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アソート日記(2023/03/06)

・満員電車に乗っていて、駅に着いて、たくさんの人が待っているのが見えて、まあでもここはターミナル駅だからそれなりに人が降りるだろうと思ったけど全然誰も降りなくて、人々は目を見合わせるもどうしようもなくて、人が乗ってきて、乗ってきて、乗ってきて、乗ってきて、マジかと思っても乗ってきて……
・仕事が最近そういう感じになっています。どうなってんだマジで。来月になるとたくさん終わってくれるので多少気が晴れるのですが、満員電車によって潰れたサンドイッチの処理とかをしないといけないのでたぶん気が晴れることはないのでしょう。ほんとふざけている。本当に腹が立つのは、これだけ忙しいのに特段金になってるわけではないし、みんなから褒められるほどの新しいことをしているわけでもないことです。需要のあることなので水平展開は見込めそうなのですが、水平展開するころには別の部署に行っているかもしれないので、ここを耐えたところでいいことがあるかっていうと微妙なのがさらに腹の立つことです。

・オールナイトニッポン55周年記念特番が2月の中旬にありました。全部は聞けなかったのですが、それなりにたくさん聞きました。
・その中で一番印象に残ったのがタモリのオールナイトニッポンでした。星野源がゲストで来ていたのですが、お互いをリスペクトしている空気感が非常に心地よい放送でした。タイムフリーがない時期に書いちゃってすみません。
・その中で、「幸せ」について語っていたパートがありました。記憶の範囲でざっと書くと以下のような内容です。曰く……

幸せという字と辛いという字は形は似ているが成り立ちは全然違う。辛いという字は刑罰を行うときの入れ墨に使う道具である(※筆者注:よく調べたらこれは誤った説とのこと)とされている。幸という字は、手枷を意味していた。これは、「本来死罪になるところ、手枷程度で済んでよかった」ということで今のような意味になった。この話を聞いたときに、幸せというのは上を見上げて願うものではなく、足元を見て感じるものなんだと思った。
タモリのオールナイトニッポン

・これを聞いてめちゃめちゃいい話だなと思いました。
・上を見上げて願うタイプの幸せは実体がなく、実際それを得ることができたとしても幸せだと感じることはできないのかもしれないなと思います。感じることができるとすれば、それはもっと不幸な世界線の自分を想像して、そこと自分とを比較したときに生まれてくるものなのかなと思います。

・仕事において不平不満はたまっていますが、就職できず毎日家でストロングゼロを飲んで不安の輪郭を溶かしている日々を過ごしていた可能性があったことを考えると、残業が月60時間くらいになった程度で済んでよかった、というのは幸せなことなのだと思います。こう考えることは向上心を失うことでもなくて、ただ自分が確たる大地の上に立つことができている実感を得るためのことなのかなと思います。

・タモリの言っていること自体はもうちょっと次元の深いことなんだろうと思いますが、自分には上記のように感じられました。みなさんはどうですかね。

・あと、タモリで思い出しましたが、タモリ倶楽部が終わってしまうとの報を聞き、深い悲しみに襲われています。正直タモリ倶楽部を毎週見ていたかというと見てはなかったのですが、タモリ倶楽部に出演している大人への憧れの念は非常に大きいものがあります。「全オタクはタモリにハマりたい」と思っているという言葉がありますが、わたしもその一人です。タモリに自分の話を聞いてもらって笑顔になってもらえたら、なんかもう人生が急に終わっても惜しくないなと思ってしまうほどです。

・タモリ倶楽部が終わってしまうということは、そういう素敵な大人たちが評価される場が減ってしまうということです。これがもう寂しくて仕方がないです。そういう大人たちに、何か正当な評価を得られる場ができてほしいなと思うと同時に、自分もそういう世界を見つけたときに正しい評価ができるように、アンテナを広げていきたいなと思います。

最後に自分の一番好きな空耳アワーの曲を置いておきます。

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