本能寺の変について
本能寺の変とは皆さんも知っていると思うが、
織田信長が部下の明智光秀に裏切られたあのことである。諸説は様々あるので、この見方が正しいのかは分からないが、この記事ではこの考え方でいくことを了承して貰いたい。
有力な部下がトップを何かの事情があって裏切ったという認識で話を進めさせてもらう。
この事は多かれ少なかれあるのではないのかということを最近感じた。
前に私の記事で上げた伊調馨さんと栄監督の問題もこれと似ている様に感じる。
レスリング会のトップの人を選手を部下と見れば有力な部下にリークされてレスリングオリンピックコーチからは引退せざるをえなくなってしまった。
この他にもカルロスゴーン氏のこともそうである。
そもそもこのことを思ったきっかけが白竜と言うマンガで例えていたからなおこのことを思った。
白竜と言うマンガでカルロスゴーン氏をモデルにしたシリーズがあり、その中で何故私(カルロスゴーン氏)は部下に裏切られたのかという問いに対して主人公の白竜がそれは驕りのせいですと答えていた。天才故に人の気持ちが理解出来なく、部下からは恐れられ、憎悪を持たれているということを言っていた。このことを織田信長の本能寺の変と同じだと言っていた。
私はこのことに感銘を受けた。
前述の栄コーチの件にせよカルロスゴーンの問題にせよ、本能寺の変にせよ、問題はトップが有力な部下に裏切られたという話であると私は考える。この件以外にも多かれ少なかれあるのだと私は考える。歴史の授業とは歴史から学んでどうすれば失敗をなくすのかだと私は考えるので、何故織田信長は裏切られたのかを考え現代に活かすことを考えることが私は大切な様に考える。
犯人探しだけをしていても改善には繋がらなく、対策方法を考えることが大事だと私は考える。
「温かくして寝ろよ」、「僕から以上」
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