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みんなはどうやって泳げるようになった?

梅雨が明けるとプールの授業が始まります。みなさまはプールの授業にいい思い出ありますでしょうか?わたしはありません。プールの授業に対しては、「何も教えてもらえなかった」という印象しかありません。散々言い古されていることかもしれませんが、夏なので改めて整理してみようと思います。

小学校の時、足し算ができるようになったのは教室の中でした。黒板の上に置いてある磁石とか、机の上に置いてあるおはじきとかを使うことで、3+5=8であることを学ぶことができました。数という概念があり、それは足したり引いたりできる、2年生になるとかけ算が出てきて、九九を覚えることになっている……だとか、そういうことはすべて順序だって教室の中で教えてもらったことだ、と覚えています。

一方、プールの授業はどうだったかというと、わたしの属していた学校の授業内容は、生徒たちをとりあえず水の中に放り込み、先生が笛を吹いたら一斉に泳ぎ始める、という内容でした。周囲の人々は、はじめからプログラムがインストールされていたのか?と思うほどスムーズに泳いでいきました。わたしは水に対する恐怖心が強く、なぜ浮かぶのかすらもよくわかっていなかったので、「壁面をけって前に進む」という行為は死と直結しているものでした。何のレクチャーもなく、何でこんなことをさせるんだ?といまだに思います。大人になってからじわじわと腹が立ってきています。

これは、算数で例えるとしたら、算数の第一回の授業で、いきなり一桁の足し算が50問書かれているプリントを配って、先生が笛を吹いたら一斉に解き始めるようなものだと思います。もちろん、水泳の授業においても本来は何かしらのレクチャーがあり、わたしが不真面目で聞いてなかっただけ、という可能性もあります。それでも、他の授業では聞き漏らしたことによる救済措置がある(黒板の文字を見る、演習時間に入った後先生にこっそり聞く、など)にもかかわらず、水泳の授業では一切ないというのはなかなか酷なのでは?という気がします。

わたしは自分は人生で一度だけ泳げるようになった時期がありました。それは父による猛特訓のおかげでした。土日の朝にプールに連行されて、そこで訓練を受けたというわけです。そのときにわたしは人生で初めて「ビート板」という存在を知りました。父からの教えは極めてシンプルで、「ビート板を持っている限り、沈むことはない。そして足をバタバタさせていれば、必ず前に進める」というものでした。「沈むことはない」という教え、これはもはや「おまじない」と言ってもいいと思うのですが、これが極めて効果的でした。ビート板と父のおまじないのおかげで、ビート板ありで25メートルプールを泳ぎ切ったときは大きく感動したことを覚えています。その後父から息継ぎのやり方とか、クロールのやり方などを教わったことで、最終的には25メートルプールをビート板なしでも泳ぎ切ることができたのです。ちなみに、なぜかその副産物で短距離走がちょっと速くなりました。

父に対しては感謝しかないのですが、その反面、「ほかの人はどうしてたんだ!?」というのが気になって仕方ありません。なぜなら、学校ではこんな教育プログラムが組まれていなかった……としか思えないからです。わたしのいる学校ではビート板を使ったことはありませんでした。息継ぎの仕方も、クロールの方法も、何もかも学校で言及された覚えがないのです。なぜか他のみんなは、すでにすべて出来ている状態でプールにいたのです。

これはおそらく、スイミングスクールの存在が大きいのではないか?と思っています。周囲の生徒たちは、スイミングスクールに通っている子が多かったことを覚えています。実際みんなどうなんだろう?と疑問に思ったので、Twitterでアンケートを取ってみました。サンプル数は少ないのであんまり参考になりませんが、以下のような結果でした。スイミングスクールで泳ぎを覚えている人が最大派閥で、泳げる人のうちの実に半数以上がスイミングスクールで泳ぎを覚えている、という結果になりました。

しょうがない面はあるのかもしれませんが、「義務教育で、スイミングスクールに通っていることをあてにするのはダメでは??」とどうしても思ってしまいます。国語算数理科社会などは、ちゃんと教科書があって、それに沿った授業があって、順番にやっていけば少なくとも学校のテストではちゃんとした点を取れるように設計されていたと思います。水泳の授業をはじめとする体育の授業では、全般的に技術的なことは何も教えてもらえず、ただ場を与えられて放り出されるだけだと思っています。小学校の先生などは全科目教えないといけないので、こうするしかない面があるのだとは思います。ですが、会社生活でこれに近いことをやったらパワハラになると思います。本当にこれでいいのでしょうか?

また、わたしは、先述の父の特訓のおかげで小3の時に泳げるようになったのですが、小5で完全にやり方を忘れ、また泳げなくなってしまいました。水泳の授業は1年に1シーズンしかないので、次の季節が来る時にはもう何も覚えていない、という問題もあると思っています。スイミングスクール組は年中通っている(ですよね?)ため、その点でも有利だな、と思っています。学校の水泳だけでは、習ったことを覚えておくのすらも難しいのでは?と思ってなりません。

と言いつつも、上のアンケート結果を見ると、「学校で習ったことで泳げるようになった」と言っている人が少なくない数存在しているので、実際のところわたしが先生の話をちゃんと聞いていなかったことで泳げなかった、というだけの話なのかもしれません。(また、やり方を忘れたというのは単に自業自得です)いずれにしても、教育のことはこれまで何も勉強してきてなくて、あまり語る資格がない気がするので、愚痴はこの辺にしておきます。

最後に余談ですが、映画などのシーンで水中に落ちたりするシーンが出てくると、「こういうときに水泳の授業まじめにやってないと死ぬな」と言う人がいますけど、絶対役に立たなくないですか?個人的には逆に、水泳の授業によって「泳げる」という成功体験を中途半端に持っている方が、川とかため池に不用意に近づいて、おぼれてしまうリスクがあると思うんですけどね……。泳げない人の方が、泳ぐことへの恐怖心から泳がざるを得ない状況に近寄ろうとしないので、かえって溺れないのではないかという気がしています。

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