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麻雀ですぐ降りる人生…と思われる人生

先日麻雀をして遊んでいたときに、「キミすぐ降りすぎでしょ」と言われてしまいました。「降りる」というのは、自分の勝つ可能性を潰してでも負けないようにする戦術のことを指すのですが、状況が悪くなったらすぐにそれをやってチキンだと思われてしまったということです。実際その日はかなり慎重な打牌が多い日だったので、「すぐ降りる男」は半分間違いではないのですが、もう半分は間違いです。その日がたまたまそういう気分の日だった、というだけで戦略性も何もあったわけじゃない、というのが実際のところです。

100%気分だけで打っているわけではなく、3〜4種類くらいの戦略的な人格がいて、日々気分によってそれが入れ替わっているだけという感じが近いです。何種類かの人格はそれぞれ自分なりの戦略を持っていて、そのときそのときでちゃんと考えているのですが、その人格の選び方が戦略的ではないので、トータルで見ると全く戦略的でないのです。よくいえば柔軟で、悪くいえば芯が通っていないのです。ある程度経験と学習が積み重なってきて、「こういう時はこうしてこういう時はこうしよう」というのが出来てくると、それが戦略の幅になってくるのだとは思うのですが、その境地に達してはいません。

麻雀のように、その日その日で勝ち負けがバーンと出て、はいおしまい、となるものならいいのですが、これが仕事のような連続的なものだと困ったことになります。言っていることがコロコロ変わる最悪上司概念になってしまうからです。その日その日によって戦略が変わってしまうと、「このあいだと言ってることが違うじゃん!」となってしまいます。このとき、発言に筋が通っているかというのはあまり関係ありません。一貫性のみが重視される場面というのは仕事上よくあることです。(特にシステム開発の仕事はそうですね。) 実際職場の上司にもそう見える人がいるし、関わっているお客さんにもそう見える人がいたりして、日々振り回されています。そういう人を見ていたり、自分の麻雀の打ち方を見ていたりするにつれ、いつか自分が振り回す側になるかもな〜ということへの恐れを抱いています。

とはいえ、その気分というのも、サイコロの目のように本当にランダムに変わっているわけではなくて、直近の経験によって無意識下で変わっているときもあるので奥が深いです。その日に慎重な打牌になっていたのは、単純にここ数日の自分の運がはちゃめちゃに悪く、「行動が良くない結果につながることが多い」という自意識が影響していた可能性は大きいです。なんだかんだで人間は合理的に動くように出来ているので、その場その場で戦略を変える、ということもどこかで自分を守ってくれている可能性もあります。

そういう意味では結局のところ、戦略を柔軟に変えられるようにすることは大事なことなのだろうと思います。なるべくその戦略の選び方が気分ではなく明確な根拠に裏打ちされるようになればいいんだろうなと思います。まずは、あからさまに「すぐ降りるやんけ!」と言われないようにすることを目指すところから、ですかね……。

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