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「ドイツ国際平和村」訪問記 訪問日2019年12月12日

ドイツ国際平和村(以下、平和村)は戦争や内戦によって傷ついた子どもを救済するために、ドイツのオーバーハウゼンに建てられた施設です。ここでは中央アジアやアフガニスタンなどの様々な国から来た子どもたちが、治療やリハビリを行いながら共に生活しています。

今回僕は実際に平和村を訪れ、子どもたちと触れ合い、そしてここでスタッフとして働かれている中岡麻記さんからお話を伺いました。この記事では、平和村について簡単に紹介したのちに、実際に訪問した際に体験し、感じたことを素直に書いていきます。

平和村の活動

平和村が行っている主な活動は以下の3つに分けられます。

①母国で治療を受けることができない怪我や病気を抱えた子どもたちの治療

②現地の医療状況向上を目指したプロジェクト

③平和への関心を高めるための平和教育活動

それぞれ説明していきます。

①子どもたちの治療

母国では適切な治療を受けることができない子どもたちに、ヨーロッパでの治療の機会を提供しています。子どもたちの治療は多くの協力病院が無償で行っています。治療は数ヶ月で終わることもあれば、数年かかることもあります。子どもたちは治療を受けた後、ドイツ北西部オーバーハウゼン市にある平和村にやってきます。そしてリハビリを受けながら、母国へ帰国する日を待つのです。(パンフレットより抜粋)

しかし、紛争地域や危機的状況にある地域のケガや病気の子どもたちが全員、ドイツに治療に来られるわけではありません。
平和村で受け入れることのできる子どもたちには、次の4つの条件があります。

①母国では治療できないケガや病気を抱えていること 

②ドイツでの治療によって回復の見込みがあるケガや病気であること 

③協力病院が無償で治療をしてくれること 

④貧困家庭であること(子どもに外国での治療を受けさせることができるほど裕福な家庭の子どもたちは受け入れません)

子どもたちは、現地の医師の診断と子どもたちの家族の経済状況によって、ドイツに来て治療を受けるかどうかがきまるのです。

平和村が子どもたちへの医療援助を続けることができるのは、ドイツ各地の協力病院の支援があるからです。各協力病院は、手術、入院など子どもたちの病気やケガの治療を無償で引き受けてくれています。保険に加入していない子どもたちの治療をどのように全額負担しているかは、各病院によって異なります。
平和村にあるリハビリセンターでは、協力病院での治療後の傷口のケア、また引き続き投薬が必要な子どもたちへのケアを行います。また、子どもたちは理学療法・作業療法を通したリハビリで、歩行練習や物をつかむ練習も行います。(ホームページより抜粋)

②プロジェクト -現地での活動-

平和村は、紛争で被害を受けた地域や危機に瀕した地域での医療ケアの向上を目指し、援助活動を行っています。現地の平和村パートナー団体と協力して、平和村施設、基礎健康診療所、義足作業場などを建設しています。現地パートナー団体には、コンテナやトラックで定期的に援助物資、医薬品、日用品を送っています。これは、現地の人々が自分たちで立ち上がることを援助する活動です。(パンフレットより抜粋)

このような活動はベトナム、カンボジア、中央アジア、アフガニスタン、スリランカなどで行われています。

③平和のための教育

毎年様々なグループが平和村を訪れ、セミナーに参加しています。平和村の活動や子どもたちの母国について知ってもらうことで、平和への意識を高めることを目指しています。(パンフレットより抜粋)

ドイツ国際平和村・平和教育部門の「Begegnungsstätte(出会いの場)」に、年間約1200人の学生、青少年、高齢者が訪れています。紛争が原因で医療インフラが整っていない国や、安全な飲料水が十分にない国で育つということが、どういうことなのか、ということを、この出会いの場へのグループ訪問を通し、参加者たちは知り、考えていくことができます。(ホームページより抜粋)

訪問のきっかけ

まず僕が今回平和村を訪れることになった経緯ですが、きっかけはこのnoteから始まります。ドイツに関連する記事を探していたところ、平和村についての記事を見つけました。そしてホームページやYouTubeなどでさらに調べ、ケルンからも電車で行ける距離にあることを知り、是非一度訪れてみたいと思いました。

正直に言うと、もともととりわけ平和に関心があったわけではありません。ただ、「ドイツにいるからこそできることをしたい」という気持ちがあったので、次の日には訪問したい旨を伝えるメールを送っていました。

訪問する前に

平和村を訪れる際には、着なくなった服を集めて持って行くことをお勧めします。子どもたちの服は不足しがちですし、大人の服も平和村が提携するセカンドハンドショップで売られることで、その売り上げが子どもたちの活動のための寄付金となります。しかし生地に穴が開いていたり、ボタンやチャックが取れていたりするものはNGですのでお気を付けください。

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実際に僕も今回、友達にも声をかけ服を集め、持って行きました。

平和村の実態

今回の訪問では、スタッフとして働かれている中岡さんに平和村の中を案内していただきました。

平和村には子どもたちが思いっきり遊べるよう、外に遊具があるのですが、今回はそこで子どもたちと一緒に遊ぶことができました。

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(写真掲載許可:ドイツ国際平和村)

子どもたちは本当に元気で、パワーに溢れていました。どれだけ僕が回しても「もっと早く回して!」と言ってきて、正直かなり疲れました(笑)。しかし子どもたちのあまりにもいい笑顔が僕の気持ちまで明るくしてくれました。他にもかけっこをしている子やブランコで遊んでいる子もいました。この日に見かけることはできませんでしたが、中岡さん曰く、子どもたちにはサッカーも大人気なようで、訪問のタイミング次第では一緒にボールを蹴ることも可能でしょう。

子どもたちは基本的にはドイツ語で会話をします。しかし平和村の子どもたちは何度も僕に日本語で「ありがとう」と言ってくれました。彼らがこの言葉を知っているのは、平和村と日本の繋がりが深いからこそです。

休学や休職をしてインターン生として住み込みボランティアで活動をする人もいれば、日本にいながらもそれぞれの形で支援している人もたくさんいます。多くの人が関わり、これまで繋げてきたからこそ平和村と日本は信頼関係で結ばれています。今回の訪問でそれを身をもって感じました。

平和村には男女の宿舎や食堂、リハビリを行う施設や学習スペースなど様々な子どもたちのための空間がありました。その中にはまだ建てられて数年のような新しいものや、今現在工事中のものもありました。子どもたちがより良い生活を送り、平和村がより多くの子どもを受け入れられるようになることは、一見すると良いことのようですが、これは平和村が1番に望んでいることではありません。本来平和村のような施設は存在しないことが望ましいのです。戦争やそれによって傷ついた子どもたちがいなければ、平和村はそもそも必要ありません。しかし現実に目を向けると、まだまだ平和村の助けを必要としている地域はあります。よってまだまだ施設の増築や協力病院、寄付金などは平和村にとって必要不可欠なままなのです。施設案内の際に、中岡さんからこの事実を聞いて、とても複雑な気持ちになりました。

先ほども書きましたが平和村で生活するにはいくつかの条件があり、裏を返すと条件に当てはまらない子どもは平和村へ来ることができません。つまりここで生活できている子はある意味で「選ばれた子」なわけです。そんな子どもたちを見て元気をもらった一方で、「ここにいる子たちも苦しんでいる子の中のほんの一部なんだな」と、まだまだ厳しく悲しい現実を感じずにはいられませんでした。また当然ですが、母国より平和村にいた方が安全で健康的な生活を送ることができます。しかし子どもが幼くして親元を離れなければならない寂しさは、私たちの想像を遥かに超えたものでしょう。

子どもたちはいつか母国へ帰ります。平和村での生活の終わりは、母国での生活の始まりです。彼らはまたそこで力強く生きていくために、平和村で国語や算数なども学ぶことができます。また裁縫ができるようになれば、母国で家族の仕事をお手伝いできます。平和村で子どもたちはただ傷を癒すだけでなく、これからも生活をしていくための力もつけて母国へと帰っていくのです。

僕たちにできること

ではこのような事実を聞いて、私たち日本人にできることとは何でしょうか?正直、とても難しい問いです。なぜなら自己満足や綺麗事で済ませていい問題ではないからです。今自分でこの記事を書いていても、すらすらと答えが出てきません。実際に平和村を訪れて、子どもたちと触れ合い、中岡さんから話を聞いた身にも関わらず、それ以降何か変わったかと言われたら自信はありません。

中岡さんは「まずは平和村を知ってもらうことから始まる」と仰っていました。確かにすべてはそこから始まります。

一方で、今のインターネットが普及した時代において、「知る」ことのハードルは決して高くないです。例えばこの記事と出会ったのも偶然で、結果的に平和村を知ることになった人もいるかもしれません。そしてきっとその瞬間は誰しもが「そうやって苦労している人もいるんだ。自分もそういう人たちの分まで頑張ろう」や「自分も平和を意識して生活しよう」と思います。

そして「知る」ことが容易になった結果として、「賛同」や「共感」も比較的簡単に得ることができるようになりました。TwitterやInstagramの「いいね」なんかがその代表的な例です。例えば僕がこの記事をTwitterに上げた際に、とても反響があったとします。しかしその反応をしてくれた一人一人にどれほどの熱量があるかは量ることができません。ただ記事を読んだだけで、何も変化のない人も間違いなくいるでしょう。

つまり大事なことは、それぞれの立場で自らがどう「行動」に移すかです。何ができるかなんて分からないし、それが正しいことで、平和のためになっているのかも分かりません。でも今回の体験を通して知ったことや感じたことを、自分の知識として留めておくだけでは何も意味をなさないことくらい分かります。

「心配」や「思いやり」はその気持ちを「行動」に移して初めて意味のあるものになります。

だから僕にも、今まで平和村に関ってきた人のように繋いでいく義務があるんだと思います。

まずはnoteでこの記事を書いたことが第一歩です。しかし次がどんな一歩になるかは決まっていません。ただ、やれることは必ずあるはずです。

この記事を読んでくれたあなたにも、あなたの立場からできることがきっとあるはずです。なんでもいいから思いついたら、まずそれを行動に移してみてください。

そして中岡さんの言葉を借りると、まずは平和村を知ってもらうことから始まります。是非、拡散の方をよろしくお願いします。

最後になりますが、先に中岡さんにこの記事を読んでもらった際にこんな返事を頂きました。

「本来なら存在しないことが望ましい団体ですが、そんな団体の活動を通して、多くの温かい方々と繋がり、元気を頂くことも多いです。感謝しています」

平和村で素敵な方と出会えたことに僕も心から感謝いたします。

ドイツ国際平和村のホームページはこちらから

今回も読んでいただきありがとうございました!

Tschüs👋



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Shingo
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