まるでドラマのような
長い間旅を続けていると、
(まるで映画かドラマのような……)
というシチュエーションに出くわすことがある。それほどしょっちゅうある訳ではないのだが。先日タイに言った時、そういう状況に出くわした。それは、
〔乗り合わせた飛行機の中で病人が発生する〕
というシチュエーションだった。
私が乗っていたのはタイ国内便を中心に運行している「ノックエア」。ミャンマー国境の町メソットに行った帰りの便だった。
急病人は、通路を挟んで私の斜め前に座っていた若い男性である。窓際の席の人だった。突然、けいれんを起こしてのけぞったのだ。あいにく私はその瞬間を目撃していかった。うとうとと眠りに落ちてしまっていたからである。この頃、飛行機に乗るとすとんと、条件反射のように眠りに落ちるのである。それはさておき。
焦ったのは隣の席の、やはり若い男性客だった。恰幅のいい人だった。ヘッドホンで、おそらくは音楽を聴いているところだったようだ。もう音楽を楽しむどころではない。隣の人が激しくけいれんをしているのである。パニック寸前になった彼はシートから腰を浮かしどこかに避難しようとしていた。無理もない。私だってたぶんそうする。
幸か不幸か、私の座っていた席は最後尾にあり、急病人の出た席はその前、後ろから数えて二番目の席だった。すぐに後ろのカーテンが開いて、異変に気付いたキャビン・アテンダントが顔を出した。若いタイ人の女性だった。この人がなかなか落ち着いていた。
急病人の男性は、どうやらててんかんの発作を起こしたらしかった。それを見てとったキャビン・アテンダントは、急病人の口の中に何か棒状のものを突っ込んだのである。舌を噛み切るのを防止するためだった。緊急事態を脱したことを見届けて、彼女は機内アナウンスを使い乗客に呼びかけた。
「お客様の中でドクター、或いは医療関係にお勤めの方はいらっしゃいませんか? 後部座席で急病人が発生しています」
タイ語だったから、正確にこの通りを言ったのかはわからないが、たぶんそんな内容だったと思う。それはまさに映画やドラマでよく見かけるシーンだった。
するとすかさず二人の乗客が立ち上がった。一人はでっぷりと肥えた初老の紳士、彼はおそらくドクターであろう。そしてもう一人は若い女性だった。医大生か何かに見える。あるいはナースかもしれない。二人は早速急病人のいる座席に向かい、応急処置を開始した。二人は問診をして、キャビン・アテンダントには酸素吸入の準備をするように指示を出した。初老の医師がリーダーシップをとり、若い女医学生(と勝手に決めた)がサポートするという形である。
ところがここで第二の問題が発生した。なんと、言葉が通じないのだ。急病人はどうやらミャンマー人だったのである。
普通のタイ人は、隣の国でありながらミャンマー語を解さない。まあ、日本人が韓国語がわからないのと同じようなものである。その状況を見てとったキャビン・アテンデントは再びマイクに向かって呼びかけた。
「お客様の中に、ミャンマー語がわかる人はいらっしゃいませんか?」
すると二人の別の乗客が立ち上がって手を上げた。二人とも若い男だった。急病人の座席近くまで来て、医師とキャビン・アテンダントに合掌して挨拶すると、急病人に向かってミャンマー語で話しかけた。
こうして、ミャンマー語の通訳を介し、治療が再開された。
私はかなり感動した。名乗り出た人たちは、全く躊躇しなかった。決断は秒殺であった。そしてあたりまえのように、自分のやるべきことをした。
もちろん病人は助かった。バンコクの空港に飛行機が着陸すると、空港の救急医療チームが乗りこんできて、彼はストレッチャーに乗せられ、救急車で搬送されていった。ミャンマー語の通訳として名乗り出たうちの、一人の乗客が当然のように付き添った。
こうしてドラマは幕を閉じた。医師も、医大生も、何事もなかったかのように飛行機を降りていった。
この、私の目の前で展開された一連の出来事、それが将来私にとってどんな意味をもつのか今はよくわからない。ある日突然、
(あ、あれはこういうことだったんだ)
と気付くような気がする。いずれにせよ、私がその座席に座らなければ、そしてその便に乗り合わせなければ、更にいうならタイに出かけなければ目撃できなかった出来事である。やはり、何かのお導きか。神様がいるならば、そういう存在の。私が感動したのは、
自分のなすべきことを、あたりまえのようにやる。
そういう人が何人かいて、ただ単にそこに偶然居合わせていた、それだけの理由なのだ。