『ザ・ボーイズ』と『タイバニ』:オジ&デス対談第5弾 Vol.3
「ぬいぐるみと人間が対談形式で映画について語るシリーズ第5弾」最終回は『ザ・ボーイズ』とタイバニに共通する点などを中心に話し始めたものの、例によって、ヒーロー映画に限らない映像表現のあり方やエンタメ業界の自浄についてなど語りたいことは尽きないのであった。
「何が正義なのか」を決めるのは誰なのか
オジサン 『ザ・ボーイズ』とタイバニをクロスオーバーさせて語りたいと思ってたんですけど、なんか難しいですね。
デス ネタバレしないでやるのが困難だよね…。
オジサン それはありますね。
デス タイバニとか『ザ・ボーイズ』みたいな作品って、ある意味ヒーローを相対化するようなところがあるからはっきり見て取れるけど、いわゆる悪役ってものが、異次元からやってきた強いだけで中身カラッポな変な大魔王みたいなものではなくて、実は限りなく自分たちと近い境遇にあったり、性格や能力や場合によっては思想なんかもかなり近いにもかかわらず、ある決定的な部分で相いれないがためにヒーローとヴィランに別れてる場合もあって、要するに何がヒーローとヴィランを別つのか、両者はそんなに離れていないんじゃないかとか簡単に反転し得るんではないか、とかね。でも、両者にはやはり決定的な違いがある、そういうものについて描かれている。それは普通のヒーローものでも描かれているんだけど、見落とされがちな点でもある。それを、タイバニや『ザ・ボーイズ』みたいな作品は割とわかりやすく問題提起してくれてる感じがある。
オジサン タイバニ見てそのポイントを考えるひとあんまり多くないと思いますけどね(笑)
デス でもさ、全24話での最大のヴィランは「あいつ」だったわけじゃん?
オジサン まぁ、そういう意味ではウォッチメン的なところもありますね。ヒーロー映画って「正義とは何か」「ヒーローとはどうあるべきか」っていう映画がけっこう多いし、それはこれまでにもずっと描き続けられているけれど、「じゃあ、ヒーローが“これが正義だ”と言えばそれが正義になるのか?」って問いが出てきて、ウォッチメンも「誰がヒーローを見張るのか」っていう話じゃないですか。でも、一周回って「絶対的な正義は確かにあるよね」っていうところに達してるのが昨今のヒーロー映画って気がするんですよ。
デス まぁ、とは言っても、『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』なんかでは「ちょっと立ち止まってみようか」って感じだったけどね。で、直近で言えば、『スパイダーマン/ファー・フロム・ホーム』もそういった作品だった。どちらかと言えば、フェイクニュースとかオルタナティヴ・ファクトとかトランプを取り巻くオルタナ右翼的なものとか…
オジサン あとは「大衆が何を見たがっているか」みたいな…
デス そうそう、大衆心理とかショービジネスとか、偶像崇拝とか…そういうものへの批判を含む、メタ視点のある映画になってた。
オジサン ポピュリズム的なものへの警鐘にもなってる気がしました。
デス そうだね。だから、まぁ、あれもウォッチメンとかシビル・ウォーに通じる作品だよね。
オジサン タイバニの設定でけっこう重要だと思うのは、ヒーローの活躍が生中継されるだけではなくて、犯人逮捕とか人命救助とか活躍に応じて各ヒーローにポイントが加算されて、シーズンごとにランキングが出るっていうシステムなんですけど。そういうポイント制度のせいで「ポイントにならないことはやりたくない」とかそういうことにもなるわけで…。
デス 成果主義っぽいんだよね。
オジサン その辺がボーイズの“大衆に評価されること”に重きを置く感じと通じると思うんです。例えば犯人を説得するとかそういう地味なことはせずにドカーンとやっつけちゃって、「ヒーロー大活躍」のニュースを作るみたいな。
デス こういう正しさと商業的な成功を両立っていうのはさ、ある意味永遠のテーマだと思う。時代によっても変わってくることだと思うし。難しいことだけどね。例えば、政治家なんかは選挙で勝利して議席を確保するために人気をとりつつ、正しい政策を提示して実現していくっていうことが難しいわけだよ。世界で右派ポピュリズム的なものが興隆してきているわけだけど、左派リベラルってのは往々にして話が複雑になりがちなんだよね。わざわざ無駄に小難しくしてるところもないわけじゃないんだけど、どうしても小難しくならざるを得ないことってのもあるわけだよ。右派ポピュリズムの連中、というか保守・右翼は割と誰にでもわかる「単純でそれでいて威勢のいいこと」を言うから、大衆ウケしやすい。そういうものに負けじと左派とかリベラルの側が右派を凌ぐような人気を獲得しつつ、ちゃんとした政策や思想を訴えて実現していくのは大変なんだよね。スーパーヒーローって、基本的に「不正義を許さない」わけだから、自由や平等や社会的公正を尊重するリベラルと親和性が高い。特に今の時代にはね。でも、そこで、各方面の顔色を窺って無味無臭なものを作っちゃうってんじゃダメなわけで、『ザ・ボーイズ』やタイバニみたいに自己批判とか自己言及的な作品っていうものは必要。
オジサン ヒーロー映画が、ヒーローを相対化したり自己批判したりっていう傾向が出てきたのって、やっぱり東西冷戦が終結したことも大きいんじゃないですかね。アメリカにとっての、絶対悪が存在しなくなったっていうか。
デス うーん、そうだねぇ。あとはやっぱり9.11だよね。現実にヒーローがいればあのテロは防げたわけじゃん?アメコミ業界の人たちは、その過酷な現実と向きあって色々と考えざるを得なかった。テロってのは明確な責任の所在を見つけにくい犯罪だし、また、アメリカがそのテロを誘発しているところもある。
オジサン 『アイアンマン』の1ではその辺が描かれていましたよね。
正しさとクリエイティビティの両立
デス ヒーロー映画じゃないけど、この前、『ボーダーライン』を見たじゃん?エミリー・ブラントとパチモンじゃない方のデル・トロが出てる映画。あの映画は、リアリズムに徹している作品だから、麻薬カルテルに敵対するとどういう目に遭うかってことがちゃんと描写されてたよね。すごく残酷な殺され方して、腐乱死体がずらっと並んでいたり、惨殺死体が橋げたから吊るされていたりとかさ。あれも『ザ・ボーイズ』と同じで必要性があって残酷な描写をしてる。『ザ・ボーイズ』の方はコミカルでブラックジョーク的にもなってるけど『ボーダーライン』の方は徹底的にリアリズム。で、社会的なメッセージがはっきり描かれてる。ポリコレのせいで息苦しいとか、エログロ規制のせいで面白いものが作りにくいみたいな言い訳を言うヤツがいるけど、MCUとかディズニーなんかはポリコレに配慮しながらエンタメ性が高くてメッセージ性もある映画を作ってるし、逆に、『ボーダーライン』とか『ザ・ボーイズ』みたいに、残酷描写を使いつつも社会性のあるきちんとした映像作品も作られてる。日本のコンテンツ産業界隈の「息苦しい」って結局は、弱者を虐げるような描写が好き勝手できないのが息苦しいって話で、どっちにしてもメッセージ性あるものとかたいして作らないじゃん。
オジサン まぁ、伝えないメッセージがないんじゃないですかね。エログロをおもしろおかしく描けないのはつまんないって言ってるだけですよね。
デス まぁ、正義がないよね。
オジサン 『デッドプール』や『ザ・ボーイズ』は、確かにおもしろおかしく笑えちゃうようにグロ描写を使ってますけど、伝えたいメッセージがきちんとあるんですよね。「息苦しい」とかなっちゃうひとたちって、特に伝えたいことがないのを誤魔化すために、エロとかグロとかで「こんな過激なことしちゃうぞ」みたいなことやってるから、それができないと作品が作れなくなっちゃうってことじゃないですかね。
デス 『ザ・ボーイズ』にしてもタイバニにしても(タイバニはジェンダーに関しては反面教師にした方がいいけど)、表現とは何かって観点で比較もできる。ちなみに『ボーダーライン』にはMCUにおける宿敵サノスを演じてたジョシュ・ブローリン、コレクターっていう変なヤツやってたデル・トロ、ブラックパンサーのボーダー族のリーダーをやっていたダニエル・カルーヤも出てるし、その友達の役をやってるのがマーベルのドラマでパニッシャーやってるひとだったりね、マーベル俳優がけっこう出てるのでマーベル好きも見てみるといいんじゃないですかね。
オジサン 最終的に『ボーダーライン』推して終わるんですか?(笑)
デス いや、全部オススメだよ!それにさ、昔は映画監督の作家性ってのに依存した映画が多かったイメージだけど、いまはもっとチームで映画を作っていることが多いし、俳優も作品作りにもかかわっていくことが増えているから、俳優で観る映画を選ぶっていうのもかつてよりは確実なんじゃないかな?『キャプテン・マーベル』のブリー・ラーソンとかさ、彼女だったら、まずフェミニズム的にアウトな映画には出ないじゃん?なんなら、フェミニズムがテーマになっている映画だったりする。そういうことだよ。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(GotG)のジェームズ・ガンが(過去のロリペドをネタにするような発言が原因で)一回解雇されたときも、キャスト陣がさ、みんなでガンを擁護する声明を出したけど、あれだって監督がGotGで描きたかったことをキャストたちが共有してて、そんなジェームズ・ガンだからこそ、トランプとかオルタナ右翼的なものを批判してきたし、そのせいでそういう連中に目をつけられて過去のツイートを掘り返されて…ってなった。そういう背景があるからこそ、彼の過去の発言は悪いとしつつも、一方でその発言がクローズアップされた政治的背景や現在のジェームズ・ガンの人間性をふまえた擁護の声明を出すことができた。って、話ズレたけど、あれだって昔だったら、別に解雇もされずうやむやになってた可能性もあるわけだよね。MCUってあれだけ多くの作品がクロスオーバーしてるから、当然スケジュールにも狂いが出るし、脚本も大幅に変わることになるだろうし、大きな計画にかなりの影響があるにもかかわらず、それでも解雇して、GotG3の制作もいったん凍結された。そういった措置がとられるようになったのは、やっぱ時代が進歩したからじゃない?それまでのショービジネスってのは、ワインスタインみたいなやつが長年のさばってたことからもわかるけど、そういうことをうやむやにしてきたわけじゃん?地位や功績のあるプロデューサーや監督、俳優であれば許されてきた。ヒッチコックとかもそうだけど。それを許しませんよって時代になってきてる。MeToo運動とかジャーナリズムの力も強いけど、自己批判的な作品を繰り返し作ってきたから到達したという面もあると思う。
『ボーダーライン』も「何が正義なのか」という話になっていくけど、『ザ・ボーイズ』もタイバニもそうだよね。ありきたりなものの言い方になるけど、正義を追及していきたいし実践していきたいもんだよねっていう。
オジサン タイバニなんかは、わりと「泥棒を捕まえる」とかわかりやすく所謂犯罪行為を取り締まる話ではあるんだけど、それさえしてればいいのか?ってことを問う展開になりますよね。『ザ・ボーイズ』の方はそれとはすこし違って、もう少しどす黒い感じで、ヒーロー産業がより巨大なビジネスになっているから、それに意義を唱えたり、水を差すようなことをしようとすると身の危険を感じるような社会で、そこがタイバニとは違ってたと思いますけどね。
デス でもタイバニもさ、ある部分では功績があって、ある部分では正義を実践しているひと、そのひとをやっつけてしまうことは、これまで実践されてきた正義が崩れ去って不正義が溢れてしまうかもしれない、みたいな。でも、それらしい大義名分のもとに、明らかな悪事を許していいのか、いやいけないだろう、っていうような話でもあるよね。
オジサン なんか今回もボクたち、「正義とは何か」って話してますよね。
デス でもさ、ヒーロー映画に限らず、ディズニーとかだってそういう映画多いじゃん?要するにどういうものを媒介するか、スタイルやアイコンの違いがあっても、最終的にはそこに辿り着く物語ってのが多いんじゃないかな。
=第5弾 完=
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