【往復書簡エッセイ No.21】99歳の野望
レラちゃん、こんにちは。
よくぞ、ご両親を連れてご旅行なさいました! と改めて思いました。
高齢者が日常から離れると、気持ちと身体両方の対応がタイヘンになる感じ、よくわかります。大冒険でしたね。
高齢者が「いつも通り・これまで通り」を守りたがる気持ち。理屈ではわかっていても、私たち子ども世代が考える「もっと快適な状態」を否定されると、ブチ切れたくもなります。
私も母にキレかけること多々。しかし母の「ゴネ」が可愛く思えてくるような、もっと手強い人物がいたのです。今回は、その人の思い出話を。
99歳の野望
80代の母のガンコさに閉口している。不便さが増していく高齢者の暮らしが少しでも緩和されるようにと、私は様々な提案をする。しかし母にしてみれば未知の領域のことばかり。だから筋の通らない言い訳をして、次々と却下する。
もちろん私は面白くない。この暑さもあって、母と冷静に向き合う気になれず、しばらく放置でいいか……という気分である。
ガンコ者で思い出すのは、101歳になる直前に亡くなった、夫の祖母のことだ。超が付くケチっぷりで、かつ独立心が旺盛だったアメリカのグランマ。私が会ったのは、彼女の晩年80代後半からの数回だが、その言動はいつもユニークだった。
いまから20年ほど前、私が夫と二人で初めてグランマを訪ねたときは、彼女の運転で近くの湖へドライブをした。90歳手前だったが一軒家に一人暮らし。車の運転もする自立ぶりに、当時の私は驚いた。
グランマは久しぶりに孫息子に会ってご機嫌だった。湖のほとりで私にカメラを手渡して、孫息子とのツーショットを撮ってほしいと言う。可愛いおばあちゃんだなあと私はほっこりしたが、そのカメラは以前公園で拾ったのよ、と自慢するように教えてくれた。見れば、ちゃっかりとグランマの名前ラベルが貼ってあり、私は思わず吹き出した。
その後90代を半分以上過ぎて、グランマは車椅子が必須となり、やがて一人で生活するのが物理的に難しくなった。介護を担える者が近くにおらず、家族は嫌がる彼女を強引にホームに入れた。
自立心の強いグランマは、当然ながら自宅で一人暮らしを続けることを望んでいた。彼女に言わせると、ホームとは他人からうるさく指図されるところ。そんなのは御免被る、というわけだ。体が弱り24時間の介護が必要となっても、あくまで強気なのである。
「いつになったら家に戻してくれるのか」と家族に何度も訴えたが、一人暮らしなんてムリでしょう、と誰も本気で取り合わなかった。けれどもグランマは、めげなかった。その頃グランマは99歳。「100歳の誕生日は自宅で迎える」という野望があった。
帰せ帰せとあまりにもしつこいので、それなら全部自分で帰る手筈を整えてくれと、家族はグランマを突き放した。そんなことは出来っこないだろうとの目論見で。
するとどう手配したのか知らないが、本当に望み通りホームを退所して自宅に戻ってみせたのである。その執念には恐れ入る。ガンコもここまで徹底しているとは。
そうして迎えた100歳の誕生日をグランマはお気に入りのレストランで祝った。誕生日に年齢分の割引をしてくれる店で、それまでにも98歳で98%引き、99歳で99%引きの食事をしていた。無料や割引が大好きなグランマにとって、これ以上ステキなことはないってほどの喜びようだったらしい。
あんなに家に帰りたがったのは、誕生日100%割引を実現するためだったのではないかと、私は密かに思っている。
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