ご先祖様が、吉原で遊郭を営んでおりました。
いざ、吉原へ
伝承された江戸の華
私は、豊浜という田舎に住んでいます。
娯楽一つ無い町で育ち、華やか世界とは、全く縁がなく、魚臭い漁師町で、幼少期を過ごしました。
私の生まれ育った町、豊浜は、江戸時代は
須佐村と呼ばれていました。天照大神の弟、
須佐之男命と縁のある村で、須佐之男社があります。現在の豊浜は、愛知県の中でも指折りの漁師町で、天下の奇祭、鯛祭りが有名です。愛知万博で、巨大な鯛の神輿を担ぐ姿をご覧になられた方も多いでしょう。
私も、青年の頃は、夢中で鯛を担いでおりました。今でも、祭りの日は帰省し、祭りを見に行きます。私の実家も漁師をしており、仕事一筋の親父と、それを支えるお袋、二人の兄がおります。老いていく両親を見て、自分も年を感じて、親孝行しようと、強く思うところです。親孝行と言っても、私にできる事は、親の家を片付ける事くらいで、暇を見つけては、実家の片付けに出かける日々が続きました。
そして、ある物を見つけてしまったのです。
それは、実家の仏壇を掃除していた時の事。
引き出しの奥から、仰々しい木箱に入った、分厚い物が出てきました。
「これが、過去帳か」
と、その時は、特に気にも留めなかった。
法事で実家に帰った時、念仏が終わってから、お袋と話す時間があり、過去帳を広げて、話を聞きました。私の家は旧家で、私の代で十代目になります。初代は江戸時代を生きておりました。過去帳には、多くの戒名と、お寺に寄進した内容が書かれておりました。
そして、最後のページに一枚、紙が貼り付けてありました。
読めない様な字で、ずらずらと、何かが書いてある。読み難い文章を、お袋と二人で解読しました。
そこに書かれていた事は、
先祖が、江戸吉原で遊郭を営んでいた事。
屋号を松葉屋に変え、江戸に移住した事。
眼病を患い、家族を残し、故郷に帰ってきた事。仕送りにより、病気が完治した事。
晩年は、人を雇い、漁業をしていた事。
お金の不自由なく、優雅に暮らした事。
などが、書き残されておりました。
これは。八代目が書き残した、先祖の偉業だったのです。
この事がきっかけで、吉原について調べ始めました。ここからは、私が吉原について、本で調べたり、人から聞いた話を、まとめていきたいと思います。
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