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『ジョーカー』【ネタバレあり】:オジ&デス対談 第6弾 Vol.1

私の夫(デス・バレリーナ)とカエルのぬいぐるみが映画について好き勝手に対談形式で語る映画評シリーズ第6弾は『ジョーカー』です。空前絶後のガチギレ気味長編対談となっているので(ネタバレもし放題です)、Vol.1は他の方があまり触れていない(ように思う)「精神疾患の描き方」というバットマン関連作品にも共通している問題についてです。

「作品を理解できていないから」という偏見

オジサン 今日はいよいよ『ジョーカー』について語るということで…いいですか。

デス はい。

オジサン 詳しくはみんな自分でググって下さいってかんじですけど、ジョーカーはDCコミックスから出ているバットマン・シリーズの一番有名なスーパーヴィランのひとり。過去にもバットマンの映画などのいちキャラとして登場したことはあって、ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトといった演技派とされる俳優が演じてきてるわけですよね。で、ついにそのジョーカー主演の単独作品が撮られたということで、ボクたちも公開初日(10/4)にさっそく観に行ったわけです。

デス そうですね。

オジサン ざっとあらすじを述べておくと、コメディアン志望のアーサー・フレックという男がいて、彼は仕事としてピエロをして母親と2人で細々と暮らしているのだけれど、ひょんなことから暴力にとりつかれてジョーカーになっていくという話ですよね。で、これが世界的に大ヒットしてて、ヴェネチア国際映画祭で賞をとったし、社会的弱者のリアルを描いている作品として非常に高く評価されているんですけれど、ボクたちからすると…ちょっとそれはどうかな?っていうところが…

デス ちょっとどころじゃないね。(憮然として)

オジサン (笑) まぁ、その辺のことを語っていこうということで。まず何から言います?

デス あのね、その前にオレの自己紹介をしておきたいんだけど。っていうのも、『ジョーカー』みたいな映画を批判しているとね、特にフェミニストの女性なんかが批判していると、「この映画の良さは男にしかわからない」とか言い出す男が出てきたり、保守的な人間が表面的な暴力性に嫌悪感を覚えて中身をよく理解もせずに批判しているんだという風に決めつけてくる奴がいるから…

オジサン この映画を評価できない奴はどん底を経験したことがないんだ、とか言ってるひともいますよね。

デス そう。まぁそういうのがTwitterなんかでも顕著に見られるし、監督のトッド・フィリップスも「批判しているひとは映画が理解できていない」と言いたげな反応をしているんだけど、オレに言わせると、批判しているひとたちは、むしろあの映画をいいと言っているひとたちなんかより細部までよく観た上でダメだって言ってる場合も多いんだけど…

オジサン ダメだ、まで言ってる人はまぁ少数派ですけどね(笑)

デス とにかく、「表面的な暴力性やダークな内容に生理的に反発してるんじゃないか」っていう偏見を持っている人間がいる。そういう色眼鏡で見られたくないから、自己紹介したいんだけど、オレは中卒だし、社会的には所謂「勝ち組」では全然ない。かつて好きだと言ってた映画監督たちもバイオレンス、エログロなんかが特徴的な人たちだし、今見たら(特に古い作品なんかには)女性差別的だったりとかでモヤつくポイントもそれなりにあるような作風のひとたちなわけだよ。
 音楽も色々聴くけどヒップホップとかデスメタルとか、過激と言われるような音楽が好きだったりするわけで、暴力的なものとかダークなものに対する耐性はかなりある方なんだよね。

オジサン ま、そうでしょうね。ホラー映画好きですしね。

デス そう!だからスプラッタ描写にも耐性があるくらいで、ジョーカーなんか別に表面的な暴力性とかは大したことない。

オジサン まぁ、そこはそれほどじゃなかったですよね。

デス そう、そこに引っ掛かってるとかじゃない。必然性があれば暴力的でもダークでも別にかまわないわけ。で、アメコミも好きだし、コミックで一番たくさん持ってるのはバットマンだし…。映画はトータルで言えばDCよりはマーベルの方が上だと思ってるけど、ドラマはDCもマーベルも同じくらい好きだし、コミックスならどちらかと言えばDC推しなくらいだしね。
 そんなオレがジョーカーを観た結論としては「クソ以外の何ものでもない」

オジサン (笑)

デス はっきり言って褒めるところひとつもない。割とオレと近い感想を述べているひとたちも「ホアキンの演技はよかった」「ホアキンのダンスはよかった」「階段のシーンはよかった」とか言ってるんだけど、それすら良いと思わない。ひとつもいいところがない映画。

オジサン (笑)

デス あのね、はっきり言ってワーストクラス。ジョーカーのちょっと前に日本公開された『ヘルボーイ』のリブート版、あれが史上ワーストクラスにクソだったけど、それをもう一万光年くらい引き離してクソだった。

オジサン 『ヘルボーイ』への流れ弾がひどいですね(笑)

デス あれだったら、まだ『ヘルボーイ』の方がいい。オレがいままで映像作品で嫌いなやつといえば『バッファロー ’66』とか『エヴァンゲリヲン』とか岩井俊二の『リリィシュシュのすべて』とかル・コントの『髪結いの亭主』とかリュック・ベッソンとかさ、まぁ、いろいろあるわけだけど、そういう嫌いなものを一瞬で凌駕するクソっぷり。

オジサン 盛大に流れ弾が当たってますね(笑)

デス 何がクソかっていうと、まずね…「心優しき青年アーサーがいかにして悪のカリスマ、ジョーカーへと変貌していくのか」ってな作品紹介がされてるんだけど、アーサーはさ、物語の序盤では確かに特に悪人ではないけれど、心優しい青年と取り立てて言うほど優しくはないし、もっと言うと年齢的に青年じゃなくて中年だし…

オジサン それ!それ、ボクもずっと引っ掛かってました(笑)

デス で、すごく正義感があるわけでもない。少し同情的な見方をするなら、そういう社会正義とかについて考える余裕もないひと、とも言えるんだけれど、少なくとも「あんな心優しい青年が…」と言われるほどは優しくもないし。むしろストーカー行為したりとか加害的でさえある。
 で、ストーリー上はジョーカーになるんだけど、悪のカリスマっていうほどのカリスマにもなってないし、キャッチコピーに偽りがあり過ぎるんだよね。多少はキャッチコピーを盛るのはいいんだよね、それがサプライズになるとかならさ。でも、ひたすら落胆にしかならない!

オジサン (笑)


精神疾患と凶悪犯罪

デス まず指摘したい問題点は、精神疾患の取り扱い方。
 これはね、今回の『ジョーカー』に限らずコミックスも含めたバットマン関連の作品全般に言えることなんだけれど、バットマンのヴィランは犯罪者、特に精神的に問題があるという設定のサイコキラーが多いんだよ。で、バットマンは絶対に犯罪者を殺さないから、ジョーカーにしてもみんな捕まって、アーカム・アサイラムっていう精神的に問題のある凶悪犯を収容する医療刑務所に容れられる。ハーレイ・クインとかリドラーとか…

オジサン なぞなぞのひとですね。

デス そうそう、映画ではジム・キャリーが演じてた奴。あとはトゥーフェイスとかスケアクロウとか、所謂ギャング系じゃなくて猟奇殺人や知能犯系のひととかはそこに容れられるんだけど、そういう感じでバットマン作品ってもともと精神疾患的なものと凶悪犯罪を結びつける傾向がある。今どき、そういう表現はどうなのかっていう観点からアップデートが必要なところなんだけど、『ジョーカー』は、そういうバットマンの世界観の悪いところをそのまま踏襲してる。

オジサン 言われてみると、バットマンの世界ってそうですね…。すごく戯画的な「荒廃した街」で「狂った犯罪者」とコウモリ野郎が戦ってる世界。

デス で、『ジョーカー』の物語はアーサー視点で語られるんだけど、なんせ妄想癖があるから、どこまでが現実かがよくわからない。

オジサン 「信頼できない語り手」ってやつですよね。

デス うん。ただ、少なくとも物語の中では、アーサーは幼少のころに虐待を受けて脳に障害を負っていて、その後遺症を抱えている。そのひとつが笑いの発作。突然、笑い出してしまって止められない。それと妄想癖、これも後遺症の精神疾患の症状として描写されている。

オジサン 微妙に記憶障碍もあるように描かれていましたよね。

デス 映画だから精神疾患というものを暗喩的に描くことも手法としてはありなんだけれど、それが成功しているのかっていうとそうでもない。リアリズムという点でいうと、アーサーが発作を起こすタイミングが物語に都合が良過ぎる。

オジサン (笑)

デス 突発的に笑ってしまうという設定の割に、発作が起きる場面が計算されてる。まぁ、映画だし、発作についてはいいとしよう。
 オレが引っ掛かるのは妄想の方だよね。精神疾患由来の妄想にも色々あるけれど、あくまでオレが知る限り、あんな風に自分にとって都合のいい妄想をするって例はあんまり聞いたことがない。探せば存在する症例かもしれないけど、映画でああいう風に描くことで一般化してしまい、偏見を煽る可能性についての思慮が無さすぎる。
 オレもメンタルヘルスにかかったことがあるから、一般のひとよりは関連する情報に触れる機会が多かったとはいえ、デリケートな話だし、素人があまり踏み込んだことを言い過ぎちゃいけないとは思うんだけど、リサーチ不足なんじゃないかなって思うし、精神疾患を面白おかしく舞台装置に使おうとしているように見えてしまう。
 精神疾患の妄想には被害妄想とか誇大妄想とか色々あるけれど、例を挙げるなら、「自分は監視されている」とか「盗聴されている」とか…

オジサン 「後をつけられている」とか…

デス そう。「命を狙われている」とか…。そういう妄想って、予備知識のない他人からしたら荒唐無稽に見えるけれど、本人は現実だと思っているから当然苦しんでいる。アーサーの場合、基本的に自分に都合のいい妄想に偏っているでしょう?

オジサン そうですね、楽しい妄想。

デス で、本人はそれを現実だと思っているから、途中で現実じゃないって気づく場面があるんだけど、気づいてないだけで他にも妄想の場面があるのかもしれないし…、まぁ、要するにね、妄想によって苦しんでいるという描写が弱い。あんな都合の良い妄想ばかり浮かぶかなぁ。色々と雑然としすぎていて、なんか単純に妄想癖があるだけの人なんじゃないかなって気がする。
 ただ、あの時代の精神医学っていうのはそれほど発達してないから…

オジサン 舞台は1980年代初めですからね。

デス 今でも誤診はあるし、精神医療が発達してない社会では、ほら、精神疾患って明確に数値化しやすいものじゃないから、誤診は起きやすいんだよね。なんせあの映画では、ゴッサムは貧困で社会福祉が機能停止になりかけているという状況なわけだから、きちんとした診察・診断が受けられているのか疑問が残るし、彼の妄想癖は精神疾患由来という設定とはいえ、どこまでが妄想か否かはちょっと明確には分からない。で、こういう「よくわからないようになっている」というのも作り手が逃げてるなって思うんだけど。

オジサン そうですね。

デス 逃げるんだったら最初から安易に精神疾患を持ち出さなければいいのに。精神疾患と真面目に向き合って描こうという気概はないけれど、ショッキングな舞台装置としては使いたい、でも、クレームをつけられたときに逃げる口上につかえそうだからって曖昧に描いているんじゃないかって気がしてしまう。

オジサン わかります。

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作家の意図と「多様な解釈」

デス ジョーカーのそういう曖昧なところを「多様な解釈ができる」って言って褒めているひとがいるけれど…

オジサン 結局、何をどう描こうとしたのかっていうのがはっきりわからないから、見たひとが何を言っても「それはあなたの解釈ですよね」と言って逃げられるようになってるんですよね。

デス 実際、トッド・フィリップス自身がさ、色んな解釈ができるからあんまり特定の解釈を押しつけたくないとか逃げるようなこと言ってるんだけど、ただ、一応は「思いやりについてみんなに考えてもらいたい映画」とは言ってるんだよね。じゃあ、本当にそういう映画になってるのか?

オジサン そうですね。まぁ、映像作品に限らず、芸術作品っていうのは作者の意図を越えるものだというのは仕方がないことだから、どういうつもりで作ろうが、違う解釈や違う視点が出てくることそのものは問題じゃないけど、とりあえず監督が意図したような解釈が可能な作品に仕上がっているのかっていう話ですよね。

デス 音楽だろうが映画だろうが、解釈は聴き手や観客に委ねるって言っちゃうクリエイターはけっこういるけれど、実際に自分が作った作品があまりにも不本意な解釈をされていたらね、だいたいのクリエイターは文句を言うんだよね。任せるとか言いながらね、まぁ、そういうものですよ。
 で、どうやらアメリカではインセルっぽい連中がけっこうこの映画に喜んでいるわけだよ。トッド・フィリップスがそれを不本意だと思ってるなら、絶対に何か言うはずなんだよね。言わないってことは、少なくともあいつはインセルに同情的か、同情的でないにしてもインセル的な価値観とは一線を引きたいと思うほどはインセルに対して拒否感がない人間だってことだよ。

オジサン まあそうですよね。インセルが喜んでいることに対して特になんとも思ってないってことですからね。

デス インセルってのは色んな分析ができるし色んな理屈をこね繰り回しているけれど、「差別はいけない」っていう普遍的な価値観を否定する連中だから、あいつらの価値観を肯定的に評価できるポイントはないんだよ。だから、「そういうものも受容しますよ」みたいな態度をとる時点で、どうなの?と。
 で、トッド・フィリップスの態度を別にしても、映画自体もインセル的価値観を受容するようなものになってる。そこだけは明確にそういう作りになってる。で、そういう自分たちを被害者ポジションに置きつつ、本当に差別を受けたり抑圧を受けている人たちをさらに抑圧したいだけの連中、そんな奴らをエンパワメントしてる映画のどこに思いやりがあるんですか?と。

オジサン 精神疾患に関する描写でボクが気になってることのひとつは、「薬」なんですけど、社会福祉予算の削減によってアーサーは薬とカウンセリングという支援を失うことになる。最初の頃に7種類の薬を飲んでいることに言及しているので、それを突然やめたら影響がないわけがないと思うんですけど、最初から最後まで特にアーサーが変わった様子がない…。トッド・フィリップス的には、アーサーは薬を飲むのをやめてから「気分が良いんだ」と言っているし、人殺しを始めているから変わってるつもりなのでしょうけど、薬が切れたからっていきなり殺人犯になるっておかしいし、差別的なのでは?と思うンですよね。

デス おそらく精神薬は彼にブレーキをかけていたもののメタファーであって、それを外してアクセル全開にしたら気分がいい!みたいな表現なんじゃないかと思うんだけど、それは別の方法で表現すべきものだよね。わざわざ精神疾患の薬っていうデリケートなものを凶悪殺人犯のブレーキみたいな扱いで出すのはどうかと思う。

「考えさせる映画」と「考えさせられる映画」

オジサン あと「こうやって色々考えさせるから良い映画なんだ」って言うひといるじゃないですか。でも、こっちは考えたくもないことを考えさせられているって言うか…

デス 無駄なことを考えさせられる映画なのよね。その、すごく思索的な映画っていうのは確かにある。色んな解釈ができて難解だけど深遠なテーマがある、みたいなさ。でも、『ジョーカー』にはそんなもんないわけ。単純にごちゃごちゃしてる…

オジサン モヤモヤするし辻褄が合わないし、色んな点がはっきりしない、映画内での描写が不足しているから脳内で補わないといけなくて無理やり考えさせられているだけなのに、あたかも深遠なテーマを見せつけられたかのような気分に陥ってるひとがけっこういるって感じがするんですよ。

デス 明快な答えってものが見出しにくい物語を深遠だと錯覚する仕草みたいな…。まぁ、もちろんそういう映画もあるんだけど、『ジョーカー』は単純に中身なんもないってだけ。

オジサン やっぱね、無責任の一言に尽きるんですよ。どこまでが妄想かっていうのもきちんと描かないから、「ここまでが妄想ならこうだね」っていう解釈が不可能なわけじゃないですか、最終的に。「これは現実だと思うけど、でも妄想かもしれない」ってなっちゃうと、妄想と現実の対比さえできない。もしかすると最後の最後の白い壁の病院の場面以外全部妄想かもしれないって解釈も可能なわけじゃないですか。本当に無責任だなって思って…

デス オレも考え得る限り色々な解釈を試みたけど、どの解釈をしたところでろくな意味が見出せないというか。どんな解釈をしても整合性がつかない部分が出てくるし、ツッコミどころが出てくる。

オジサン あと、お母さん。あのひともカウンセリングとか精神的なケアが必要なひとだと思うんですけど、彼女はそういったケアを受けている様子がなくて、なぜアーサーだけが支援を受けられていたのかも謎ですよね。そして、お母さんの過去が明かされることで、観たひとに「精神疾患は遺伝する」みたいなイメージを植え付けかねない。実際には、アーサーは養子である可能性も示唆されるし、彼の精神疾患は虐待の後遺症という設定になってはいるけれど、印象としては遺伝的影響とも取れてしまう描写になってると思うんですよ。非常に危うい描き方だと思います。

デス あと、個人的な趣味を言うとね、ああいう狂人ワナビー映画はもう飽きたっていうかさ。

オジサン (笑)

デス 上目遣いでニヤついた表情を作って、痩せこけて肩甲骨浮き上がらせて…っていうやつ、誰がやったって異様に見えるでしょ、あんなの。ああいうの、もうお腹いっぱいだよね。ああいう演技っていうか、もうさ、狂人を演じる様式みたいなものがもうあるわけだよね。ホアキンはさ、その様式をなぞってるだけ。同じジョーカーでも、むしろその様式から外れてるのはヒース・レジャーの方なんだよ。
 ヒース・レジャーは『時計仕掛けのオレンジ』のアレックスとSex Pistolsのジョン・ライドンを参考に役作りしてほしいって監督(クリストファー・ノーラン)から言われたらしいんだけど、結果的に、ヒース・レジャーのジョーカーは表面的なスタイルや仕草はどちらにもあまり似てない。キャラクターの立ち位置とか、どうにも魅力的な悪役という意味では通じてるけど、かなりオリジナルな部分が大きい。だから、他のジョーカーともコミックのジョーカーとも、過去の色んなヴィランとも一線を画している。
 それと比べるとホアキンのジョーカーはすごく狂人的キャラの様式美に沿ってるだけっていうか。その様式で演じれば、様式なんだから、そりゃあ狂人に見えるわけだよ。それが「アカデミー賞確実」とかさ…。もともとアカデミー賞ってどうなの?ってとこあるけど、なおさらありがたくないわ!

オジサン すでにヒース・レジャーのジョーカーが助演男優賞を獲ってるのに、なんか「アメコミ映画は権威ある賞とは無縁だった」みたなかんじで、今度こそは!みたいなテンションのひともいるのがちょっと謎ですよね。

===Vol.2へ続く===

※ なお、2019年のアカデミー賞では、作品賞は逃したものの『ブラックパンサー』が衣装賞、美術賞、作曲賞の3部門を受賞し、『スパイダーマン:スパイダーバース』は長編アニメーション賞を受賞している。


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