
なるべくこっそり道路を歩きたい
わたしは運動がてらよく散歩をするのですが、道路を歩いているときにいつも気にすることがあります。それは「道路を歩いている自分の存在があらゆるものに影響を与えないようにしたい」ということです。
たとえば、細い路地を歩いているときに、信号のない交差点で、自分の渡ろうとする道路を横切ろうとする車が現れたとします。車は歩行者に道を譲る義務があるので止まってくれるのですが、これが非常に嫌なのです。自分の存在によって何らかの交通主体の行動に影響を与えてしまうからです。したがって、わざと角を曲がるふりをすることで車を騙し、「何だ、こいつは渡らないのか~」と思わせることで、車を減速させることすらなく進ませる、ということをしています。その後、車の後ろから回り込んで直進することで、もともと行きたかった方角へと進むのです。図解すると以下のような感じです。
自分はよく曲がろうとするムーブをしてドライバーを騙すんですけど同じようなことしてる人いないですかね? pic.twitter.com/mpiD9ZChR0
— 午後の紅茶 a.k.a MC-55T (@gogotea_55t) March 15, 2022
ですが、これは実は簡単なことではなく、状況によって最適解が変わってくることがあります。たとえば、わたしの後ろにも歩行者がいる場合、どのみち車は止まらざるを得なくなるので、むしろ車を先に止まらせて、後ろの歩行者と一緒に道路を渡る方が流れを損なわずにスムーズになります。後ろから回り込もうとした結果、あとから来た歩行者が車を止めてしまい、その結果挙動不審な動きになってしまう、というのはよくあることです。
自分のために車に止まってもらうのは嫌だけども、自分が挙動不審な動きをしてしまうことによって車の運転手に余計な気を使わせてしまうのも嫌ということです。どうすれば流れを損なわないか?ということについて、いつも脳をフル回転させながら歩いています。
また、交通量のない交差点で赤信号を待つ行為も時々いやなことがあります。赤信号を待っているときに、自分の後ろからもう一人の歩行者が来た場合、「こいつが赤信号を待っているから自分が無視しづらくなっちゃうじゃん」と思われかねないのです。それが嫌なので、後ろから歩行者の気配を感じ取ったときは、何かを思い出したふりをして角を曲がるなどすることがあります。そうすることで、赤信号を待つか無視するかという意思決定がその歩行者の人だけのものになるのです。もちろんこれは挙動不審な行為なので、その行為自体が周囲に変な気を遣わせる可能性も十分あります。
もう少し深刻な例では、夜道を歩いていて、細くて長い道で知らない女の人と二人きりになってしまった場合があります。これが一番嫌です。道を歩いている女性にとっては、後ろを歩く男性が無辜の一般人なのか、ストーカーや性犯罪者なのか、という区別はつきません。したがって、存在しているだけで潜在的な恐怖心を与える可能性があるのです。一番安心するのは「追い抜いた後」なのですが、追い抜くまでの過程で与える恐怖感が非常に大きいのでよっぽどの時じゃないとつかうことはできません。かといって、足を止めたり、急に引き返したりするのもそれはそれで恐怖感を与えるように思われます。
そこでわたしがいつもやっているのは、「次の角で曲がってくれ!」と全力で祈ることです。違う方向に行ってくれると大いに安心します。たいていの場合は祈りが通じるのですが(もしかしたら女性側の防衛戦略によるものもあるのかもしれません)、どうしてもだめな時は自分が角を曲がって遠回りします。ここまでしたことは人生で2回程度しかないのですが、それでも思いの強さとしては、普通の人よりは大きいのではないかな、と思っています。
このように、わたしは道路を通るときはなるべくこっそり通りたいのです。道路を通っているときだけ透明になれるマントとかがあればいいのですが、そんなものがあったら一瞬で自転車にひき殺されてしまいそうです。自分がこの世界に存在している限り、少なからぬ影響を与えてしまうことはあきらめるしかないのかもしれません。