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頭文字G

よう来なすった。
儂の恐ろしい体験を聴きにここまで来るとは、お前さんも物好きだのう。
まあ、今のような暑い時期になると、こういった身の毛がよだつような話を見聞きしたくなる者が多いみたいだがのう。わざわざホラー映画を観たり、心霊スポットへと行ったりと。
何で、そんな寿命を縮めるような真似をするのか儂には理解出来ん。
まあ、良い。世の中には物好きが多いことは儂もよく知っておる。
例えば……ああ、こりゃいかんな。話が違う方向へ逸れてしまう。

これからする儂の恐ろしい体験を語るには、ちと早い時間かもしれんが、年寄りになると寝るのが早くなってな。
それにもう少し遅いと食事の前に読んで食欲を失くす輩もおるじゃろうからな。そしてそんな輩に「ふざけんな!」と怒られたくない。儂なりの気遣いじゃ。
尚、登場人物は全て敬称略であり仮名じゃ。
いちいち言わなくてもええと思うが、気にする人は気にするだろうと思ってな。
念のため断っておくぞ。

さて、これからする話は本当にあった、身の毛がよだつ恐ろしい話じゃ。
苦手な者はすぐにブラウザバックをするがええ。

二〇二十二年のことじゃった。
この年の春に、儂は都内のとある会社に転職した。
本社は都心じゃが、儂は都内の隅にある倉庫兼事務所のようなところで働いておった。
そこは一階が倉庫で、二階が事務所になっておるんじゃが、ある金曜日の午後六時半ごろじゃったか。

事務所では儂と、儂の一回り年下の先輩である紀藤という男が二階の事務所で事務作業をしておった。
そして儂の一回り年上の先輩である山村という男がおったのだが、彼は事務所の端のロッカーで帰り支度を終えて、一足先に退社するべく一階へ降りて行った。
すると、その直後に「うわっ!!」という山村の叫び声が聞こえた。
そして「マジかよ……」という気弱な声が聞こえてきたのじゃ。

儂と紀藤は作業の手を止め、階段へ向かうと、山村がへなへなと階段の手すりに掴まりながら膝から崩れ落ちておるではないか。

勘の良い者なら察したであろう。そう、奴じゃ。頭文字Gが出おったのじゃ。
何? Gとは何だ、と。察しの悪い奴じゃのう。
ゴキじゃ。ゴキブリが出おったのじゃよ、言わせるでない。
儂だって口にしたくないわ、こんな忌み言葉。ともかく、奴が出おったのじゃ。

儂だって苦手だが退治することぐらいは出来る。だが山村は奴が大の苦手じゃった。
しかし実質的に倉庫のリーダーである山村は「こうもしてられん」と思ったのだろう、気を取り直すと近くにあったキンチョールを手に取ると奴に向かって噴霧したのじゃ。
すると奴は足早に倉庫内の排水溝に逃げ込んだ。
逃げたことを確認すると我々はホッとした。山村は手に持ったキンチョールを棚に戻した。

何故、倉庫の床に排水溝があるのか。それを知る者はそこには誰もおらん。
前日に倉庫の様子を見に来た、倉庫の大家の息子(三十歳前後のかたぎのものではなさそうな、ホストのような容姿)が言うには、儂たちの会社が入る前にいた会社が、化学薬品か何らかの製造業でそのために排水溝を設けたんじゃなかろうかということじゃ。

真実は不明じゃが、ともあれ奴が逃げたことで恐怖体験が終わった。奴を仕留め損ないはしたが、今日はここで仕舞いじゃろう。
そこにいた誰もがそう思ったに違いない。しかしここで話は終わらない。
奴が逃げ込んだ排水溝に紀藤がキンチョールを噴霧したのじゃ。
ここからが更なる悲劇の始まりじゃった。

紀藤のとった行動は分からなくもない。儂かて自宅で奴が出てどこかに隠れたら、同じように殺虫剤を噴霧したに違いない。
だが言ったじゃろう。そこからが更なる悲劇の幕開けじゃったんじゃ。

紀藤が排水溝に沿ってキンチョールを噴霧すると、何ということか、
さっきの奴が排水溝から再び倉庫の床に這い出してきたんじゃ。
「ひいいっ!」
山村は近くにあったほうきを手に取り、やつを追い払った。

キンチョールで苦しみながらも逃げ回る奴は、さっきよりも不気味さを増したように感じる。山村はほうきで奴を外に追っ払うことを考え、人ひとりがやっと通れるほどの倉庫の玄関を開けた。
そして近くにいた紀藤に電動シャッターのボタンを押すように指示をした。うちの倉庫は玄関の脇にシャッターがある。紀藤はボタンを押した。シャッターがガガガガと鈍い音を立てながらゆっくりと上がっていく。
儂はその様子を見ながら、逃がすよりかは奴を物理的に叩き潰した方がええんじゃないだろうかと考え「何かで叩いた方が良いんじゃないですか?」と助言するも、「いや、逃がす!逃がすよ!」と山村はほうきで奴を追い払うのじゃった。直接攻撃なんて、恐ろしくて出来んかったのじゃろう。

シャッターが五センチも上がると山村はほうきで奴を外に追い払うことに成功した。
「閉めて、閉めて!」山村が言うと、すぐさま紀藤がシャッターの降下ボタンを押した。儂は外に出た奴の様子を見ようと玄関から外に出た。奴はシャッターのすぐ近くで、のたうち回っていた。
あの様子なら長くはあるまい。死骸はほうきとちり取りでゴミ箱に捨てよう。そう思いながら倉庫に戻ったのだが、儂は目を疑った。

倉庫内では山村と紀藤が奴と再び相まみえておったのだ。どういうことだ?
儂は頭を巡らすと直ぐに一つの答えにたどり着いた。紀藤がキンチョールを排水溝に噴霧したために、排水溝にいたもう一匹の別の奴が外に出てきおったのじゃ。
何という惨劇じゃ。こうして語っている儂もその場面を思い出して鳥肌が立っておる。

「え? え? さっき逃がしたよね?」
山村は明らかに動揺しておる。それもそうだろう。
さっき逃がしたと思った奴が再度そこにおるのだからな。
儂は確認のために玄関から顔を覗かせて、奴が仰向けになっていることを視認した。

やはりそうだ。儂が先ほどの仮説を言おうとすると、紀藤も同じことを思っていたようだ。
「その(排水溝の)中に、もう一匹居たんですよ」
いつもクールな紀藤がクールに言った。

何にせよ、そいつも始末しないことには事は終わらん。さっきのリピート動画かと思うような流れじゃった。紀藤がシャッターを開け山村がほうきで奴を追い払った。
儂はキンチョールを手に外に出て、今しがた逃がした奴と先のもう一匹にキンチョールを吹きかけたのじゃ。一度に二匹も出くわすのは、建て替える前の実家で一度あったな、と懐かしさを覚えながら奴らにとっての毒ガスをかけた儂は、きっと近いうちに奴らに祟られるじゃろう。

「何だよー、この倉庫に移ってから二年半は出なかったのに……。マジかよ……、帰り間際に……」
山村は分かりやすく脱力して落胆していた。無理もない。楽しい週末を目前に大嫌いな奴らが二匹も出おったのじゃ。とんだ水の差されかたをしたもんじゃ。
会社の名誉のために(?)言っておくが、倉庫となっている建物は一階と二階は貸し倉庫と貸し事務所になっておるが、その上階はマンションとなっている。築年数は四十年は確実じゃろうか。しかし外装も内装も白く塗装され直されているようで、見た目はきれいで明るいうえに、倉庫内も完璧とは言わんが整理整頓されておる。それだけに奴らが出たショックは大きいのじゃろう。

「じゃー、あとは頼んだよ……」
いつもならその後に「楽しい週末を!」と続けるのが山村じゃったが、そんな気力は奴らによって霧散してしまったようだ。声を落として帰っていった。

事務所に上がり作業に戻った儂と紀藤は、仕事をしながらも奴のトークに花が咲いた。
「いやー、まさか二匹も出るとは思いませんよね」
「自分もGは苦手ですけど、山村さんは本当にダメなんですね」
「そういえば、昔住んでいたアパートで……」
そんなことをやいのやいの言っとると、儂は倉庫の机の上に、書類を置くことを思い出した。儂は月曜日の朝に使う書類を持って階段を下りた。そして、そのときに気付いてしまったんじゃ。

階段を降りると玄関がある。その手前に傘立てと、さっきも使ったほうきとちり取りが立てかけられているのじゃが、その間に見慣れない黒い物体がある。いや、既に見慣れてしまっておった。それに儂は気付いてしまったのじゃ。

マジか……。
儂は絶句した。三匹目の奴がそこでのたうち回っておったのじゃ。藪蛇とはまさにこのことよ。二度あることは三度あるとは誰が言いおったのじゃろうか。そんなデータはあるんだろうか。ともあれ、儂はその事実を紀藤に伝えた。
「紀藤さん、出ましたよ、また……」
紀藤が何も言わずに「え?」という表情でこっちを向いた。

もう仔細を語る必要はないじゃろう。儂が玄関を開けて、儂がほうきで奴を外に追い出しキンチョールをかけたのじゃ。
儂は死骸をゴミ箱に捨てた方が良いと提案したが、紀藤は亡骸でも奴と同じ屋根の下にいるのは嫌だったのか外の排水溝に捨てましょうと固持するので、儂はカーリングの要領で奴を排水溝に葬ってやったのじゃ。儂は奴らに呪い殺されるじゃろうて。

こうして悪夢のような時間は終わった。時間にしてみれば三十分にも満たなかったかもしれぬが、週の終わりにはあまりにも衝撃的な時間じゃった。その後、どうにか仕事を終えた儂と紀藤の二人は職場を出たのじゃった。

何? 最後の一匹は排水溝に捨てたが最初の二匹はどうしたかだと?
そう、仕事を終えて紀藤が職場の玄関に鍵をかけながら、彼は儂にこう尋ねたんじゃ。
「最初の二匹はどうしました?」
「殺虫剤をかけて殺して、ほうきで掃きましたけど、まだその道路の隅にいますよ。でも捨てなくて良かったのかな」
「良いんじゃないですか。でもゴキブリの死体が二匹も会社の前にあったら嫌がらせみたいですよね」
「山村さん、月曜日大丈夫かな」
さて、大丈夫じゃっただろうか。
これでこの話は仕舞いじゃ。

何? 思っていた怖い話と違うだと。
確かにそうかもしれんが、そう同じような話ばかりでもつまらんだろう。
これだって身の毛がよだつ話じゃったろ?

おっと、もうこんな時間か。年を取ると話が長くなってのう。すまんな。
しかし、最後に聞いておくれ。昨晩、出たんじゃよ。
儂の家で。そう、奴が。
(完)

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