人生の底と再婚への道~底編
2013年4月、離婚届を提出しました。
同時に、私は娘の親権を失いました。
鬱病と診断されて休職した時期、とっても辛いと思っていたけれど、この日から、私はそれ以上の闇とどん底を味わうことになりました。
私は今も、娘のことを想うと涙が溢れます。
再婚して息子を授かって、幸せだと思える日を過ごしていても、私のすぐ隣には、この闇が横たわっていて、いつでも私をそこへ戻そうとしてくる感覚があります。
私の幸せは、一瞬にしていつでも底へ返ってしまうのです。
だから、まだ感情が整理できていませんが、一度言語化しておこうと思います。
娘へ伝えた日のこと
離婚届を夫婦で提出しに行って、その日の夜に娘に伝えました。
娘はベッドに突っ伏して泣き崩れ、その時の光景はいまだに私の脳に焼き付いて離れません。
そして思い出すと、私の胸はこれ以上にないくらい押しつぶされて、すぐに涙が出てきます。
それは再婚して生活が落ち着いた今も続くことなので、恐らく一生抱えていくことになるのだろうと思います。
彼女は4月に小学5年生になっていたけれど、その日は二人で、小さなシングルベッドに寄り添いながら寝ました。
家を出た日のこと
実際に私が家を出たのは、その年の6月でした。
娘の精神状態が少し落ち着くまで待つことにしたのです。
彼女に寄り添いながら、仕事をしながら、そっと家探しをする日々。
ただ、何かが吹っ切れたのか、離婚前よりも離婚後のほうが元夫とリビングで過ごす時間も増えました。
当時、娘からもらった手紙には
『離婚したのは辛いけど、ママが最近笑顔になっているのが嬉しい』
と書いてあって、泣きました。
離婚の話を始めてから1年以上、私は笑顔が消えていたことに改めて気づかされ、そして娘に対しても、なんてひどい母親だったんだと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
家を出た日は平日でした。
娘を学校に見送った後に、静かに引っ越しました。
それはそれで残酷だったのかもしれませんが、何が正解だったのかはこの時も今も、よく分からないというのが本音です。
それからの日々
家を出てからは、毎日分刻みで感情が揺さぶられました。
上昇したり突然急降下したりする精神状態は、まさにジェットコースターのようでした。
仕事中に娘から電話があって「ママに会いたい」と言われ、お客様先のトイレの中で泣いたこともありました。
娘と会って、電車で見送った後は、帰りの車内で号泣しながら帰りました。
その感情を振り切るように仕事に没頭しつつも、気を緩めるとすぐに涙が出てくる毎日でした。
当時、コーチングを受けてみました。
でも友人から言われたのは、「五兵衛ちゃんに必要なのは、コーチングじゃなくてカウンセリングだと思う」という、ごもっともな意見でした。
自分が生きている価値は、まったく見出せませんでした。
なぜなら、娘を出産することでそれまでの人生がようやく肯定されたのに、私を意味づけてくれる唯一の存在を失ったからでした。
年末の休息
仕事をすることで精神を保っていた私は、週末も率先して仕事をして、時には14日連続で仕事していました。
とにかくがむしゃらに動いていました。
繁忙期を迎えてからは、まさに息つく暇もないくらいでした。
でもある日、ご主人のお仕事の関係でメルボルンに住んでいた友人から、「よかったら遊びに来て」とお誘いがありました。
一人での旅行は未経験、しかも海外は大学卒業以来。
勿論英語も話せない。
でも私には、もう守る生活もないんだと思って決心し、行くことにしました。
それまで溜め込んだ有休と年末年始休暇を合わせて10日間、私はクリスマス前の真夏のオーストラリアに旅立ったのです。
ここまでが、第一段階の”底”です。
但しこれは、私の”底”であって、娘にも、そして元夫にも同じように、”底”があったと思います。
特に子供には、親の都合のことなので選択肢がありません。
無事に大学進学をして、友達に囲まれて暮らしている彼女には、感謝しかありません。
次は、年末の休息で得たものを書き留めたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。