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『アクアマン』(Aquaman):オジ&デス対談第一弾 Vol.2

《アクアマンの音楽の話をしよう!》

話したいことがたくさんある魅力的な映画である『アクアマン』。Vol.2はあまりネタバレし過ぎずに話せるということで、音楽について。東京に引っ越してきたときに送ってきた荷物で一番多かったのがCDという音楽クラスタでもあるデス・バレリーナが語り出すと、やっぱり話はなかなか終わらない…

「ラップでアップデートされた“Africa“」

デス オレ、さっき、補足したいって言ってオジサンの話の腰を折っちゃう形になったけど、オジサンがさっき音楽の話をしようとしてたでしょ?

オジサン え?そうでしたっけ?

デス オジサンが「アクアマンの音楽…」って言ったところで、オレが「先に補足していい?」みたいなかんじで、腰を折っちゃったんだけど…

オジサン そうでしたっけ?あんまり音楽の話しようとした記憶がないんですけど…

デス あ、そうなの?まぁ、オレは、したいからいいんだけど(笑)

オジサン なんだ。デスのひとがしたいんじゃないですか(笑)

デス うん。アクアマンの劇中でもっとも印象的に使われている曲はアクアマンとメラが西サハラの砂漠を旅する場面で流れるPitbull feat. Rheaの“Ocean to Ocean“なんだけど、TOTOの“Africa“って曲をベースにしている。ピットブルのラップとR&B系の女性シンガーが歌っているサビの部分で構成されていて、アレンジも現代風のヒップホップって感じの曲で…

オジサン あれ、いい曲ですよね。

デス そうそう、すごくカッコいい。で、WaterTower Music(※ワーナー・ブラザーズ傘下の音楽レーベル。映画のサウンドトラックが多数リリースされている)がそのPVをYouTubeにアップしてるんだけど、この対談の時点で高評価の方が3.5万に対して低評価が12万以上ついてる。
 で、その批判の理由が、「マーベルは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(以降GOTG)』で昔懐かしの曲をうまい具合にそのまま使っているのに、なんでDCはラップ調にして変なアレンジしてんだよ」「TOTOに失礼だ」みたいなことらしいんだけど、オレに言わせればTOTOの原曲は1980年とかオレら(デス&珈音)が生まれた年とかの曲なわけ。産業ロックと呼ばれていたもので、当時のハードロックなんかと比べてもだいぶソフトな感じ。だから、はっきり言ってアクアマンの、あの豪快さとかスケール感に比して曲調自体にパンチがないっていうか…。

オジサン そうですね、改めて原曲も聴きましたけど、なんか「ほわっ」とした感じ。

デス そう。それをいきなりあそこで流されても違和感あるから、いや、まんま流す方がおかしいでしょ?っていう…。

オジサン あれは、アレンジ、ほんとにカッコいいですよ。

デス あれはアレンジして正解だし、ラップっていうのは、もともと黒人を中心とした有色人種の音楽なわけじゃん?そこにR&Bっぽい女性ボーカルが入ってくるっていう。要するに、白人男性主体による産業ロックが、有色人種とか女性がやってる正反対のジャンルによって現代風にアップデートされているわけ。多分、そのことが気にくわない、懐古的なマジョリティのオヤジのくそロックファンとか、レイシストとかセクシストみたいな奴らが、おそらく映画も見ずに、あの場面でTOTOの“Africa“流した方が違和感あるだろってことも知らずに、あるいは映画を観ても馬鹿だから分からずに、ガタガタ文句言ってるんだろうと思う。

オジサン なんか今の話ですけど、ちょうど今日れっどさんが買ってきたビッグイシューで、大ヒットを飛ばしてたホイットニー・ヒューストンが黒人のひとたちからはむしろ「白人受けする音楽やりやがって」っていう扱いをされてたということを知ったんですけど、それをちょっと思い出してました。
 要は、有色人種のなどのマイノリティが自分たちのルーツにかかわる音楽っていうのを使って、白人男性などマジョリティの曲を変えているのが気に入らないってことですよね。たとえば歌っているのが有色人種でも女性でも、原曲のままであれば、そこまでは言われなかった可能性があるわけですよね。
 あと引き合いに出されているGOTGですけど、あの作品の場合、主人公であるピーター・クイルは、80年代に地球から誘拐されたわけじゃないですか。で、地球と死んでしまったお母さんとの繋がりが、お母さんがくれたカセットテープだけ、だ か ら 原曲のままであることに意味があるわけじゃないですか。

デス そうそう。

オジサン あれは、原曲そのままでなければいけない必然性があるから、そのまま使っていて、かつ、それを非常にうまく、宇宙を舞台にした物語にマッチさせたっていうのが画期的だったわけで、単に70〜80年代のヒット曲を使ったらよかった、っていう話じゃないんですよね。

デス そう!

オジサン なんか、そういうことをまる無視して、GOTGを引き合いに出して欲しくないですね!

デス そう!お前らはGOTGの良さすらも分かってない!っていうね。しかも、GOTGは懐メロ的なものだけでやっていくと弱いなっていうところでは、ちゃんとオーケストラなどで補ってるんだよね。ついでに、TOTOのあの“Africa“って曲は、当時から「アフリカのことよく知らずに、アメリカ人が適当な想像でアフリカのこと歌いやがった曲」みたいに、ある種差別的な曲って言われてたんですよ。

オジサン そうなんですか。

デス そうそう。で、今回のカバーでも、歌詞は…ラップの部分は多分聴いた感じだとオリジナルなんだよね。アクアマンという「人種的マイノリティ」とオーバーラップするような、マイノリティによる反骨精神みたいなものをラップしてるかんじで。サビの部分の歌詞はそのままなのか、ちょっとわからないんだけど、TOTOの原曲そのまま流したら、当時でさえ批判されたような曲をいまどきそのままやんのかよってなりかねない。それを、ヒップホップやR&Bの文脈で再構築したから、よかったわけで…

オジサン 歌詞の部分は…サビの部分はあんまり問題がないのかもしれないですし、あれはメラが初めて地上を旅して、地上を知っていくっていう過程ですからね。意味があったんじゃないですかね。

「ブラックマンタのDIY精神とあえてのDepeche Mode」

デス で、ブラックマンタ。ブラックマンタは、提供された武器やアーマーを自分で改造したりペイントしたりしてアレンジしていくんだけど、もともと白かったパーツを黒く塗装したりして、あれもブラックパワー的なもののメタファーになっているし、そのDIY精神というのが、白人で言うならパンク、黒人ならヒップホップ的なDIY感というか。しかも、そこで、ヘルメットからビームでちゃって天井溶けちゃうみたいな、ちょっとマヌケなシーンも入れて愛嬌だしたりとか。で、意外性のある選曲をしてて、あの場面で流れるのは、ラップではなくてデペッシュ・モードなんだよ。ここでベタにヒップホップ流したら、それもいいんだけど、それよりも一捻りしてデペッシュ・モード流しちゃってもいいよね、みたいな。そういうのも良かった。

オジサン あのシーン、ブラックマンタ、もらった武器をそのまま使うんじゃなくて、開発してるじゃないですか。ちょっと、海賊やってる場合じゃないんじゃ?みたいな気持ちにさせられますよね。

デス そうだよね。あそこで、ブラックマンタが単なる武骨な海賊ではなくて、メカニカルで、科学者的な…

オジサン しかもですよ、しかも、それだけじゃなくて、突然「名乗りの台詞」みたいなの言い出すじゃないですか。

デス うん、あれ、急にちょっとキャラ変わってきたよね(笑)

オジサン ねぇ。単に「復讐にきたぞ」とかじゃなくて、急にキメ台詞をいい始めちゃうじゃないですか。あの辺もサイコー。で、しかも、キメ台詞って、本来、むしろ悪役よりもヒーローが言うことが多いわけですよ。特に日本の特撮ものなんかだと、みんな変身して、その後、「名乗りのポーズ」ってのがあるじゃないですか。ポーズとってから「〜レッド」とか「〜ブルー」とかって。あれみたいだなって。ヴィランなのに、名乗りのポーズを始めた、と思って…サイコーだなって。

デス しかも、いかにも覆面キャラっぽいちょっと抽象的な物の言い方になってるっていうか。「おい、お前!親父の敵を取りにきたぞ!」とかじゃなくて…

オジサン その割に「これで誰だかわかるだろう」シャキーン!!って中身を自らバラすっていう…(笑)

デス そうそうそう(笑)ブラックマンタにしてもオームにしても、ヴィランの方もただの悪人ではなくて、かといって、よくある闇落ちしたひとというのでもなくて、もう一捻りある、魅力ある人物として描かれていてよかったよね。

オジサン ちなみに、歩兵さん(珈音の姉)には「ブラックマンバ」って名前間違えられてましたけどね。30分くらいしてから「マンバじゃなくてマンタだったわ」ってLINEきましたけど。

デス マンバって楽器っぽいよね。

オジサン マンバは毒蛇ですよ。

デス ああ、言ってたね。

オジサン 「マンバの方がカッコよくない?」とか言い始めるし…。でも、海だし、おじいちゃんがそう呼ばれてたから、マンタじゃないと意味ないんですけどね。

デス あと、まぁ、音楽好きな人たちが褒めてるのが、お父さんとお母さんが一緒に生活しているときに、灯台に上ってる場面で、Sigur Rosっていう…北欧だったかな、のバンドで、エンジェルボイスって呼ばれるキレイな声のシンガーなんだけど、あの使い方がよかったとかも言われてて、シガー・ロスにデペッシュ・モードにピットブルっていう、この多国籍感もすごいなっていう。

オジサン そうですね、色々幅広くて。

デス しかも、GOTGに対抗心を燃やし過ぎて、『スーサイド・スクワッド』がやっちゃったみたいに、印象的な曲を無駄遣いしたり、いかにも「こういう曲を使ってますよ!」感を出すのではなくて、たとえばデペッシュ・モードはピットブルと比べるとさりげなくかかってる。でも、ピットブルの方はもうすごく堂々と使われてるわけじゃん?そこら辺の緩急の付け方もよい。

オジサン ほんとにセンスがいいですね。

「チームワークは成功の鍵」

デス ジェームズ・ワンは、『インシディアス』とか『死霊館』みたいにユニバース化が進んでいる作品を見たらわかるんだけど、最初の一作か二作を監督したあとは制作に回ることが多い。で、ジェームズ・ワンのチームの、彼が見だした若手のひと、助監督とか脚本をやってたひとに監督をさせたりとか、新人の育成にも力を入れてて、ジェームズ・ワンのチームが作った作品は監督が彼じゃなくてもクオリティが同等に保たれていて、かつ作風も受け継がれたものが作られてる感じがする。だから、彼はワンマンではなくて、チームワークを大事にするひとなんだな、って。そこら辺は最近の映画界の潮流にも合致してる。
 マーベルやDCのような、原作があって、他の作品との兼ね合いもあって、ユニバース化っていうのが大前提にあると、個々の監督の強い作家性というものだけではなくて、チームワークというものが必要になるからね。それは俳優もだけど。

オジサン あとは、あれですよね、ひとりでやるとミスが起きやすいってのもあるんじゃないですか。あの、それこそ、多様性ってこともそうですけど、チームでやっていれば、偏ったりせずに、新しいアイディアも出やすいんじゃないですかね。

デス そうそう。だから、そこでワンマン的な監督だと批判的なこと言い辛いわけだよね。キレられるんじゃないかな、とかさ。

オジサン 写真で見ても、ジェームズ・ワンってめちゃ意見きいてくれそうですよね。

デス うん、優しそうだよね。

オジサン 「それはちょっと変では?」って言っても怒らなそう。「そうかな?僕はこう思って撮ってるんだけど。」とか説明してくれそう。

デス 音楽にしても撮影にしても演技にしても台詞にしても脚本にしても、どこまでがジェームズ・ワン個人のアイディアなのか、っていうのはわからないけれど、彼が才能があるだけじゃなくてチームワークを大事にする人だからこそ、色んな意見も出て、良い映画になったっていうのは言えるんじゃないの?

オジサン もう2の制作も決まっているということで、楽しみですね。まぁ次回はどう考えてもブラックマンタと戦うことになると思うんですけど、オームとアーサーが仲直りして共闘するっていう場面も期待しちゃいますね。共闘すると見せかけて裏切るとかもあっていいかもしれないですね。

デス まぁ、ちょっと、ソー×ロキみたいなね。ソーは引退しちゃう予定だし、ロキはスピンオフのドラマが作られるけど、映画では死んじゃったってことになってる様子だし、これからソー×ロキは恐らくマーベル映画ではメインキャラじゃなくなるから、ソー×ロキに代わって、でもソー×ロキとは一味違ったライトなBL的な…

オジサン 兄弟萌えクラスタが喜ぶあれですか?(笑)

デス まぁ、そういうのも見せてくれるといいかなみたいな…(笑)

オジサン なんなんですかね、このひとは。なんでそこでBL期待してんですか、みたいな(笑) まぁもうすでにそういう漫画とか薄い本の元ネタみたいなものもツイッターなんかにあがってますからね。

デス そういうのは、もう…読んでますけど…

オジサン (笑)

デス 「アクアマン」で検索すると出てくるからさ。

オジサン あの兄弟には喧嘩して仲直りしてみたいなのを繰り返してほしいなと思ってるひと多いんじゃないですかね。で、ブラックマンタはシン博士と協力してアクアマンに喧嘩を売りにきて、ちょっとマヌケなことになったりして「覚えてろよ!」って去って行ってまた喧嘩売りにくるみたいな定番ヴィランとして、戦ってるんだけどお互いにちょっと親愛の情も湧いちゃうみたいな感じの…位置を期待してます(笑)

=Vol.3に続く=

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