Bon Joviはすごい!〜ハードロック・ヘヴィーメタル雑語りへの反論〜:オジ&デス対談第8弾 Vol.1
映画やドラマの話をする対談として始めた本シリーズですが、1年以上のブランクを経た久々の更新になる今回は、初めて音楽の話です。以前から「ハードロック/ヘヴィーメタルを雑に貶すマナー」に色々と思うところがあったところに、あるきっかけが重なって、こうなったら対談して記事にしようということに。直接的にフェミニズムへの言及はありませんが、実はある種の「有害な男性性」批判でもあるので、音楽にはさほど関心がないという方にもお付き合いいただけると嬉しいです。
モスクワで行われた音楽祭
デス:まあ、話したいテーマとしては、主にハードロック/ヘヴィーメタル(以降、ハードロックは「HR」、ヘヴィーメタルは「HM」と略す)の今に至るまでの不遇についてなんだけど、HR/HMの中でも、“売れ線“とされるようなバンドが、特に不遇な扱いを受けているということについて話していきたいな、と。
デス:オレがこういうことについて話そうと思ったそもそものきっかけは、今年の2月に、Bon Joviの代表曲であるLivin’ on a PrayerのPVのYouTube動画再生回数が10億回を超えたという音楽ニュースを目にしたことなんだけど。Bon JoviのPVの再生回数が10億回を超えるのは、これで2曲目だってことだったので、では最初に10億回を超えた曲は何かなと思って調べたら、それがIt’s my Lifeだった。
デス:そう。で、そのニュースをきっかけに、なんとなくBon Joviの動画をYouTubeで他にも色々と見ていたら、たまたまモスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル(以降「モスクワ・フェス」)っていう1989年の音楽フェスの動画が目に留まったのね。
デス:自分でも、「なんか1週間ぐらいモスクワのこと喋ってるな」とか思ってて、ふと気がついたらもう1ヶ月くらい喋ってた。そのくらいモスクワ・フェスを見て、オレは感動したわけだよ、改めてね。
デス: オレ自身も、開催当時は小学3年生くらいで、まだ洋楽も聴いてないから、リアルタイム世代じゃないんだけど、ざっくりと言えば、東西冷戦末期の当時のモスクワで、西側諸国のHR/HMバンドと東側の盟主であるソビエト連邦(以降、「ソ連」)のHRバンドが参加して行なわれた音楽フェスで、MTVを通じて世界中に生放送もされたらしいんだよね。
デス:で、オレが、モスクワ・フェスのことを最初に知ったのは、多分、中学生になってから見た、Bon JoviのNew Jerseyツアーのドキュメンタリービデオ『ワールド・ツアー~アクセス・オール・エリア』でだったと思う。モスクワでのパフォーマンスがダイジェスト的にちょっと入ってるから。あとは、BURRN!みたいな日本のHR/HM系の雑誌でも、「かつてこういう凄いフェスがあった」と語られることもあったから、だいたいのことは知ってたけど、他の出演者のパフォーマンスはあまり見たことがなかったし、Bon Joviの演奏もフルで見たのは、今回が初めてだったんだよ。
デス:うん。もちろんね、以前から、すごいフェスだなあって思ってはいたんだよ。出演者が、Bon Jovi、Ozzy Osbourne(オジー・オズボーン、以降「オジー」)、Scorpions(スコーピオンズ)、Cindellera(シンデレラ)、SKID ROW(スキッド・ロウ)、Mötley Crüe(モトリー・クルー、以降「モトリー」)、さらにゴーリキー・パークっていう豪華さ。
デス:そうそう。そして、Bon Joviやモトリーはアメリカから、オジーはイギリスからで…
デス:そう、そんなかんじに割といろんな国から、HR/HM系で当時流行ってたバンドが参加してるのね。キャリア的には、SKID ROWとシンデレラが若手で、オジーとScorpionsはベテラン。モトリーがその次くらいで、Bon Joviと並んで中堅クラスってかんじ。ただ、あの時期に、その中で最も売れてたのはBon Jovi(『Slippery when wet』『New Jersey』がアメリカだけでそれぞれ1000万枚以上、700万枚以上売れていた)ってこともあって、Bon Joviがトリを任された。
デス:後のグランジ・オルタナティブ(以降「グランジ」)勢で例えると、NIRVANA(ニルヴァーナ)、Pearl Jam(パール・ジャム)、Red Hot Chill Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、以降「レッチリ」)、Nine Inch Nails(ナイン・インチ・ネイルズ、以降「NIN」)とRage Against the Machine(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)が一堂に会しているみたいな感じだよね。
デス:ちょっと説明が長くなっちゃってるけど、HR/HMファン歴が長い人でないと、古いフェスだし、知らないひとが多くて分かりにくいんじゃないかと思うから…。あと、このフェスに関しては、ドキュメンタリービデオみたいなものもあまり流通してないみたいだし。
ライブビデオは一時期販売されていたっぽいんだけど今では入手が困難なんだよ。
デス:例えば、ウッドストックとかロラパルーザとか、レディング・フェスティバル、ライブエイドとか、そういった過去の他の音楽フェスと比べると定期的に話題に上ることもないし、雑誌で特集されることもほぼないから…。
デス:そう。だからある程度は予備知識として説明があった方がいいかなって。
HR/HMというジャンルとフェス開催の経緯
デス:オレは、ロックの他のジャンルも好きだけど、特にHR/HMっていうのはオレがロックを聴く入り口になったジャンルだからすごく思い入れがある。ただ、聴いている量だったら、他のジャンルもそんなに変わらないぐらい聴いてるし、なんならロック以外の他のジャンルもかなりたくさん聴いてるんだよね。
デス:あとテクノとかもね。
デス:そうだっけ?まぁ、オレ、20代後半ぐらいからは、一番聴いてる音楽はジャズだった時期もあるからなぁ。
デス:うん。で、このフェスは、さっきも話したような理由で、記録としてもあんまり残ってないから、他の音楽フェスと比べるとみんなに発見される機会も少ないし、「知る人ぞ知る」「HR/HMファンだけは知っている」みたいな存在になっちゃってて、すごく勿体ないと思う。
このフェスが、もともとどういう趣旨で行われたかって言うと…もちろんタイトルから分かるように、平和の祭典なんだけども。まぁ、大体の音楽フェスは平和の祭典とかになるんだよね。
デス: 特に“西側“諸国がやるものってなると、そのルーツを辿るとウッドストックとかだから、やっぱり愛と平和、反戦っていう方向性になる。で、オレがモスクワ・フェスについて今語りたいのは、単純にHR/HMが好きだからっていうだけじゃなくて、タイミング的にちょうどドンピシャでもあるからで。っていうのも、ロシアがウクライナを侵略しているっていう状況で、ロシアが暗黒のソ連時代に戻ろうとしているんじゃないか、なんならソ連時代の末期よりも悪くなってるんじゃないかっていう状況じゃん?だからなおさら、かつて“西側“のミュージシャンたちを中心に開催されたモスクワ・フェスって、かけがえのない尊いものだなと思うのよね。
デス:まぁ、どのグループも魅力があるんだけど、さっきも言ったように、Bon Joviはすごく売れていた時期だし、Scorpionsやオジーもまだ現役バリバリで売れているっていう時期で、若手のシンデレラとかSKID ROWはすごく勢いがあった。だから、あの当時のベテランから若手まで、米英独露のバンドたちの素晴らしいパフォーマンスが見られるっていう、単純に音楽的な楽しさっていうのもあるけれども、やっぱり東西のバンドが共演したこともあって、平和の祭典としての意義がすごく感じられる。
デス:うん。このフェス開催のきっかけになったのは、出演者であるBon Joviやモトリーの敏腕マネージャーだったドク・マギーがドラッグの密売でアメリカ国内で捕まったことなんだよね。
デス:で、刑罰として、社会奉仕活動をするようにという判決が下ったんだけど、どうせ慈善活動をするっていうなら、麻薬で捕まったのだから麻薬撲滅の活動でもやろうかっていう話になった。たまたまそのタイミングで、ソ連のゴーリキー・パークがアメリカに来る機会があって、ドク・マギーやBon Joviのメンバーと知り合って、意気投合して、そこから「じゃあ、ソ連でロックフェスをやればいいんじゃないの?」みたいなことになった。
デス:当時のソ連でも若者の薬物やアルコールの濫用っていうのが問題になってたらしいんだよね。それで、ロックって、ほら、なんだかんだで若者の音楽じゃん?そういう繋がり。
デス:ドラッグとつながりが強いヒッピー・カルチャーの象徴であるウッドストック、あるいは同時期かちょっと後のイギリス中心のレイヴ・カルチャーと比べて、アンチ・ドラッグが主旨なのが興味深いよね。
デス:うん。ペレストロイカ(政治改革)が進んでいたとはいえ、まだ東西両陣営の間では「鉄のカーテン」と呼ばれるような分断状態が続いていたから、西側諸国のバンドが集まって、ああいう大規模なロックフェスをやったってのは、まず、それそのものがすごいことだよね。しかも、HR/HMって、悪魔的な音楽とか堕落的な音楽とか非難されてたわけだし。そういうバンドたちが派手なロックフェスを、しかも、(それまでのソ連では禁止されていた)スタンディング形式でやったということも含めて、まぁ、色々と画期的なフェスだったと言えるよね。
デス: うん、あのね、このフェスのメンツ、特にBon Joviとかモトリーっていうのは、「軽薄な売れ線の何も考えてない能天気なパーティー・ロックやってる連中で、政治的なこととは無縁で、メッセージ性に極めて乏しいし、音楽的な芸術性にも乏しい」みたいな扱いを受けてたんだよね。
デス:Bon Joviは、80年代のHR/HM全盛期ですらも、「ルックスで売っててアイドルっぽい」って馬鹿にされたりもしてたし、90年代になって、米英で、グランジとか、HR/HMとは違うロックが流行るようになってからは、他の似たバンドも含めて、「HR/HMは画一化された、テクニック至上主義のアホ音楽」だとか「産業音楽であるHR/HMは旧時代の遺物」みたいな扱いされていた。
デス:うん。同じ80年代開催のフェスでも、例えばライブエイドに出演したU2やデヴィッド・ボウイやクイーン、もっと前の世代だとジョン・レノンとかボブ・ディランとか、ウッドストックに出たジミ・ヘンドリックスやザ・フーとかは、時代や社会を変えたロック・ミュージシャンという評価を得ているわけだよ。
デス:それと比べると、Bon JoviのようなHR勢は、売り上げでは匹敵するけど中身では全然足元にも及ばないかのような扱いされてきたわけよね。オレはそういうBon Jovi評、もしくはHR評みたいなものに、ずっと違和感を持ってたんだけど、あのモスクワ・フェスの映像を見て、その違和感とか反発とかが単なる思い過ごしじゃないっていう確信に変わった。
モスクワ・フェスとBon Joviという奇跡
デス:だってさ、あのフェスの何がスゴイかっていうと、当時のソ連では、音楽を筆頭に西側の文化が少しは入ってくるようになったとは言っても、ソ連の若者たちは、たとえば日本のような西側諸国に住む若者たちのようには、米英(および西側諸国)の音楽を聴けてなかったわけだよね。なんならこっそり海賊版で聴くとか、イリーガルな方法やイレギュラーな方法を取らないと聴けないっていうような状況だよ。
そういう国だった当時のソ連で、このモスクワ・フェスは、東西の掛け橋になったっていうことだよね。それって、国際政治や歴史にいい影響を与えたとも言えるわけだよね。
デス:そうそう。それでね、そのフェスでトリを務めるっていう、あの大役を果たせたのって、今考えても、やっぱりBon Jovi以外になかったんじゃないかと思うんだよね。
デス:うん。あの頃のBon Joviって、曲(歌詞)の中で特に政治的なことをやっていたわけではないんだけど、ジョン(Bon JoviのVo.兼リーダー)がこのフェスのパフォーマンス中に感動的なスピーチをしてから、Blood on Bloodっていう友情について歌った曲を演奏しているんだよね。
デス:そう、それにBlood on Bloodっていう選曲ね。あの時点で、あそこに集まったソ連の若者たちが日頃こっそり聴いて憧れてるような米英のロックで、しかも、英語母語話者ではない若者たちが聞いてもすぐ覚えられるような曲で、さらにあの場で歌うことに意義のある歌詞の曲ってさ、他にそんなにある?
デス:うん、もっと後の時代からの目で見たら、「他にもレッチリとかパール・ジャムとかオアシスとかグリーン・デイとかいるじゃん?」とか思うかもしれないよね。でも、さっき言ったように、西側のロックを聴くことって今と比べたらずっと難しかったし、当時のソ連の若者がこっそり聴いてたようなアーティストで…、当時の若者の間で流行ってた音楽じゃなきゃいけないわけだよね。エルヴィス・プレスリーとか多分特に流行ってないわけじゃんね。
デス:あの時点で、数万人規模のスタジアムを満員にして、その大勢の観客を一つにできないといけないわけよね?あの少し前だったら、Queenでも良かったかもしれないけど、あの頃にはフレディ・マーキュリーがもう体調も崩していたからね。で、モトリーとかオジーでも観客をひとつにすることはできただろうけど、歌詞の内容的にポジティブに友情みたいなものをあんまり歌ってはなさそうじゃん?もう少し露悪的というか。
デス: そうそう、どうせならモトリーやオジーと違ってドラッグとあまり縁がなく健康的で、あと、やっぱり、もともとポジティブな曲調でポジティブなことを歌ってるミュージシャンじゃないと成立しにくい。だから、HR/HM以外なら、U2だったら同じ役割ができたかもしれないけど、U2は政治的なメッセージ性の高いバンドだから、当時、ソ連に行けたかどうか怪しいよね。
デス:そう。だから、当時のBon Joviはあんまりポリティカルじゃないからこそ可能だったとも言える。
デス:あと、Bon Joviは、すごくアメリカ的なバンドでもあるんだよね。80年代当時は、アメリカ発のMTVがブームだったわけで、それと連動する形で人気が出たバンドだから、音楽性にしても、ビジュアル的な面にしても、まあ、すごくアメリカ的だよね。ショーも派手で、KISS(キッス)みたいなバンドの延長線上にあるような…
デス:そうそう。
編集追記(8/5):その"アメリカン"なバンドであるBon Joviがトリを務めるフェスが東側陣営の盟主であるソ連国内で開催されたことに、東西友好の掛け橋としての大きな意義がある、と言いたかったらしい。
Blood on Bloodと「鉄のカーテン」を超えた友情
デス: さっきの選曲の話に戻りたいんだけど、Bon Joviは、全部で7、8曲くらい演っているんだけど、ハイライトになってるのが、さっきから曲名を挙げてるBlood on Blood。これは、若い頃に、一緒にちょっと悪いこともした悪友たちとの友情について歌ってる曲で、大人になってそれぞれ別の道を歩むようになって、今は昔ほどつるまなくなったけれども、友情は緩やかに続いてるし、何かあればすぐにかつての悪友たちのために駆けつけるよっていう歌詞なんだよね。
デス:で、この友情についての歌詞が、たまたまアメリカに来たゴーリキー・パークとBon Joviが出会った話と重なるわけだよ。で、例のBon Joviのマネージャーが社会奉仕やらなきゃいけないっていうことと相まって、ソ連で音楽フェスをやることになって、一年がかりで準備してあれだけのメンツを揃えて、ソ連史上初めてのスタンディングOKのロックフェスを、トラブルもなく無事に成功させた。そういうゴーリキー・パークとの出会いをきっかけに、フェスの計画が始まったという話をMCで披露した後で、Blood on Bloodをやるっていう、その流れがあまりにもハマっていて、感動的なんだよね。
デス:そうそう。YouTubeの動画を観ていると、この時なんかは、会場で警備してた屈強なソ連の警察?兵士?そんな彼らも感極まってウルっときちゃってる感じなんだよね。
デス:でさ、これは昔NEWS 23で筑紫哲也が言ってたんだけども、ソ連崩壊には、経済的な問題とか、それ以前の東欧諸国における色んな民主化運動とか、アメリカの方がソ連より国力が強かったとか、色々な要因が考えられるけど、ロックとかジーンズとかに象徴されるアメリカの魅力的な文化がソ連の若者の間で流行るようになったことがひとつの要因として大きいと。
デス:それまで、ソ連は、共産主義国家こそが平等で豊かな社会であって、西側っていうのはすごく堕落して退廃しているとんでもない社会なんだってプロパガンダをしていたわけだよね。でも、いざ西側の情報が入ってくるようになって、西側の文化にソ連国民が触れてみると、アメリカってこんなに魅力的なものがいっぱいある国なんじゃん、ソ連よりもいいじゃん、ってなったわけだよね。それが、ある種の反体制的な動きに繋がって行くっていうか。それは東ドイツとかもそうかもしれないけれども。
デス: うん。あのフェスは80年代末だけど、1980年には、例のいわく付きのモスクワ五輪も行われているんだよね。
デス:まぁ、これは今現在に続く、色んな問題を孕んでいる象徴的な五輪なわけなんだけど、モスクワ・フェスって、それがまだ記憶に新しかった時期なわけだよね。Bon Joviのメンバーとかは、それをリアルタイムで見てる世代だし、五輪と言えば、ソ連のスポーツ選手ってなんかやたらと強くて怖いイメージがあったとジョンがアクセス・オール・エリアの中でも言ってた。実際、おっかない国でもあったわけだし。
それが、いざ現地に行ってみると、そこに住んでるソ連の人々は、自分たちとそんなに変わんないし、むしろ、自分たちが思ってた以上に、ソ連は貧しいんだって目の当たりにしたわけだよね(ジョンとリッチーはフェスの前に町中で弾き語りをしたりもしている)。オレらが、今も北朝鮮国内の詳しいことはあんまり分からないのと同じで、改革が進んだゴルバチョフ時代のソ連といえども、国家にとって体裁の悪いことはあまり表に出てこなかっただろうからね。
=Vol.2に続く=
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