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「菅谷城」名将畠山重忠ゆかりの菅谷館とも呼ばれる城郭
菅谷城概要
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菅谷城は都幾川(ときがわ)の北岸に面し、支流の沢を堀に取り入れた城である。鎌倉初期、畠山重忠の居館である「菅谷館」とされており、元久二年(1205)に鎌倉の異変を知りこの菅谷館から駆け付け途中、二俣川にて戦死したので有名である。
そんな菅谷館であるが、現在残されている形状は立派な「城郭」であり、当記事も「菅谷城」と呼称する。
訪問ルート
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菅谷城は現在比企城郭群菅谷館として国指定史跡となっている。国道254号を群馬方面に走らすと案内板が設置されているので、注意深く走っていれば見つかる。そこを曲がると搦手口を通り埼玉県立嵐山史跡の博物館駐車場へ入れるが、休館日は駐車場も封鎖されるので訪問時間を確認の上訪れたい。
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城内は案内も充実しており、手ぶらでも気軽に探索できる。地元の方も多く散歩をされており、憩いの場としての道を歩んでいる。できるならばこの史跡の博物館で比企郡周辺の城郭を学習してから探索をお勧めする。
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全体的に草刈りが進んでおり、見ているだけでも楽しい。季節によっては堀に水がたまり水堀の様相を見せる。
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今回は土塁に登れず堀を降りれずで全く描けないので、仕方なく発掘調査報告書に掲載されている図面を元に平面お絵描きをする事になった。
その際に現在国道敷地になった空堀がどこまであったのか『今昔マップ』様の古地図を参照した。古地図と同時に現在の地図も同時表示してもらえるので、地形の比較に便利である。
さて、上の写真は菅谷城の旧新の地図であるが、赤丸で示した部分まで伸びていた様子があるので描かせてもらった。
お絵描き(自作画)
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今回はあえてお絵描きを透過させて掲載させてもらった。なので現状と絵の形状は異なる事をご承知いただきたい。描いていて思ったが、北西方向に空堀が掘られている辺りこちらにも曲輪を作る予定であったのか?途中放棄されている以上、想像でしか言えないのが残念である。
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かなり前に書いた鳥観図風お絵描きも掲載しておくが、一部誤りがあるので、あくまで立体的に見てどんな形だったのか、参考にしていただければ幸いである。