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『キャプテン・マーベル』:オジ&デス対談第3弾 Vol.1

《待ちに待ったmarvel初の女性ヒーロー名を冠した映画》

 私(珈音)のごく個人的な趣味により、MCU関連作品の中から、真っ先に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を見せられ、その後、劇場で『ブラックパンサー』、次にいきなり『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を観ることになってしまったデス・バレリーナ。その後、持ち前のマニア気質を発揮して、MCU作品(制作進行中のものも含めて)を調べはじめ、「この『キャプテン・マーベル』という作品が気になる」といい始めてから、ずっと楽しみにしていた作品が、ついに、公開された!!!というわけで、Higher, Further, Faster baby!

「“男が主役“がデフォルトだったジャンルに斬り込む女性たち」

オジサン じゃ、録音始めますね。今日もはりきってよろしくお願いします。

デス よろしくお願いします。

オジサン 今回は、先月3月半ばから公開の『キャプテン・マーベル』について、喋っていくんですけども、まずはざっくりした感想からいきましょうか?

デス 感想はですね、これまで、『アクアマン』『スパイダーバース』と「限りなくパーフェクトに近い映画」と言ってきたけど、『キャプテン・マーベル』は、もう「パーフェクト」だよね。そして、『アクアマン』も巷で「DCが撮った最高のマーベル映画」と評されていたように、正しく「(マーベルによる)マーベル映画」的であり、さらに78年のクリストファー・リーヴ版の『スーパーマン』におけるヒーロー像、スーパーマンイズムを継承する作品だと言っていい。

オジサン おおー!あ、あの、ボクの感想も言わせてもらうとですね、とにかく楽しい映画でした。2時間ちょっとありますけど、その間、ずっと楽しかったです。

デス そう、そうなんだよ。で、今日、4回目を観てきたわけだけど、この間に町山智浩さんの「映画その他無駄話」っていう音声コンテンツを聞いたりもしたので、それも参考にしつつ、ネタバレですと但し書きした上で、それこそ町山さんや宇多丸さんのように評論家になりきって、クソオスにならない程度にフェミニズム的観点からも喋らせてもらおうと思います。

オジサン デスのひとは、普段から「男である自分が不特定多数に向けたネット上で、アイデンティティ・ポリティクスとしてのフェミニズムを審判的に語り過ぎてはいけないのではないか」って結構気にしてますからね。まぁ、その辺についても後で話しましょう。ネタバレについては、それを避けると肝心なことが言えないというか、話せることが限られちゃうんで、そうなるとどうしても歯切れが悪くなりますからね。

デス ああいう映画は、そこに込められた様々なメッセージ性も大事にしないといけないけれど、さっきオジサンも言っていたように究極なところ楽しいエンタメ映画なのだから、誰もが等しくかつ公正に語っていいとも言える、ということで…。

オジサン あ、あと、僕が思うのは…、デスのひとが映画の帰り道に言ってましたけど、これまではヒーロー映画っていうと当然ヒーローが男性だったから、観客は男女問わずその男性ヒーローに感情移入したり、自己投影したり、エンパワメントされていたわけじゃないですか。で、それが主役が女性になった途端、男性の観客が感情移入できないのだとしたら、そっちの方が勿体ない話な気もしますけど。なので、デスのひとももう少しリラックスして自分が勇気づけられたことを語っていいんじゃないですかね。

デス うん。『キャプテン・マーベル』のトレーラーが公開されて、マーベルの新作映画として話題になったときに、あるマーベルファンの女性が知人男性から「主役が女性だからイマイチ感情移入できない」と言われたという逸話をTwitterで見かけたことがあって。
 女性は生まれたときから、ヒーロー映画に限らず主役が当たり前のように男性という物語を見せられてきて、同性だけじゃなくて異性の架空キャラにも感情移入することを要求されてきたというか、それが当たり前のことだと思わされて生きてきた人が多いと思うんだけど、男は自分たちの社会が、娯楽コンテンツを含めて、基本的に男中心、男仕様がデフォルトになっているということに気づかずにくるから、だから、いざ、ああいう風に女性が華々しく活躍しちゃって、しかも、男置き去りみたいにされちゃうと、「今までのヒーロー映画の良さはどこにいった?」「俺達はこの映画をみてどうすりゃいいんだ?」とかね、なんか勝手に困惑する馬鹿どもが出てくる。
 それで、なぜ自分が女性ヒーロー映画を見て困惑してしまうのか、その困惑の正体は一体何なのか、ということには思いを馳せずに、作り手がポリコレとかダイバシティにこだわりやがって…みたいな拗ねた反応してしまうのは、紛れもなくバックラッシュとミソジニーだし、己のミソジニーと向き合えてない証拠でもある。
 ま、そういう奴らはどんどんふるいにかけられて勝手に脱落して、『タクシードライバー』でも『地獄の黙示録』でも『惑星ソラリス』でも見とけよ、と(笑)
(※デス氏はこれらの映画も名作であると思っていて、むしろ好きだったりする)

オジサン こういうときに毎度真っ先に挙げられる『タクシードライバー』(笑)

デス 『ゴッドファーザー』でも『パルプ・フィクション』でもいいけどさ。勝手にオスが作ったオスが主役の映画見て「これは名作だ」とかヘラヘラしとけよ。

オジサン あるいは『バッファロー'66』とか見てろよみたいな(笑)

デス そう、内容自体がクソオス向けみたいなね、そういう映画をみて「ヴィンセント・ギャロかっこいい」とか言ってホモソ内ではしゃいでブリーフ頭に被ったりしてろよ、みたいなね。

オジサン ドイヒーですね(笑)

デス 町山さんも言っていたし、オレもネットの色んなニュースで読んで前から話していたけど、『キャプテン・マーベル』はかなり早い段階から、フェミニズム的なものに敵意を抱いているクソオス連中から攻撃対象にされて、何かにつけてネットで嫌がらせされていたんだよね。具体的にはコミックスゲートの連中とかが、映画が公開になる前から酷評するレビューを大量投稿して荒らしたり。

オジサン 映画公開の半年前とかからけっこうそういう話をデスのひとから聞いてましたよね。

デス どうやら似たことは近い時期に公開された『アリータ/バトル・エンジェル』とか『バンブルビー』とかいった他の女性主人公の映画にもあったらしいけど、『アリータ』は制作・脚本がジェームズ・キャメロンで監督はロバート・ロドリゲスでしょ。ロドリゲスといえばクエンティン・タランティーノと組んだり、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』、『シン・シティ』とか『デスペラード』とか、どちらかと言えば男臭いというか、男性に好まれるとされる映画を撮ってきたひとで…。

オジサン そうですねぇ。

デス キャメロンも元々は『ターミネーター』『エイリアン2』とかどちらかと言うと男性ウケするタイプとされている監督だよね。ちなみに『キャプテン・マーベル』の劇中でビデオ屋の店内でシュワちゃん主演映画『トゥルー・ライズ』の等身大パネルが吹っ飛ばされるけど、あれもキャメロンの映画だね。で、そういう人たちが作った『アリータ』でさえ、女性が主役というだけで叩かれた。いわゆる「フェミニズムを強く意識した映画」でさえないのに。

オジサン ないですね。

デス 『アリータ』もポリコレ的な最低限の配慮はなされているんだけどね。普通に良い作品だし。で、もう一つの『バンブルビー』は、男の子向けとされてきた『トランスフォーマー』シリーズの最新作だけど、主役が女性になって、こっちはフェミニズム的な主張も込められた映画だったよね。
 そういう女性が活躍する作品が続く流れで、さらに『キャプテン・マーベル』ときて…。だからなんていうか「また女が主役かよ」みたいな、しかも「男はアウトオブ眼中みたいなかんじで、また男をモブ扱いするような映画だろ」みたいに馬鹿どもが噴き上がっているってことがあるんだろうけど、ある意味でそういう馬鹿どもに捧ぐ映画とも言えるのが『キャプテン・マーベル』だよね。

「『キャプテン・マーベル』と『スーパーマン』:強く正しく"人間らしい"ヒーロー」

デス さっき、『キャプテン・マーベル』は、78年版のスーパーマンイズムの継承者であるというような言い方をしたけど、この言い方には自分自身でちょっと引っ掛かってて、継承者という言葉が家父長制的な感じがしてあんまり使いたくないなと思って…。
 で、結論から言うと、俺は『キャプテン・マーベル』は作品として『スーパーマン』を超えたと思ってる。っていうのも、初代スーパーマンが撮られたのは1978年で、俺もれっどさん(珈音のこと)も生まれる前の古い映画っていう感じがするけれど、当時でさえスーパーマンを長編映画化するということに対しては「今さら?」というネガティブな反応があった(スーパーマンは戦前からいたヒーローだから)。

オジサン 赤パンはいてるし…(※対談第二弾〜後編〜参照)

デス スーパーマンは神にも等しい力を持つヒーローだから、技術的に高度なものが必要とされるし、予算面もクリアしなければならない上に、誰がスーパーマンを演るのかっていう問題もあった。スーパーマンって誰にでも演じられるものじゃないからね。そういう色んな意味で作る上でのハードルが高い映画だったけれど、そのハードルを越えて現在のヒーロー映画の礎となるような作品を作ったということだけでも賞賛に値するし、どストレートに真正面から正統派のヒーロー映画を撮って成功したっていう作品なわけだよ。で、『キャプテン・マーベル』は、それ以上のハードルを越えなければならなかった。
 21世紀になって、アメリカではトランプ政権の誕生とかバックラッシュの時代になっているし、―日本も90年代後半くらいからバックラッシュが続いていて、その煮凝りみたいな安倍政権がいるわけだけど―世界的にナショナリズムや排外主義、男権主義的なものが台頭している。ネットの普及も手伝って、もしかしたら70年代のウーマンリブの時代よりも、女性ヒーロー映画が撮りにくいというか、撮るにしても邪魔されやすいという環境にあるかもしれない。
 そういう時代にあって、威風堂々たる女性ヒーロー映画が作られた。しかも、男性とかエスタブリッシュメントとか映画会社のお偉いさんとか保守層とかアホな支配者ヅラした連中に一切媚びることなく正しく撮られた映画でありながら、高いエンタメ性を備えている。この難題をクリアするっていうのは、これまでの男性ヒーロー映画にはなかったハードルだから、それを楽々クリアしてあれだけ楽しい映画を作ったという時点で、もうオレの中では『スーパーマン』を越えた、と。

オジサン なるほど。で、スーパーマンイズムという言葉でデスのひとが表現している映画、『スーパーマン』、『アクアマン』、『キャプテン・マーベル』に共通していることは、強大な敵を倒すということよりも自分自身に打ち克ってヒーローになるというのが物語のポイントになっているというところだと思うんです。まぁ、ヒーロー誕生物語というのはだいたいにおいてそうなんですけれど、『キャプテン・マーベル』の場合は、特にフェミニズム的視点から、家父長制的な価値観に押さえつけられてきた自分自身を解放してクソオスをぶっ飛ばす、みたいな爽快感が大きいという気がします。

デス あのね、初代スーパーマンがなぜ偉大かというと、1作目で地球を逆回転させて時間を巻き戻して死ぬはずだったヒロインを助けるという、言うなれば禁忌を侵す場面があるじゃん。
 スーパーマンは神のような能力を持った異星人だから、クリプト人の実の父から遺言のような形で、「お前の力を有効に使って人助けをするのはいいけれど、人類の歴史に干渉するようなことはしてはいけない」と教えられているし、それに加えて「人間がお前に頼り過ぎて堕落するといけないから、あまり力を使い過ぎるな」という忠告も受けている。
 で、私利私欲を忘れて正義と善行を劇中でなし続けてきたスーパーマンが、初めてその禁忌を侵すのはさ、極めて個人的な理由なんだよね。地球を逆回転させる直前の時点で、悪役のレックス・ルーサーによって引き起こされた災害を最小限に抑えることができているわけだから、ヒーローとしての役目は全力で果たしている。

オジサン そうですね、かなりの人を助けてますからね。

デス そう。で、少なくとも映画を見る限りでは、不運にも唯一、明らかに救えなかったのがヒロイン。その彼女のためにだけに時間を巻き戻すわけだよね。その直前にも「人類の歴史に干渉してはならない」というお父さんの声が頭に響くんだけど、それを振り払って逆回転させるわけだよ。まぁ、現実にそういうことができないって話もあるんだけど…

オジサン ていうか、逆回転したところで時間が戻るのか問題ってのはありますけどね(笑)

デス うん。で、できたとして、すごく突き詰めていくと、それは正しくない行為かもしれない。でも、善悪とは別の人間らしさをスーパーマンに見ることができる。あと結果論で言えば、時間の巻き戻しで特に誰も傷付いてないわけだよ。むしろ傷付いていたスーパーマン自身が救われるし、レックス・ルーサーの下らない陰謀によって死ぬハメになってたヒロインのロイスも助けられるし、ぶっちゃけ物語的にはみんな幸せになるわけ。
 スーパーマンは、寛容な正義の善人として描かれていて、個人的な感情におぼれるタイプではないんだけど、ヒーローっていうのは大義名分や社会のため、世界のためっていう軸で物事を考えることも大事だけれど、自分のことや自分の身の回りのことも大事にしていいはずだし、そういうちょっと反則みたいなことでも、ヒーローとして誰かを傷つけたり踏みにじったりするわけでもなくて、悲劇をひとつ減らせるなら、たとえ個人的動機に基づく逸脱行動でもたまにはいいんじゃないかっていう…。
 っていうか、あのシーンがなかったら、スーパーマンって単に凄い人で終わっちゃうんだよ。

オジサン 凄くていいひと、みたいなね。

デス 凄くて、いいひとで、あんなひとがいてくれたらいいな、で終わっちゃう。もちろんね、スーパーマンにはクラーク・ケントっていう人間としての姿があって、そっちがチャーミングだったり、他の場面でもスーパーマンになんとなく感情移入出来るシーンっていうのは沢山あるんだけど、やっぱりいい意味でスーパーマンの最も人間らしい部分が強く出ているのがあの最後のシーンだよね。だからこそ、より感情移入できるってのがある。
 あとスーパーマンといえば、日本公開時のキャッチコピーが「あなたも空を翔べる」だったように、何といっても飛ぶ姿が美しくて貴い。その美しさや貴さをキャプテン・マーベルでは単に継承するだけでなく、技術的にも情感的にもさらに美しく描いたと思う。特に最後に親友のマリア親子の元から駆け出して夜空に向かって飛び立つシーンだけど、これまでヒーローのあんなに美しい飛行シーンは見たことないってくらいで。

オジサン モニカがそれを追いかけるように走ってくるのもいいですよね。


=Vol.2に続く=

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