【往復書簡エッセイ No.1】守り守られ、時は巡る
レラちゃん、こんにちは。
こうして手紙を書くのは一体何年ぶりだろう!
高校に入学した10代半ばで知り合って、いずれプレ介護の親が共通の話題となる日が来るとは、当時の私たちには想像がつかなかったね。
共同マガジンを一緒に運営することになって、とてもワクワクしています!
お互いの日々のなかから文章を紡いでシェアしていきましょう。
今回のエッセイはこちらです。
守り守られ、時は巡る
実家の父の通院に私が付き添うことがある。大抵は母が同行するのだが、母は足腰が悪く、杖なしでは歩けないので、二人のどちらがサポートされる側なのか、パッと見にはわからない。
その日は雨で、離れて住む私が母の代わりに父のお供を申し出た。しかし病院の最寄り駅で父と待ち合わせると、傘と杖を手にした母も一緒にやってきた。
なんで?! と訝る顔を向けた私に「お父さんが来てほしいって言うから……」と母。
雨の日の外出は大変だろうから私が出向いたのにと、内心は不満だったが、来てしまったものは仕方ない。心配性で人に任せるのが嫌いな母が、本当は自分の意志でついてきたのだろうと思ったが、口には出さなかった。
もうすぐ82歳になる父は、軽度認知障害(MCI、認知症手前のグレーゾーン)だが、いまのところ身体に不自由はない。一方、父と同い年の母は、現状では認知の問題はないが、身体の動きに制限がある。
両親は80歳を過ぎたころから、二人で1セットという状態になった。老年夫婦の多くがそうなのかもしれない。不具合が少しずつ増えていき、お互いの不自由を補い合いながら、二人暮らしの日常をどうにか回している。
いわゆる介護状態では、まだない。しかしこの日の通院付き添いのように、時おり私が両親のサポートをするようになって2年余りが経つ。
診察と検査が一通り終わると、ゆうに半日以上が過ぎていた。50代の私でも少し疲れを覚えたほどだから、80代の両親にはなおさらだったろう。
ようやく解放されて、ホッとした気持ちでタクシーに乗り込んだ。後部座席の一番奥に父、真ん中に私、足腰の不自由な母が入口側に座った。
すると私の左右から「シートベルトができない……」と声が上がる。後部座席のシートベルトは締めにくいものが多い。力の弱い老人には、ことに難しい。
私は慌てて左側に身体をひねり、まず母のシートベルトを締めた。カチッとした感触が手に伝わる。次いで右側を向き、父のシートベルトをグイッと引き出して金具をはめた。再びカチッと手に残った感触に、あれ?! と私のなかで何かがフラッシュバックした。
この感触には覚えがあった。気が急いているなかの、シートベルトを引っ張る「グイッ」と金具がはまる「カチッ」。
幼かった息子をチャイルドシートに乗せたときの動作と感触の記憶だった。一気に時間が駆け戻り、幼児の「お母さん」だったころの心持ちがよみがえる。
私は左右で小さく座席に収まっている両親を見た。私が二人の「お母さん」になったかのような気分で。
ああ、親と子の立場がこれから逆転していくんだと気づいた瞬間だった。
私の息子が成長して抜けたあとのスポットに、サポートが必要になった両親が入ってくるのだろう、と。私にとって象徴的な「世代交代」を感じさせる出来事だった。
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