スパイダーマンあれこれ:オジ&デス対談第二弾〜前編〜
カエルのオジサン(注:「オジサン」という名前です)と私の夫が映画についてトークするシリーズ第二弾は、スパイダーマンあれこれです。3月8日から日本でも大ヒット公開中のスパイダーマン映画『スパイダーバース』に度肝を抜かれたところで、過去(および現在進行中)の実写版スパイダーマン映画についても語り直したいよね。
『スパイダーバース』の「新しさ」とは?
オジサン 今回のテーマは、現在、大ヒット劇場公開中のアニメーション映画『スパイダーマン:スパイダーバース』と過去のスパイダーマン関連作品についてなんですが、まずは『スパイダーバース』の感想から聞きましょうかね。
デス うん。まぁ、ざっくりとした感想を言うと…『アクアマン』とか『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(GOTG)を見た時と同じく「限りなくパーフェクトに近い作品」ってことになるけど、『スパイダーバース』はアニメーション映画だし、MCUとも繋がっていない独立した作品で世界観も独立している上に、アニメならではの表現を駆使しているから、同じアメコミものでも実写映画とは違う次元で語る必要があるよね。
オジサン 他のひとも言ってますけど、映像表現としてアニメーションで今できる新しいことをやった作品という感じですよね。ピクサー作品などで「アニメらしいリアルな表現」はもう完成形まできてたと思うんですけど、その先を行く「アニメならではの表現」をやった作品で、アニメだけどコミックっぽい、3Dだけど2Dっぽいところがあるすごく面白い映像になってますよね。
デス 最近の表現行為は、映画にしても音楽にしても、何から何まで新しいものっていうのはなかなか難しい。ほとんどのことがもうやり尽くされちゃってるから、その中でどう新しいものを作り出すのか、という話になってくる。『スパイダーバース』は3DCGアニメをベースとしつつ、そこに手描きのアニメをひとコマずつ上書きしていくという手法を使ってて、CGと手描き両方のテイストが、ハイセンスにスタイリッシュにひとつにまとめられた映像になっている。で、登場するスパイダーマンたちの絵柄がそれぞれ異なってる。
例えば、スパイダーマン・ノワールは1930年代からやってきたスパイダーマンという設定だからモノクロでフィルム・ノワール風。質感もドットが粗いというか…アンティークなかんじになってる。一方で、未来のニューヨークからやってきたペニー・パーカーは、明らかに日本の漫画・アニメ文化へのオマージュなので、SP//drというロボットに乗っているし、絵柄は日本の漫画・アニメ的な「平面的」なものになってる。さらに、スパイダー・ハムは豚のスパイダーマンで、いわゆるカートゥーン風にデフォルメされて描かれてる。
そんなかんじで、みんな絵柄や質感が使い分けられていて、いろんなアニメ手法を複雑にクロスオーバーさせてて、さらにそこにコミック的な表現も入れてるんだよね。効果音が文字でそのまま出るとかね。
オジサン あれ、ジョジョっぽいですよね〜。
デス あ、ジョジョもそうなの?
オジサン そうですよ。(何を今さら…という口調で)
デス そうなんだ。
まぁ、そんなかんじでコミックス愛とアニメ愛に溢れてるんだけど、でもオタクっぽい趣味的世界に引き篭らずに万人に開かれた開放的な作品になっているところが素晴らしいというか…。そりゃあヒットするし、アカデミー賞もとるでしょうって。
オジサン そうですね。で、アニメ部門のアカデミー賞をとった最大の理由はやはり映像表現の新しさにあるとは思うんですけど、ストーリーについてはどうです?
デス ストーリー自体は、従来のスパイダーマンものを踏襲してるし、ひとりの少年がヒーローになるまでを描くっていう王道なんだけど、主人公(マイルス・モラレス)が有色人種の男の子というのは新しいよね。お父さんはアフリカ系アメリカ人でお母さんはヒスパニック系だったかな?で、マイルス本人はヒップホップ的なストリートカルチャーが好きで、壁にスプレーでグラフィティを描いたりしてる。
オジサン アメリカの今の人口比をみるとヒスパニック系がかなり多いので、それをきちんと反映して、彼の暮らしている地域では町のひとたちがスペイン語で挨拶してるし、お母さんもマイルスにスペイン語でも話しかけるんですよね。そうやって、当たり前に母語としてスペイン語も話すし、アメリカで生まれ育ってるから英語も話すし、っていうの、あれはアメリカのある部分でのごく普通の現実なんだと思うんですよね。
デス うん。で、スパイダー・ウーマン(スパイダー・グウェン)は女の子だし、ペニー・パーカーはアジア人風の女の子。さっきも言ったように、ピーター・ポーカー(ハム)は豚っていうね。GOTG的な種を越えた多様性を持ったチームになってる。だから、ストーリーは王道なんだけど、映像表現の斬新さとキャラクターの多様性が新しくて今日的だってことで評価されてるし、それがヒットの要因になっていると思う。
要するに、キャラ設定とか物語の背景とか映像表現が新しくなるだけで、ストーリーの根幹が王道でも作品自体は新しいものになるということだよね。たとえば、最近観た『アリータ:バトル・エンジェル』は、王道というかベタでさえあるストーリーにジェームズ・キャメロンのハイテクなSF的世界観とロバート・ロドリゲスらしいアクションが組み合わさっていてとてもよかったけど、じゃあ、新しいかというとそうでもない。作品としての品質は高いから充分に面白いし楽しめるけれど「新しさ」は感じられなかった。
オジサン そうですね。映像としてはすごくカッコいいと思ったので、続編もできたら絶対に観ますけどね。
デス 『スパイダーバース』は、その点、映画そのものが「新しいもの」になっているよね。
オジサン ほんとそうだと思います。
サム・ライミ監督版『スパイダーマン』:悩めるティーンエイジャー・ヒーロー
オジサン で、もう『スパイダーバース』に関しては、「みんなつべこべ言わずに観てください」ってことで、過去のスパイダーマンの話をしたいと思うんですけど、いいですか。
デス いいですよ笑
オジサン さっきデスのひとが話していたように、『スパイダーバース』はスパイダーマン達が多種多様で主人公は有色人種の少年だし、(ヴィラン含めて)女性も大活躍する映画でしたけど、じゃあ、過去のスパイダーマンはどうだったのか?と。まずはサム・ライミ版の話からしましょうか。
デス スパイダーマンはさ、従来のさ、バットマンやスーパーマンに代表されるスーパーヒーローというものが、基本的に逞しい大人の男性であったのに対して、体格的にもひょろっとした少年で、性格もいわゆる熱血漢とか正義漢というわけでもない、思春期特有の繊細さや悩みを抱えた、ユースカルチャー的なヒーローとして出てきたんですよ。
オジサン なんで「私はリアルタイムでスパイダーマンの歴史を見てきた」みたいな空気出してんです?
デス 歴史を語るときはそうなるもんでしょ!笑
オジサン そういうもんですかね。
デス (強引に)うん。で、当然サム・ライミ監督のスパイダーマンも「悩めるティーンエイジャーのヒーロー」という側面を強く描いていて、かつ、良くも悪くも思春期の男子のスーパーヒーロー…
オジサン 要は中二病ですね?
デス そうそう。中二病と…性的なものの萌芽を示すメタファーが多いんだよね。まぁ、わかりやすくいうと、恋愛がなかなか成就せずに童貞であることにコンプレックス持ってる風な映画って言うか、三部作揃ってね。
オジサン だから、そういう中二病男子がアイデンティファイしやすいキャラになってますよね。
で、デスのひとは原作コミックも集めてますけど、原作のスパイダーマンと比較してどうです?ボクにはちょっと口数少なめになっているように見えるんですけど。
デス そーだなぁ…。特別少なくもないけど、やや少なめな気もするかなぁ。
オジサン ボクの印象だと、サム・ライミ版のスパイダーマンはヒーロー活動中にあんまりべらべら喋らないし、ピーターのときも声が小さめでぼそぼそ喋る感じで、デッドプールの元ネタになっているとは思えないというか…
デス べらべらちょっとウザく喋るスパイダーマンというキャラを原作に近い形で再現しているのはどちらかというとその後の『アメイジング・スパイダーマン』(以下アメスパと略す)とか『スパイダーマン:ホームカミング』とかの方だよね。
オジサン ボク、実はサム・ライミ版しばらく見てないんで、ちょっとあやふやなところもあるんですけどね…。3については「サンドマンかわいそうだったなー」くらいしか覚えてないし、2については「Dr.オクトパスがダサいな、かっこ悪いな」ってかんじだし…
デス 『スパイダーバース』のDr.オクトパスの方がカッコよかったよね。闘い方も洗練されてた。
オジサン そうですね。サム・ライミ版はグリーン・ゴブリンがすごすぎて、その後のヴィランのひとたち、ちょっと霞んじゃったかなーってのはありますよね。
デス ああ、それはあるね。グリーン・ゴブリンってスパイダーマンのコミックでもヴェノムと並ぶ最大のヴィランだしね。3で出すくらいでよかったかもしれないけど…時系列的に1で出すしかないし…。まぁ、あとはやっぱ役者だよね。ウィレム・デフォーだから。
オジサン ねぇ。あとグリーン・ゴブリンって飛んでくるから「どこから襲いかかってくるかわからない」っていう怖さもあるけど、Dr.オクトパスって機動性が低いっていうか…。
デス そうだよね。まぁ、逆にいうと、ヴィランはあんまり変なのいなかったんだよ、サム・ライミ版。
オジサン そうなんですよね…。あ、ヒロインについては長くなりそうなんであとで話しましょう笑
スパイダーマンとナショナリズム
オジサン で、あれの話します?イデオロギー的には…の話。話すと長くなるから止めます?
デス あー、うんとね、ちょっと…でも端的に言っておきましょう。
オレ、リアルタイムじゃなくて後追いで観てるから、公開当時どんな批評があったのかについてよく知らないんだけど、一説には「9.11テロのタイミングと被ったことで、星条旗が出てくる場面も多いし、ガチではなくてもっと素朴なものとはいえ、若干ナショナリズム的な傾向があるのではないか」という指摘があるらしいけれど、オレが観た限りでは、そうじゃない。
確かに星条旗が象徴的な場面で出てくるし、星条旗はスパイダーマンとの行動とリンクする形で出てくるんだけど、ナショナリズムや愛国心を相対化するような形で出てきてる。「大いなる力には大いなる責任が伴う」っていうあの有名な台詞だけど、ベンおじさんは「力があるからってむやみやたらにそれを行使してはいけない」ということも言うわけだよ。ピーターは一時は調子こいてエゴイスティックになり、正義のために力を使わずトラブルを招いたり、ベンおじさんを死なせることになったりするわけだけど、そういう出来事を通じて、力の使い方とか使う相手とか、使うにしてもどういう場面で使うべきなのかっていうことが、ピーターの成長とともにきちんと描かれてる。
これは『アクアマン』にも通じると思うけど、サム・ライミ版スパイダーマンは、三部作通して、戦うときには戦うけど、なんでもかんでも力づくじゃないし、むやみに相手を殺さないし ——まぁ、一時期は闇落ちしかけるけど—— 相互理解とか赦しというものが大事だよねっていう平和主義や博愛主義みたいなものに辿り着くんだよ!だから、あの時期の、ネオコンが牛耳ってたブッシュ政権の、アフガニスタンやイラクに侵攻してムチャクチャな戦争をやってた、イケイケどんどんなナショナリズムとはまったく別のものだと言っていい。
オジサン あれ、ポスターが最初はWTCのツインタワーに蜘蛛の糸を張ってるっていうビジュアルだったって聞いてるんですけど、そういうビジュアルに使われるような象徴的なツインタワーだったって考えると、当時の観客があの作品にナショナリズムを読み取るのも仕方がないかなという気もするんですよ。サム・ライミ自身にもある程度はそういう意識もあったかもしれないですし。まぁ、ボク、まだ7歳なので…リアルタイムには知りませんけど、ある意味で世界の転換点になったテロだったので、影響がゼロではないとは思います。
デス うーん、影響はあると思う。ただ、その影響の結果として、サム・ライミは意識的に星条旗を配置しているとオレは思うし、ナショナリズムを相対化するようなメタファーを配してストーリーを作ってると思う。だから、オレは、あの三部作がナショナリズムに肯定的であるという見方には与しないし、どちらかと言えば反対の立場。
で、オレは当時はまだアメコミにも触れてなかったから詳しくはないけど、コミック界でもやっぱり、「スーパーヒーローとはどうあるべきか?」という葛藤があったらしい。コミックだったら、ああいうテロが起きればスーパーマンとかが駆けつけて助けてくれるわけじゃん?でも、現実にはそういうスーパーヒーローは現われない、っていう現実をまざまざと見せつけられた出来事だったからね。すでに企画も撮影も始まってて、あのテロの時点でサム・ライミひとりで何かを決定できる状況じゃなかっただろうと思うけど、そういうみんなが混乱したり迷ったりしていた時期に、割と冷静にちゃんとした映画を作ったよなーって思う。
オジサン そう考えてみると、スパイダーマンってスーパーマンなんかと比べると、絶対的にめちゃくちゃに強いヒーローじゃないから、映画の中でもAとBとどちらを助けるのかって迷わされる場面もあるじゃないですか。ああいう葛藤とか、そういうものを描いているから、それが逆によかったのかもしれないですよね。
『スーパーマン』みたいな映画を撮っていたら、「いや、でも、結局ヒーローなんていないよね」ってなるけれど、スパイダーマンは、迷いながらも人助けをするためにできる最善の選択をするというヒーローだから、大きなテロがあったことでキャラが揺るぐことがあまりなかったんじゃないですかね。
デス それはあると思う。
オジサン で、アメスパでも星条旗は結構映るんですよね。だから、ニューヨークのあの大通りにはおそらく国旗が掲揚してあるんだと思うんですよ。ただ、サム・ライミ版では数が異常に多いんですよね。すごく意図的にやってると思うんですけど、その星条旗が何を象徴しているのか、っていうことが大事で、要するに「国家としてのアメリカ」なのかという話ですよね。アメリカ建国の理念と憲法に賛同するひとはアメリカ人であると考えるならば、そういった「アメリカの精神」を象徴するものとしての国旗であれば、偏狭なナショナリズムでもないんですよね。
デス あと、トリコロールってのは、やっぱり民主主義的な正義を成す配色って感じで、ガンダムもほらトリコロールだし…
オジサン 悪役がなんとなく黒っぽいのを着てるのに対して、正義の味方はトリコロールみたいな…
デス そうそうそう。
オジサン で、この辺でアメスパの話しようと思うんですけど…あの「大いなる力は大いなる責任を伴う」って台詞はアメスパではあまり出てきませんよね。
デス そうだね。焼き直しっぽくならないようにそうしたのかも。
オジサン あの台詞をモジッての『キックアス』じゃないですか。「力がなければ責任はないのか、いや、そんなことはないっ」って言うじゃないですかー。アメスパでも一回くらい出して欲しかったです…。
=後編に続く=
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