『ジョーカー』【ネタバレ】:オジ&デス対談 第6弾Vol.2
編集作業がなかなか進まず更新が年末になってしまいましたが、私の夫とカエルによる『ジョーカー』対談Vol.2です。今回のテーマは『ジョーカー』におけるマイノリティの扱い方の問題点。そして、果たして本当に「アーサーは優しい」のだろうか、ということを考えてみています。長いけど読んでね。
弱者として描かれるのは誰なのか
デス この映画で描写される「弱者」像ってさ、すごく限定的なんだよ。例えば、アーサーから仕事道具の看板を奪って逃げる不良少年たちは、ルックスから人種的マイノリティだということがわかる。彼らも貧困層に属している弱者だろうし、もしかしたらストリートチルドレンかもしれない。でも、彼らはただアーサーを虐げる側の人間として登場する。
オジサン そうですね。
デス 他にもバスで前の席にいた黒人の男の子をアーサーが変顔で笑わせようとしたときに「ちょっかいを出さないで」と言ってくるのはそのお祖母ちゃんらしき黒人女性。アーサーと面談しているケースワーカーらしき人物も黒人女性だし、アーサーが自分の出生の手がかりを得るためにアーカム州立病院で母親のカルテを強奪する場面で押し問答を繰り返す相手は黒人男性。アーサーが勝手な恋愛妄想をする相手は、たまたま同じアパートの同じ階に住んでいる黒人のシングルマザー…。
あと、アーサーのお母さん。アーサー自身は覚えてはいないけれど、診察記録によると、彼はどうやらお母さんの当時の恋人に虐待を受けていて、その結果、障碍を負っている。その事実を隠してたことを恨みに思ってお母さんを殺すんだけど、どうもお母さんもパートナーからDVを受けていたようだし、かなり精神に不調をきたしていることは映画の中で割と自然に描かれている。
オジサン そうですね。アーサーのような発作的な言動はないけれど明らかに病んでいることは伝わってきますからね。
デス そんなかんじで、おそらく元DV被害者で精神疾患を抱えたシングルマザーであるお母さん含め、アーサーにとって「思いやりを欠いた言動をとる人間」「期待を裏切る人間」というのが、女性とか人種的マイノリティに当たる人たちに圧倒的に偏ってる。これだけポリコレとかが浸透しているハリウッドで、制作する過程で誰もこの偏りに気づかないってことはないはずなんだよ。
『ジョーカー』はひと昔前のように割と監督の作家性に委ねる形で、DCもワーナーもあまり口出しせずに自由に作らせたものらしいけど、映画は完全にひとりでは作れないわけで、誰も気づかないってはずはない。だから、意図的にそう描いたとしか思えないわけ。
オジサン アーサーが暮らしている地域は貧困地域だから、周囲に人種的マイノリティとか社会的弱者が多いから、という理由は考えられるかもしれませんね。
デス でもさ、あの時代は貧困であるかないかに限らず、黒人や女性は今よりもずっと差別に晒されていたことは間違いないよね。それに、一応、普通に白人男性も出てくるわけじゃん?
オジサン 警察官とかピエロの仲間とか。
デス なのにさ、アーサーを虐げるひとがあんなに有色人種と女性にばかり偏るのはどう考えても不自然じゃない?やっぱりポリコレ的なものに対する下らない逆張りなんじゃないかと思う。
オジサン ボクもそれ感じました。
デス 敢えてポリコレを無視することによって提示できるものもあるかもしれないけれど、『ジョーカー』は、ただ単に不快で不公正なものになっているだけ。もっと言うなら「今は女性とかエスニックマイノリティの人権とかについてうるさく言われているけれど、弱者はお前らだけじゃねーよ。白人の男だって色々大変なんだよ。」ってね、社会的弱者への抑圧や差別を相対化するために、そういうひとたちをある種の抑圧者として描き、白人男性であるアーサーを被抑圧者として描いているわけだよ。
アーサーの境遇がどうあれ、差別ってのは他の差別と相対化しちゃいけないわけだよ。仮に意図はなくそうなっているのだとしても、気づかない時点で馬鹿だし、気づいてやってるならクソだし、どっちにしてもろくなもんじゃない。
オジサン 確かに。
デス あとさ、職場の同僚ふたりが無職になったアーサーを訪ねてきたときに、小人症のひとは殺さないじゃん?「君は僕に優しかったから」と言って。確かにアーサーは職場で馬鹿にされていたけど、小人症のひとも同じようにからかわれたりしてたじゃん。でも、アーサーは一度も助けようとしない。しかも、小人症のひとを逃がすときも、自分が立ち上がってドアを開けてあげればいいのに、「鍵に手が届かない」って言われるまで気づきもしない。しかも、怯えてアーサーの前を横切ろうとする彼をふざけて脅かしさえする。そもそも殺さないのなんて当たり前のことなのにウエメセで「殺さないよ」じゃねーだろって話だし…
オジサン 優しさ、1ミリもないですよね。
デス そう!でね、アーサーは確かに貧困らしいし障碍者であることも事実だろうと。でも、物事の善悪はそれなりに理解できる人間であることも描かれている。なのに、正しいとされることを全然しようとしない。「イジメの最大の加害者は見て見ぬふりをしているひとだ」とか言われたりするけれど、アーサーってまさにそれなんだよね。なんなら軽く便乗して虐めに加担したよね?みたいなさ。そういう人間じゃん?だから、クソなやつが最終的に適当に逆ギレする映画にしか見えない。
オジサン (笑)
映画内の描写から伝わってこないキャラ設定
オジサン ボク、アーサーが「優しい」っていう設定に納得いく部分がないんですよね。デスのひとが指摘してた通り、アーサーっていつも傍観者で自ら正義を為すことが一度もないじゃないですか。電車の中でウェイン産業のリーマン3人が酔っぱらって女性に絡んでるときもたまたま笑いの発作が出て、リーマンの注意を引くことになっただけで、積極的に助けようとはしてないし。小人症のひとの一件もそうですけど、どこをどうとったら優しい男って解釈が出てくるのか全然わからない。
デス あのリーマンたちだけど、普通に考えると大企業に勤めててそれなりにお金を持っていて地位も安定してる人たちってことになるよね。あそこでアーサーがたまたま持ってた銃で撃ち殺してしまって、殺人に目覚めちゃうって話の流れだよね。で、いけ好かない金持ち連中を殺してやったぜ!みたいなね、なんかそういう評価をしているひとが多いし、そういう感情を喚起するシーンになってるんだけども、金持ちのサラリーマンをさ…ってか金持ちっていってもサラリーマンに過ぎない、資本家でも経営者でもないわけだよ。サラリーマンであるがゆえに殺されるべき、殺されてざまあみろってのはおかしな話で。オレはあいつらが電車で女性にハラスメントするところがクソだなって思うけど、アーサーは彼らがミソジニストだから殺したわけでもないし…。
オジサン 殺したのも偶然ですからね…
デス そう。そもそも彼らの言動を見て許せないと思って義憤にかられたわけでもない。っていうのも、アーサーは、コメディ用のネタ帳みたいのを持ち歩いているんだけど、そこに女性のヌードグラビアの切り抜きみたいなものを貼ってるんだよね。
ある映画評論家なんかはね、「あの時代は差別・悪口・侮蔑・下ネタなどがコメディでうける必須条件だったが、アーサーは心優しく、そういう他者を侮辱するタイプの笑いの構造と相いれない性格だから、無理に学習しようとしてああいう写真を不自然に貼ったりしてる」とか言ってたけど、それ…そういう風に解釈できる描写あった?って思う。単純にいつでもヌード写真を見られるように貼っているようにしか見えないっていうか。だって、仮に下ネタを学ぶにしてもヌード写真必要ないでしょ?
オジサン そうですね。
デス 仮に笑いのコードを共有できないにしても、人前でも広げるようなネタ帳に女性のヌード写真を貼ってたらさ、他人がどう思うかわかんないかな?って。だって、あいつ、例えばザジー・ビーツ演じるシングルマザーとのロマンスを妄想するけど、その妄想の恋愛はありきたりなロマンチックラブイデオロギーっぽいっていうか…。要するに、ごくごく普通の恋愛を妄想できるわけで…
オジサン 恋愛に関するコードは理解しているわけですよね。
デス 性愛についてもそれなりに理解はしている。だから、ヌード写真をあんなとこに貼っていたらどう思われるかくらいは分かる人間じゃないとおかしい。なのに、貼ってるわけだよ。
オジサン まぁ電車の中でエロ雑誌とかスポーツ新聞とか広げちゃうおっさんみたいな…
デス そう!とにかく女性を性的に消費することにためらいがない人間じゃん?だから、オレに言わせれば、あのホワイトカラーのウェイ連中もアーサーも変わんない。
オジサン (笑)
デス 変わらない奴ら同士でたまたまもみ合いになって、たまたま殺しちゃったっていうだけ。
オジサン まぁ、女性が絡まれていた件とは無関係ですよね。
デス あとさ、世間体を気にするエリートはあの手の警察沙汰は避けるんじゃないかな…。映画冒頭の悪ガキにしてもさ、ああいう不良少年たちみたいなのがアーサーを暴行するっていうのはすごく漫画チックだよね。実際には不良同士の喧嘩とかはあるし、一般人への危害もあるけど、ああいう風に突然やってきて突然暴行するってあんまりリアリティがないよね。
ところで、あの電車に乗る直前にアーサーは仕事をクビになってるんだよね?
オジサン そうです。小児病棟で拳銃を落としてクビになったばかりです。
デス アーサーのことを虐めていた同僚からよくわかんない経緯で銃をもらって、小児病棟をピエロとして慰問した際に何故かその銃を子どもたちの前で落とす。それでクビになるわけだけど、いや、そりゃクビになるでしょ。拳銃だよ?暴発したらどうするんだよ?なんで持ち歩いてんだよ?って話じゃん。
オジサン 持ち歩いててもいいけど、せめて衣装のポケットじゃなくて荷物に入れておけよ、と思いました。馬鹿なのかな?って。ボク、正直に言うと、アーサーが馬鹿なところが許せなくて。そんなことしたらダメに決まってんじゃん!みたいなことしておいて被害者面されても…って思いますよね、拳銃の件は。
デス もうね、あいつは最初っからいとも簡単に加害者になり得るような人間なんだよ。他人に積極的に危害を加えようという意図もあまりないけど、危害を与えないように注意しようという方向の積極性もない。まして、他者の悪事と対峙する気概とか微塵も感じられない。仕事をクビになるのだって、彼が貧困層に属してて障害があってということと直接関係ないわけじゃん。
オジサン もし、アーサーが「障碍のせいで銃を持っていることの重大性に気づかない人間」であるという設定にしたいんだったら、同僚から銃をもらったときに困ったような顔しちゃダメなんですよね。
デス そうそうそう。
オジサン 「え?これくれるの?わーいありがとう」ってかんじでポケットに入れてて、なんなら子供の前でわざわざ見せちゃう、みたいにすれば、善悪の区別がつかないがゆえにハメられたって描写にできるんですよね。だけど、こんなの貰うわけにいかないみたいな態度とるじゃないですか。マズいってわかる人間なのにああいうことしちゃうっていうのが、キャラ設定がうまくないなって思いますね。
デス だから、要するに無頓着なんだよね。積極的に一線を引こうとか悪いことをしないようにしようみたいな正義感がないのよね。
トーマス・ウェインが父親かも知れないってことがわかって、ウェイン邸に行ったときの行動もおかしい。アーサーが訊ねていくと、庭で遊んでいたブルースが門のところにやって来るんだけど、そこでアーサーが、もしかしたら自分の母親違いの弟かもしれないその少年に何をするかというと、門の格子から手を伸ばして顔をつかんで無理やり笑顔にしようとするんだよね。普通に…
オジサン 変質者ですよね。
デス 変質者だし児童虐待だよね。何の面識もない子供に対して、突然顔をこんなんやるってさ、やっていいことか悪いことかって言ったら悪いことじゃん。オレ、甥っ子いるけど、あんなオレになついている甥っ子にだって突然あんなことしないよ。ましてや、あの時点で見ず知らずの他人なのにさ。
狂っているのは世界の方じゃない
デス で、例によって、そうやってアーサーが積極的にちょっかいを出す相手が少年っていう「弱者」なわけだよね。
で、こうやって色んなストーリーがあって、アーサーがフランクリンの番組に出ててる頃、外ではピエロ姿の暴徒たちが暴れてるわけ。その暴徒たちは、もともとは市政に異議を申し立てるデモに集まってたって人々で、アーサーのことは既得権益層のホワイトカラーのクソ野郎どもを殺したヒーローとしてある種英雄視してるっていう話になってんだけど、見た感じ男性ばかりなんだよね。普通、貧困っていうのはマイノリティであればあるほど陥りやすいわけだよ。でも、映画の中の暴徒は白人男性が圧倒的に多いように見える。それはなんでなの?っていうね。で、暴動の最中にアーサーがフランクリンを撃ち殺す様が中継されてて、暴徒たちはより興奮する。しかも、ちょうどその頃に劇場から出てきたウェイン一家が暴徒と鉢合わせして逃げるように路地に入っていったところで、夫妻は撃ち殺されてブルース少年は立ち尽くす、と。
そこから、精神病棟らしきところでカウンセラーっぽいひと(またも黒人女性)と会話しているアーサーの姿に切り替わって、アーサーはまた突然笑いだす。ただ、これはどうも発作ではなくて素で笑っている様子で、「ジョークを思いついた。ただ、君には理解できないと思うよ」みたいなことを言う。そこで、もしかしたら、少なくともフランクリンの番組で殺人をして逮捕・護送される途中で事故って、パトカーの車内から救出されて、「あのジョーカーだ」と祭り上げられていい気になって踊る場面、それと同時進行でウェイン夫妻が凶弾に倒れる…あの一連のシーンはジョーカーの妄想かも知れないという解釈ができるんだけど、それを指して彼はジョークだと言ってる。何が???
オジサン ちょっと話ズレるんですけど、インセルどもとか、日本でもやたらみんながアーサーに感情移入してますけど、アーサーって常に誰かから100%受け入れられたいっていう妄想をしてはそれをくじかれるっていうことの繰り返しじゃないですか。
例えば、フランクリンの番組をテレビで見ているうちにスタジオに観覧しに行ってる気になって、彼に指名されて会話して、親子の絆みたいなものが生まれるっていう妄想をしてる。でも、その妄想が実際に出演したことで打ち砕かれる。トーマス・ウェインに対しても父親かも知れないと思って会いに行って拒絶される。ザジー・ビーツのことも勝手に自分のことを受け入れて恋人になってくれると妄想したのに断られる、っていう風に、誰かが自分を受け入れてくれるんじゃないかと期待しては絶望するの繰り返し。
デス all or nothingなんだよね。自他の境界線が未分化。まぁ、その色んな境遇が重なって、そういう考え方しかできないひとっていうのも確かにいるかもしれないし、そういうひとに「承認欲求を拗らせるんじゃねーよ」とか言うのも酷かもしれないけど、それだったらそういうひとでも生きていける術とかそういうものを提示するべきじゃん。でも、結局、全肯定してくれないから俺も全否定してやったぜ、っていう話にしかなってないわけだよね。
オジサン 「世界は自分たちを肯定してくれないからみんなでジョーカーになろう」ってかんじですからねぇ。
デス でさ、あれ81年のニューヨークをモデルにしていると言われているけど、当時のニューヨークは貧困が蔓延ってて暴動とかも多くて、とても危険だったと言われてる。マイノリティへの差別も激しかった。例えば、ヒップホップなんかは、70年代からアンダーグラウンドで生まれてはいたけど、まさにあの時代のニューヨークで、アフリカ系アメリカ人たちが主体になって、社会情勢を反映する形ではぐくまれていった音楽。マイノリティが置かれた抑圧的な環境をラップにしたり…。そういうものが胎動して時代なわけだよ。なのに、白人の、しかもコメディアンっていう平均以上の何かになることを勝手に目指して挫折した奴の話を80年代を舞台に作るとか、それ、誰得なの?って考えると、他のマイノリティ…要はエスニックマイノリティとか女性とかがエンパワメントされている様子を気にくわないと思っている、被害者意識ばかり拗らせた、白人男性が喜ぶだけ。
オジサン あとは、謎にそういう白人男性にアイデンティファイしてる日本のクソ男とかですね。
デス 日本人、特に日本人男性ってのはアジア人なのに名誉白人的な意識が強いからね。だから、韓国や中国のことをすごく蔑視するんだけど。で、変にG8とかに入ってるから、アジアで唯一欧米先進諸国と肩を並べているみたいなかんじでさ…
オジサン 勘違いも甚だしいですね。
デス 例えばね、キャプテン・マーベルが出てきたときに、すごい女性が熱狂してたじゃん?ある女性が「かつてスーパーマンに熱狂していた少年たちは、今自分がキャプテン・マーベルにエンパワメントされているような気持ちでスーパーマンを見ていたんだなって思った。女性はこれまでそういう対象を与えられずに来たんだな」というようなことを言ってた。つまり、キャプテン・マーベルとかワンダーウーマンとかが出てくるまでは、女性は男性主人公のヒーロー映画を見て感情移入したり共感したりしていたわけなんだよね。なのに、いわゆるインセル的な連中は「最近はエスニックマイノリティとかセクシャルマイノリティとか女性がエンパワメントされる作品ばかりで、自分らは置いてけぼりだ」って言うわけだよ。いやいや…
オジサン お前ら、いっぱいあるだろ、過去にも現在にも…
デス でさ、インセルはさ、自分たちが弱者だと思うならさ、全く同じ属性じゃないにしても、他のマイノリティが描かれた作品を見て共感したり連帯感をもったりエンパワメントされたりしてもいいわけじゃん?なのに、登場人物が黒人だからとか女性だからとか理由をつけて感情移入できないって言ってる、結局それってあいつらが黒人や女性を見下してるからでしょ?って話じゃん。その時点で結局、お前らは被害者意識を拗らせて弱者を自称しているだけの傲慢な強者なんだよ、みたいな。自分たちが思うような強者像として振る舞えないから弱者な気分になってるだけ。結局ね、白人男性が演じてくれないと感情移入できないっていうのは、実に強者らしい甘えだよね。唾棄すべき!
オジサン そうですよ。ボクなんてカエルですよ。
===Vol.3に続く===
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