読者と手を取り合うタイプの芸術
昨年の12月25日に、駅メモ!のオンリーイベントの「フットバーしま~す!!11」が開催されまして、無事に閉幕しました。わたしのスペースにもたくさんの方が来てくださりまして、非常にうれしかったです。さらにありがたいことに、「よくぞこの世界に戻ってきた」などなど、たくさんのありがたい言葉をかけていただき、「またしんどい思いをして文章を書いてよかったなあ……」という感慨を得ました。
中でもうれしかったのが、丁寧なお手紙をいただいたことでした。その中に、「今でも読み返すたびに新鮮な発見がある」ということを書いてくださっていて、それが涙が出るくらいにうれしいことでした。ただ、この場で言いたいのは、「読み返すたびに発見があるのは、あなた自身が人間として立派になっているからですよ」ということです。わたしの持つ文章の力も多少あると思いますが、読む側の心の成長なくして、それは起こりえないことだからです。
使い古された表現かもしれませんが、前々から、文章の良しあしについては、半分は作者の手柄で、もう半分は読者の手柄だと思っています。文章に限らず、絵画や音楽などの芸術もそうだと思うのですが、文章に関してはその傾向が特に強いと思っています。文章は、読まれる瞬間までフリーズドライのような状態で存在して、読者が読むことによって、適切な温度のお湯を注がれた時のように、ゆっくりと花開いていくものだと思います。読む人の感性によっては、ときに作者が想定もしていないほどの深い味わいを感じてもらえる時もあり、そこが文章の面白いところだな、と思っています。なので、「面白かった!」と言ってもらえた時には、わたしは「いい人に読んでもらえてよかった……」と思っています。文章は書く人と読む人が手を取り合って共同で作り上げる芸術なのです。
もちろん、誰が読んでもつまらない話もあると思います。多くの人が読んで面白いと思ってもらえるような話を書くことが作者としての果たすべきことだと思っています。そして、つまらない話になってしまったことの責を、読者に負わそうとしているわけではありません。わたしの本を読んで面白くなかったと思った場合、その責のほとんどはわたしにあると思うためです。本稿で言いたいことは、仮にわたしの書いた話を読んで、面白い、と思っていただけたのであれば、それを面白がっていただけるあなたの感性のおかげです、ということです。手を取り合って一緒に良い架空の世界を作り上げることができたことに対して、改めて心からの感謝を申し上げます。
わたしが頒布した本の通販はまだやってます。気になっている方はぜひよろしくお願いします。おかげさまで、在庫も残りわずかになってきております。