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大洗めんたいパークのものしり博士

茨城県の大洗に、めんたいパークというテーマパークがあります。そこでは明太子の製造工程について学んだり、明太子を購入したり、はたまためんたいソフトというクセになるグルメに舌鼓を打つことができたりします。

その中の一角に、正確な名前はうろ覚えなのですが、「ものしり博士のゲームコーナー」がありました。明太子について教えてくれる博士が、神経衰弱などで勝負してくれるのです。

わたしは就職する直前くらいにめんたいパークに行き、その博士に勝負を挑みました。博士は子ども相手の腕前ということもあり、ボッコボコにしました。申し訳ないくらいの圧勝をしてしまいました。そして博士は言ったのです。「うわー。参った参った。また勝負するのじゃぞ。次は負けないぞ〜。」

わたしはこの博士のボイスが、今でも頭にこびりついています。子ども向けのものに大人が乗り込んで行って、快勝してしまったことによる後ろめたさもあります。ですが、それだけではなく、博士そのものに対して、「頼む!頼むから幸せになってくれ!」という願いを持ってしまったのです。ものしり博士は、このゲームコーナーに閉じ込められ、生涯子どもたちと一緒に遊ぶことを運命づけられ、負けることを求められ、負けたら悔しがることを求められているのです。このことに対してなんだか胸が苦しくなります。

たとえばこれが、ディズニーリゾートにあるゲームコーナーであれば、ここまでの侘しさを覚えていなかったように思います。これがめんたいパークという、絶妙に子どもの記憶に残るか残らないか怪しいところにあるのがポイントです。子どもたちの思い出に残るように、一緒に遊んであげて、喜怒哀楽を爆発させてくれているというのは本当に尊いことだと思います。その尊いことが、もっと正当に評価されてほしいのです。博士の悔しがり方には、「いい人」が滲み出ていたのです。いい人が報われてほしいのです。

ただ、失礼ながら、めんたいパークのものしり博士のゲームコーナーが、人生を変えるような思い出になることはないでしょう。作った人も、そこまでのものになるとは思わずに作ったものだと思います。(めんたいパークのメインは明太子の製造工程などの展示なので)だからこそ、この博士の行為が切なくなるのです。子どもたちのために、全力で子どもたちとぶつかってくれているのに、肝心の子供たちには無感情にあしらわれてしまうのではないか…?ということを考えると、悲しくてやりきれなくて仕方がないのです。

博士が喜びを感じるとしたら、それはゲームで勝つことではなく、おそらく子どもたちが楽しんでくれて、いい思い出を残してくれることなのだと思います。博士が少しでも報われるように、本稿で改めて書きます。ものしり博士さん。わたしはあなたのことを忘れないです。楽しい時間をありがとう。

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