目を合わせて話せない気がする
先日会社の部長と面談をしました。部長はよその部署から4月に異動してきた熱血漢です。何事に対しても前のめりな感じがあって、どこか体育会系を感じさせる雰囲気があります。部長との面談はオンラインではなく対面形式で、ファミレスの席みたいな打ち合わせスペースに向かい合って座っていました。途中、「後ろに何かあるの?」と言われて、わたしの視線が部長に背後にあることに気がつきました。そこで初めて、「そうか!普通話す時は相手の目をみるんだ」ということを思い出したのです、しかし、かと言ってすぐに部長の目を見て喋ることはできませんでした。目を見ると眉間に吸い込まれるような感覚が走るのです。視線をどこにおいていいかがわからなくなって、結局面談中は手元を見たり虚空を見たりと視線が安定しないままになってしまいました。
「普段舌をどこにおいてますか?」と聞かれると急に口内にある舌の存在が邪魔になることがあります。このように、普段無意識下でやっていることは意識した瞬間に難しいことになることがあります。一般の人は、「アイコンタクト」というものをどのくらい意識しているのでしょうか?できないことはどれくらいやばいことなのでしょうか?
最近、目を合わせて喋らないと!ということを意識する場面が減りました。2020年以降の事情でそもそも「向かい合う」こと自体が減りました。仕事においては「資料」を見ながら喋っていたような気がします。これまで他人と目を合わせて喋っていたか?と言われるとかなり自信がなくなってきます。よく「本当のことを言っているかは目を見ればわかる」という人がいますが、全く目を合わせようとしないわたしの言うことは、そういう人にとってどう見えていたのでしょうか?なんというか、知らんところで評価がずいぶんと下がっていたんじゃないか?ということが急に怖くなってしまいました。
インターネットで調べると、これを「正視恐怖症」と言うのだそうです。より広範な概念として「視線恐怖症」というものがあり、他人の視線を怖く感じる症状もあるのだそうです。わたしは見られている分には怖くなくて、ただ見るのが怖い、ずっと見ていることができない、というタイプなので、視線恐怖症というよりは純粋な正視恐怖症なのかもしれません。原因はトラウマなどがあるようです。
トラウマに思い当たる節はないのですが、昔スピーチコンテスト的なものに、運良くクラスの代表として参加したことがあります。基本的に緊張しないタイプだし、記憶力もあるので原稿を全て覚えて臨みました。スピーチの終盤に、観客席にいる一人の女性と目があったのです。その瞬間に、その女性の眉間に自我が全部吸い込まれてしまい、全ての原稿がすっ飛んでしまいました。そしてあわわのままスピーチが終わってしまったのです。「原稿が飛んでなかったら2位が取れたのにね」といろんな人に言われてしまう結果になりました。人の目が見られないということが、これが原因のトラウマか?というと、おそらくそんなことはありません。むしろ、人の目を見られないからこれが起きたと考える方が自然そうです。これ以外に思い当たる節は特にないので、なんでこうなったのかは謎のままです。
このことに気づいてしまった以上、これからどうしようかなと思っています。わたし自身が困ってるわけではないのですが、困ってないところで困ったことになっている可能性があります。方針としては①治す②諦める③開き直って理解を求めるの3択かなと思います。
わたしの場合運のいいことに1秒も相手の目を見ることができないわけではないので、今日は2秒、明日は3秒と増やしていくことで、これを治すことはできるかもしれません。やってみる価値はあります。
しかし、すぐに出来ることもあります。それが本稿を書くことでした。これをお読みでわたしに会ったことがあるみなさん。これまでわたしと目が合わなかったのは「こういうやつ」だったからです。どうかご理解と変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?