物や有三自身について、それはもう丁寧にガイドしてくれました。
有三が呉服屋の息子であること、そうした影響からか職人気質で作品数が少ないこと、当時の教育レベルの低さを憂いて自分で児童書や教科書を作ったこと、目が悪く奥さんが原稿を代筆することもあったこと、祝日法の制定に尽力したことetc…
中でも児童書の制作には相当力を入れていて、ジブリ映画のタイトルの由来になった小説「君たちはどう生きるか」は山本有三とその弟子(吉野源三郎)が作ったそうです。
82歳になられるご婦人のガイドぶりはあまりに流暢で、建物の建築様式から有三の政治的な話まで本当に淀みがないものでした。
展示内容も面白かったのですが、べしゃりの立つガイドのご婦人への興味が湧いてきたので、途中からは世間話や娘さんの話、ご婦人が海外で暮らしてた時期の話等に花を咲かせました。(嬉しかったなぁ)
そんな時間を終え受付に戻ると時間は16時半。
話し過ぎました。入館時間が14時頃だったので2時間半程でしょうか。ただでさえ三鷹着が遅れてスケジュールが厳しい中で迂闊でした。
太宰治文学サロンは営業が17時30分までなので急いで移動を開始です。物販コーナーも見たかったな。
文学サロンへと向かう道中、僕の前を歩く小学生と思しき少年が父親に話す声が聞こえてきました。
内容としては今飼っているコオロギが繁殖し過ぎたからなんとかしたいけど外来種だから殺すしかなくて難しい的な話だったと記憶してます。
賢いなぁと思うと同時に山本有三の憂いた教育レベルは令和6年現在、大丈夫そうだなと思いました。
思ってたより長くなったので前後編に分けます。大体2000文字以内とかで書こうと思うので今後の投稿もそんな感じになるかもです!前編読んで頂いた皆様、貴重なお時間ありがとうございました。