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【往復書簡エッセイ No.19】リアルだと母に寛容になれると気づいた話

レラちゃん、こんにちは!

ご両親を伴っての青森・山形旅行、お疲れさまでした。レラちゃん一人でお二人に対応とは、すごいことです。私はもう両親を遠くに連れ出せそうにないかなぁ。旅の続きの展開を心待ちにしています!

今回は、母へのモヤモヤから、ふと発見したことをお届けします。


リアルだと母に寛容になれると気づいた話

高齢の両親に接するなかで、私の目線は父に対してよりも、母に厳しめなところがある。

定期的なビデオ通話でも、父のことは見守る気持ちが強い一方、母のことはつい私の「同士」のような立場として扱ってしまう。見守られる側でなく、一緒に父を見守る側にいてほしいという私の願望が顔を出すのだ。

母に対する期待値の設定がそもそも間違っている自覚はある。それでも母の言動に対し反射的にイラっとしてしまうことが多い。

たとえば、ビデオ通話の最初に交わす定型のあいさつ「体調はどう?」に対して、必ずネガティブな返事をすること。「出鼻をくじかれた感」とでも言おうか、毎回わかっていても、いい気分はしない。

あるいは私が父に話してもらおうと振った話題を母が横から引き取り、そのままおしゃべりの勢いが止まらなくなることとか。

ところが先日、リアルで母に会ったときには、いつものイラ立ちが起こらなかったのである。自分でもちょっと驚いた。

何がビデオ通話と違ったのだろう?

ひとつ思ったのは、オンラインに比べてリアルは非言語情報が多いこと。ビデオ通話でも相手の顔が見えるとはいえ、座った状態で、画面上での動きはあまりない。

一方で実際に対面してみると、母の表情や立ち居振る舞い、実家の環境を私自身も同じタイミングで体感できること等々、言葉以外の情報に溢れている。

すると言葉だけのコミュニケーションよりも、総合的に状況を判断できる。結果として、とっさに感情のみで母の言葉に反応してしまうことなく、もう少し客観的な視点を保てる気がした。

一般に相手がイヤな人だった場合、関係性の薄い他人であれば、不快な思いをしないためには、会う回数を減らすのが手っ取り早い防御策といえる。

けれども私は、母に対してはリアルで会う方が寛容になれた。ちょっと新鮮な発見だった。結局、近い関係性ゆえの期待値の高さが、イラ立ちの一番の原因であって、私の側の問題なのだと思う。

考えてみれば母は、主張を曲げないガンコなところも含め、ただ思うまま自由に振舞っているだけであって、別に私を困らせようとしているわけではないのだ(結果としてそうなっていたとしても汗)。

母にイラっとすることが、これで大幅に減るほど単純ではないだろう。でも今回の気づきは、これからも起こるであろう波風を少しは穏やかなものにしてくれそうである。

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