語彙力増強作戦会議(第1回)
みなさんは語彙力に自信ありますか?わたしはそんなに無いです。正確に言えば、偏差値50以上くらいの語彙力はあると自負しているのですが、世の中には語彙力の怪物がたくさんいるので、自分風情が語彙力のある人間を名乗るのはとても出来ない、と思っています。もっと語彙力が欲しい、という向上心はあるのですが、ここ最近、自分の語彙力が増えていない気がしています。そこで本稿では、語彙力を増やすにはどうしたらいいのか、素人考えで考察をしてみようと思います。
読み書きによる分解
語彙力について考えるにあたって、本稿では言葉の重要な機能である「読むこと」「書くこと」の二つの軸で考えていこうと思います。具体的には、読んで意味が分かるものを知っている言葉、自分の文章に織り交ぜて書くことができることを使える言葉、と定義してみます。表にするとこんな感じです。
それぞれのゾーンに何かキャッチ―な名前を付けられればいいのですが、語彙力がないので上から順番にA,B,C,Dとおきます。そして、本稿において「語彙力がある人」というのは、Aゾーンに入っている言葉の数が多い、すなわち、知っていてかつ使える言葉を多く持つ人である、と定義してみます。「自分から使うことはなくても聞けばわかる」言葉をたくさん知っている人も語彙力があるといえそうですが、もう少し上の段階を目指そう、ということです。以下では、それぞれのゾーンにある言葉について、どうしたらAゾーンまで持っていくことができるか、その方法を考えてみることにします。
知らないし使えない言葉(Dゾーン)
「知らないし使えない言葉」は、そもそも存在を知らない言葉、会話や文章の中に出てきても、意味が全くわからない言葉を指します。語彙力を鍛える、となった場合、多くはこの領域を減らすための取り組みである、とイメージする人が多いように思います。
この取り組みの難しいところは、際限がなさすぎるところです。たとえば、以下のような文章があったとします。
信号処理におけるヒルベルト変換は、それが実数値信号 u(t) の解析的表現を導くという点において重要である。具体的に、u のヒルベルト変換を v とすれば、v は u の調和共軛となる。すなわち、v は実変数 t の函数であって、複素数値函数 u+iv がコーシー–リーマン方程式を満足するように複素上半平面まで延長可能となる。(Wikipedia「ヒルベルト変換」より)
たった3文ですが、すべてにわたって、わたしには何を言っているのかさっぱりでした。この文章を理解するためには、それだけで何冊かの教科書で勉強しなければならないでしょう。もちろん、上記のような文章が分からないことによって、「君は語彙力が足りないねえ」と言われることはまずないでしょう。この文章が理解できないのは、語彙力がないからというよりは、信号理論や数学についての知識が不十分だからという理由の方が大きいからです。しかし、わたしは、存在すらをも知らない言葉を知ろうとすることは、上記のような言葉を知ろうとすることに似ていると思っています。なぜなら、知らないし使えない言葉というのは概してその言葉が存在する世界を丸ごと知らないことが多いように思うからです。
この世界には、知らない世界がジャンルを問わず無数に存在しています。そしてその知らない世界の中に、さらに無数の知らない言葉があるのです。これをすべて知るのは神以外に無理ですし、必要もないのではないでしょうか。したがって、語彙力を増やそう、と思った場合、存在すらも知らない言葉に挑むのは、非効率的というか、途方もなさすぎるのではないか、と思います。どちらかというと、自分の存在している世界を広げることの方が重要で、言葉を知ることはその副産物であるように思います。国語辞典の適当なページを開いて「へえ~こんな言葉もあるのか」と感銘を受けたり、ウィキペディアの「おまかせ表示」で知らない記事にランダムで飛んでみたりという遊びもまた良いと思います。ですが、それよりも、何か自分の知らない、新しい世界を丸ごと自分の中に取り込もうとすることが、存在をも知らない言葉を自分のものにするための効率的な方法なのではないでしょうか。そう思います。
ということで、語彙力そのものを強化したいという場合は、すでに知っているものを使えるようにしたり、すでに使っている言葉についてさらに深く知ると思うことの方が効率がいいのではないかと思っています。以降は、その話をしていきます。
知っているが使えない言葉(Cゾーン)
「知っているが使えない言葉」とは、人の話している話を聞いたり、人の書いた文章を読んでいるときに意味は分かるが、自分が文章を書いたり話したりするときに思い浮かばない、という言葉のことを指します。こういった言葉を自分のものとして使えるようにするためには、専用のトレーニングが必要になるのではないか、と考えられます。以下では、そのトレーニングの方法について考えてみます。
「この言葉、自分で使おうと思ったことはないな……」と気づけるのはどんなタイミングでしょうか。それは、誰かが実際にその言葉を使っている場面に遭遇した時だと思います。なぜなら、自分だけの思考の中で、使えない言葉が突如沸いてくることはないからです。もし沸いてくるのであれば、その言葉はすでに使える言葉です。これは超当然の話ですが、重要な事実です。精神論めいてしまうのですが、人の文章を読んでいてこの気づきをどれだけ得られるか、というのが使える言葉を増やす正統な道なのではないかと思います。この気づきを得るうえでの作戦としては2つあって、一つは大量に本を読むことで気づきを得る確率をあげる、もう一つは丁寧に本を読むことで無理やり気づく体制を作る、だと思っています。
大量に本を読む
大量に本を読むことによって、上記のような知っているが使えない言葉との出会いの回数自体を増やすことができます。正確に言うと、「ただ知っているだけの言葉の生きた用法に出会える」という方が正しそうです。サプリメントを飲むより自然の食べ物で栄養を摂取した方がいいといわれる(※実際どうかは知りません)ように、単語帳や辞書から得る知識より実際の文章、文脈から得る知識の方が吸収効率がいいと思われます。多少消化不良で、5%程度しか摂取できなくても、10000語と出会えば500語の用法が自分のものになる、という理屈です。そのうえで、気を付けるべきことは、なるべくいろいろな人が書いた本を読むことではないかと思います。どうしても文章は人によって癖があるので、いろんな癖のある文章を読んだ方が、いろいろな事例に出会えるチャンスがあります。この方法が、時間がかかりつつももっとも自然に語彙力を増やす方法であり、得られるものも多いやり方です。自分の世界を広げることもできるので、先述のDゾーンの言葉を自分のものにするチャンスも得ることができるでしょう。
丁寧に本を読む
自分が講釈を垂れるようなことができる身分ではないのは重々わかっていますが、丁寧に本を読むやり方についても考えてみます。わたしの考えですが、文章を書いた人の意図を探ろうとすることが、トレーニングになると思っています。例えば、シンプルな例ですと、
或春の日暮です。
唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。
(芥川龍之介『杜子春』)
この文章を読んだときに、「ぼーっと」ではなく「ぼんやり」にしたのはなぜか、ですとか、「空を眺めて」「空を見つめて」ではなく「空を仰いで」にしたのはなぜか、ですとか、そういったことを考えながら読んでみる、ということです。そうすると、今後文章を書こうとするときに、「こういうときだったら自分は空を『仰いで』を使ってみようかなあ」という選択肢が出てくるようになるのです。この取り組みでは、意図について正解を出す必要はないと思っています。本当の正解は芥川龍之介にしかわからないですし、そう簡単にわかるほどこの世界は甘くないと思っています。それでも、自分の頭で考えてみることが大事で、読みながら書くプロセスを追体験することで、書くための語彙力が上がってくるのではないかと思います。一から文章を書くよりも、「お手本」を隣に置きながら進められるので、効率が良いと思われます。
とはいえ、そんなに言葉の選択肢は出てこないよ、というのが普通だと思います。そんなときに有用なのが「類語辞典」です。文章を書く側の人にとっては手放せないものではないかと思いますが、書くとき以外はなかなか使おうと思わないものです。人の文章を読むときに類語辞典を引くことで、普段使わない言葉を土俵に引っ張り出して、比較することができます。このトレーニングのいいところは、「自分はこの言葉を知っているけど、使えていない」という事実に気づくことができる点です。言葉と、その周辺の言葉の理解が有機的になるので、使い方の幅が広がる可能性があります。
ちなみに、わたし自身、一番語彙力が上がったのは、人の書いた同人誌の感想を書こうとした時だったのではないか、という気がします。さすがに類語辞典を引っ張り出して読んだことはあまりないですが、言葉の端々に見えるこだわりを勝手に感じ取ってにんまりとしたことは数え切れません。人の書いた文章の意図を妄想するのは面白いですし、非常にためになるように思いますので、使える言葉の幅を増やしたい皆様は、ぜひ試してみていただければと思います。効果には個人差がありますが……
使っているが知らない言葉(Bゾーン)
長くなったので、このゾーンの検討はまたの機会にしたいと思います。このゾーンも、相当厄介な問題をはらんでいます。
今回のまとめ
色々考えてきましたが、今回の分については3行でまとめると以下です。
①勉強しろ!
②本を読め!
③文を書け!類語辞典を引け!
……と、読んでみると超当たり前の結果になってしまいましたが、このようにあれこれ遠回りした結果たどり着く当たり前というのは、当たり前の確度をより高めて、またより納得できるものになると思います。今回のアプローチについて、わたしが書いたもの以外にも「こういう方法もあるぞ!」というのがあれば、そっと教えていただけるとうれしいです。また、今回の文章を、「人の書いた文章の意図を考える」練習に使ってもらって、感想文を書いてもらうのも…………いや、それは恥ずかしいのでやっぱり結構です……。