菅総理の長男の写真をみて、見た目で判断はよくない『けど』と前置きをしながらこん棒でぶったたく人にたいして思うこと
菅総理の長男のニュースを受けて、Twitterでは以下のようなコメントが多数投稿されていた。
>>菅首相の息子、見た目がなかなかのパンチだなと思った。
見た目で判断しちゃあかんのだけど
>>人は見た目で判断しちゃいかんのだが。
菅さんの息子さんよ.........。
>>菅さんの息子さん…人を見た目で判断するなっていうけど、、、残念過ぎる。あんなまともな社会人っぽくない人が飲み会に出席していたら、普通「誰?!」って思う。山田さんが記憶がないっていうのは無理があるよ。
>>人を見た目で判断してはいけないのは分かってるけど、菅総理の息子さんの見た目はなかなか強烈だな。
・・・・前置きの「見た目で判断してはいけないが」的文章、そもそもいるの?
一般常識は理解した上で言っている、的な。
あくまで私は常識人ですよ、的な。
そんな予防線をはりつつ自己防衛しながら、週刊誌の記事をもとに一般人に対してコメントすることへの危険性。
「見た目で判断してはいけないけれど」という一般常識的な前置きをしたそばから、その一般常識を破っているわけで。
この手の言葉ロジックを行うことで、自分は正しい、守られた聖域から他人をたたきまくる「正論系こん棒で知らない人殴りマン」が生まれるわけで。
こうした人が差別や自殺や生きにくい社会をつくる片棒を担いでいるんじゃないの、と思ったりしました。
その内容はともかくとして、この「〇〇してはいけないのはわかっているれども・・・」の前置きを言った上で誰かや何かを叩くロジック、すごく気持ち悪いなあと思いました。
皆様はどう思いますか?
写真見て自分は「確かにまあ・・・」とは思いましたけれども。。
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