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承認欲求の魔物

【写真】カナダ・トロントの近郊にあるゲルフという町にある、ゲルフ大学。キャンパスが広すぎる。さすがカナダ。


始めた理由

自分の考えをとにかくアウトプットしたい。
好き勝手発信した結果一人でも共感してくれたら最高だけど、とにかく自分の考えを外に出して整理したい。
悪い話であれば気持ちに区切りをつけたい。
良い話ならばこの喜びを記録しておきたい。

私がブログやツイッターを始めた当初の理由はこれだ。そして少し続けていると、私のブログやツイッターが人の目にとまり、反応をしてもらえるようになる。ツイッターならば「いいね!」がついたり、ブログならば時に「はじめまして、いつもみています」とコメントをもらえたり。

反応がもらえることは、最高に喜ばしい。ブログやツイッターにおいて、他者とインタラクティブにやりとりができることは楽しいし、自分の考えに共感してもらえることは、とても嬉しい。自分が一人ではないと思える。反応をみる度に、ニヤニヤしてしまう。

暗雲

しかし、良いことばかりではない。なぜならば、人間の欲望はとどまることを知らないからだ。

私は知ってしまった。反応がもらえると最高に楽しいし、最高に認められた気分になることを。一度反応をもらえてしまうと、一度「素敵!」と言ってもらえてしまうと、その喜びが忘れられない。それはまるで麻薬のようで、最初は少量の「いいね!」で満足していたのに、段々と「もっとほしい」という気持ちになってくる。反応をもらってから、次に反応をもらえるまでの耐久時間は短くなり、長いこと反応をもらえないと寂しい気持ちになってしまう。大量の「いいね!」がほしいわけではないが、比較的反応をくれる人から反応をもらえないと、しゅんとしてしまう。承認欲求の魔物のようだ。

ブログ(note)はまだよい。こちらでは、承認欲求以上に、自分の一日や考えを日記にして残したいという思いが強くある。こちらは毎日書けば、自分にとって素晴らしい作品となる。間違いなく自分のためになると信じている。それに、反応をもらいやすいので、「少し反応がもらえれば満足」という状態が、ずっと続いている。

問題はツイッターだ。私はツイッターでは、好きなゲーム・漫画・アニメのキャラクターやcpについて呟いている。私はSNSが苦手で(この話も今度したい)、沢山フォローをすることはできないし、人と繋がって交流するというのもビビって中々できない。2014年頃から使い始めたが、大体はネットサーフィンをして人のツイートをみるのみで、人との交流は数えられるほどの回数であった。それが最近になって、新たに2人ほど、交流できる人が増えた(相互フォローとなった)。私がマイナーなcp(といってもこの作品はキャラ数が多く、大手だとかマイナーだとかいう話は少なめなのが救い)について一人で叫んでいたら反応がもらえたので、更に妄想を膨らませてバンバン呟いていたら、繋がることができたのだ。繋がった後も、私のするツイートのうち多くで反応をもらい続けて、私は妄想が楽しいし反応ももらえるし…かなり楽しい気持ちでツイッターをしてきていた。時々リプライをもらえて(これはまだ2人のうち1人であるが)、更に妄想が広がって、推しcpの供給もその2人のおかげで以前に比べて増えた。はっきり言ってとても楽しい。それ自体は良かった。

しかしそのうち、「いいね!」がもらえそうなツイートをするようになっていた。「こうしたらいいねがもらえないのでは?」「人がいる時間帯に投稿しようかな」と、自分がしたいというよりかは人の目を気にして、ツイートをするようになってしまった。そして「いいね!」がもらえないときには、ちょっと落ち込むという。

鎮まれ、承認欲求の魔物

ここで私は自分に、もう一度問いたい。何のためにツイッターをやっているのか?もちろん反応がもらえた方が、正直楽しい。でも反応をもらうためにツイートするのは違くないか?反応をもらうのは目的ではなく意図せぬ結果だ。目的は自分の好きなことを好きだと叫ぶこと。ここを混同してはならないだろう。好き勝手呟けばよい。好きな時に、好きなだけ、呟けばよい。見えない人間からの評価なんて気にするな。自分を強くもって生きるがよい。承認欲求の魔物の暴走を共に、止めようではないか。

サポートはお気遣いなく。スキしていただけると感無量です。