勝手に懐かしんでいいのか
先日福岡県に行きました。目的は主に位置情報ゲームを遊ぶためです。主目的が位置情報ゲームであっても、それ以上に得るものがあるから旅行は辞められません。今回の福岡県旅行の中で最も思い出に残ったのが、サムネイル画像にあげている焼きそばです。
わたしは20年以上前に福岡県北九州市に住んでいたことがあります。そのとき、八幡駅前にあるちゃんぽんのお店に通っていたのを覚えています。ちゃんぽんのお店にもかかわらずわたしは必ず焼きそばを食べていて、そして毎回大満足で帰っていました。八幡という地名と焼きそばが強烈に結びついていて、今でも「八幡」と聞くとよだれが出てしまいます。「本八幡」とかでも危ないです。まさにパブロフの焼きそばです。
十数年の時が経ち、福岡に自由に行ける身分になりました。わたしはなんとしてもあの八幡のちゃんぽんをまた食べねばならないと決意していました。何度か福岡に行こうという機会があり、その度に八幡のちゃんぽんを食べに行こうと計画したのですが、行こうとするたびに定休日にぶち当たったり、時間が確保できなかったりなどして行けませんでした。また、Googleで検索をかけたちゃんぽんのお店を見ても「こんなんだったっけな〜?」と自信がなく、記憶上にある幻想の焼きそばに再度出会えずにいました。
ある日、フォロワーの方々が「プロ野球選手ゆかりのちゃんぽんのお店」の話をしており、その店名が「銀河のチャンポン」であるという情報を得ました。この店名にピンときました。そして、昔は八幡駅にあったが移転して今は永犬丸というところにあることを知りました。Googleで検索をして食べログのページを見て、出てきた焼きそばの写真を見て「これだ!」と直感しました。
そしてわたしは福岡行きの日の昼食をここにすることに決めました。公共交通機関では絶妙に行くのが難しい立地ですが、そんなことは思い出の味の前には取るに足らないことです。ああ!こうしてわたしは20年ぶりに思い出の味と再会することになるのです!
このお店の焼きそばは、何が珍しいとか、何がすごいとか、そういうものがあるわけではないのです。そういう意味において、ほとんどの人にとって新幹線で何万円もかけてまで行くところではありません。ですが、家の近くにあったら無限に通ってしまうような、そんな中毒性のあるお店です。近くを通りかかったら吸い込まれてしまうような、銀河というよりブラックホールのようなそんなお店です。中央に生卵があり、これが熱い鉄板の上でじわりと変化していくのです。その変化の様子は食べるたびにちょっとずつ違っていて、子どもの頃からその毎回の微妙な違いを楽しんでいたような気がします。ここじゃなきゃ食べられない味ではたぶんないのですが、それでもここで食べたいと思える味です。
わたしは懐かしさのあまり泣きそうになってしまいました。この懐かしさを伝えたくて、店員さんに「わたし20年ぶりなんですよ、本当に懐かしい」と言おうかと思ってしまうほどでした。しかしそこで立ち止まりました。「わたしは勝手に懐かしんでいいのだろうか?」
わたしは大合奏!バンドブラザーズというゲームを遊んでいます。このゲームはときどきなんらかの形で話題になるのですが、そのとき「うわー!バンブラなつかしい!」と言っている人をちらほら目にします。懐かしむこと自体に悪いことはなく、悪意もあるはずがないのですが、なんだかこう、「懐かしまれるものをわたしたちはずっとやっているのか……」という気持ちになることがあります。現役で活動しているお笑い芸人の人に「あっ!懐かしい!」と叫ぶことを例にするとわかりやすいですが、「懐かしい」という言葉には、「そう思うだけ長い時間の不在」の意味が含まれることになります。それを表明することに、なんの意味があるだろうか?と思ったのです。
わたしが銀河のチャンポンに20年行かなかったのは、転勤によって行けなくなったからなので、おそらくわたしの「懐かしい」には失礼な文脈はさほどないのかなと思います。それでもわたしは、この「懐かしい」を心の中だけにとどめておくことにしました。20年ぶりの味を食べることができた非日常の裏側には、この味を20年以上支え続ける店員さんたちの日常があります。その20年に敬意を表する方が先だなと思いました。
お店を出るときにわたしは深々と頭を下げました。20年以上このお店を存続させてくれたこの地域と店舗に、そして引き合わせてくれた諸力に大いなる感謝を込めたつもりです。