
小梅太夫と力み
エンタの神様に出ていたお笑い芸人の中で誰が一番好きだったか?という問いに対しては、答えに迷います。アンジャッシュ、トータルテンボス、東京03、いつもここから……どの芸人さんもそれぞれ面白く、一つに定めることはとても難しいです。ですが、「どの芸人で一番笑ったか?」という問いに対する答えは、わたしの場合はっきりしています。それは小梅太夫です。嘘とかネタとか逆張りではなく、本当にそうです。今から考えると不思議でならないのですが(失礼)、わたしは小梅太夫の初登場の時に、天地がひっくり返るほど笑ってしまいました。
小梅太夫のネタの構成をしっかり覚えている方がどれくらいいるかなのですが、登場シーンでは、扇子で顔を隠していて、荘厳なBGMとともに現れます。エンタ芸人は割とBGMをバックに何かする人が多かった印象があり、「こういうBGMとともになんかするリズム芸の人なのかな?」と思わせる登場の仕方でした。ここでBGMがパタッと止まり、「チャンチャカチャンチャン」と唄い始めるのです。わたしはまさかのアカペラであることに大ウケしてしまい、この時点で大いに笑い転げていました。そして、最後の「チクショー!」の部分、テロップのフォントも相まってだとは思うのですが、脳髄を突き破るほどに面白く、CMに入ってもずっと笑い転げていたのを覚えています。途中から、自分がこれで笑っている、CMに入ってもずっと笑っているという事実の方が面白くなってしまい、笑いの種類が変わってしまった感もありますが、笑いすぎて呼吸器がおかしくなりそうになったことが後にも先にもこれだけで、本当凄まじく笑ったことを覚えています。
小梅太夫は人気だった(過去形にしていいのか微妙ですがあくまで当時、ということで)ため、その後しばらくの間、毎週出てくるようになりました。その一方で、一週目以降、わたしが小梅太夫のネタに笑い転げることはなくなりました。一発目のインパクトを超えなかった、というのが理由の一つですが、最大の理由は「力み」にあるのではないか、と思っています。
高校のときに、わたしは現代文の授業で指名され、「武者小路実篤」と答える場面がありました。落ち着いた声で、やたらといい声で発音することができて、そのあまり先生が「今の武者小路実篤があまりにも良かったからもう一度言ってくれ」とお願いしてくることになりました。もう一度発音したところ、やはり同じ感じにはならず、教室が微妙な雰囲気になってしまいました。うまくいかなかった原因は、意識してしまったからです。「武者小路実篤をいい声で発音した」という成功体験が脳にこびりつき、それが発音するわたしに変な「力み」を作り出してしまったのです。そして、この「力み」は聞く側にとっても同じく発生していました。さっきの「良い」「武者小路実篤」を今度は聞き漏らすまい、として耳を立ててしっかりと聞きます。武者小路実篤が来るぞ、武者小路実篤が来るぞ、と思いながら聞く武者小路実篤が、期待を超えることは難しいのです。
小梅太夫のチクショーも同じだったのだと思います。2回目以降に出演した小梅太夫は、明らかにチクショーの言い方、チクショー時の顔で笑いを取りに行こうとしていました。わたしは小梅太夫のチクショーに、変な「力み」を感じるようになってしまったのです。おそらく番組プロデューサーの意向で、「チクショーに力を入れろ」という方針になったのだと思います。2週目以降の小梅太夫のステージからは、チクショーに力を入れねばならないという強迫観念が、舞台の上から伝わってくるようでした。チクショーの発声のコンマ数秒前から感じる緊張感、チクショーの顔芸のインフレ感、そのインフレ感を心の底で感じずにいられないことに起因する焦り、などなど、様々なものをその「力み」から感じ取ってしまい、純粋な気持ちで楽しめなくなってしまいました。
力みが出てくるのは、演者側だけではなく見る側も同じです。「チクショー」が来る前に、「チクショーが来るぞ、チクショーが来るぞ」と身構えてしまうようになります。わたしの場合、最初に見たチクショーで転げまわって笑ったことが鮮烈に記憶に残っているため、ハードルが特に高くなってしまっていました。おそらく初回の録画をもう一度見たとしても、転げまわって笑うことはもうないでしょう。
上記のことを考えると、ものまね芸人の人たちはすごいな、と思います。ものまね芸人のネタは、エンタ芸人などのネタと違って、観客が見たいと思っているものがあらかじめ定まっているという性質があるように思います。武藤敬司の格好で現れた神無月を見て観客が望むものは一つです。これが見たい、という要望に対してカチッとハマっているものを提供し、それで笑いを生むというのは並大抵のことではないように思います。何度見ても面白い名人芸と、何回か見ると「1回目は何であんなに面白かったんだろう……」となる芸の何が違うのかはわかりません。何となく思っているのは、後者の芸については狙ってできるようなものではあまりなく、演者側と観客側の両方の偶然によって成し遂げられる、一種の奇跡なのではないか、ということです。奇跡をもう一度起こそうとすると、演じる側も見る側も、変なところの力が入ってしまい、うまくいかない、ということなのかもしれません。
十数年がたち、コウメ太夫は今やチクショーのプロフェッショナルとなり、新たな文化を生み出すほどに至っています。継続するにつれて、名人芸の領域に近づいているのかもしれません。継続するにつれて、観客はコウメ太夫の「チクショー」を心待ちにするようになります。そして、継続するにつれて、コウメ太夫にとっても、チクショーが習慣に変わり、そこに一切の「力み」も発生しない領域にたどり着き、純粋で、洗練された「チクショー」を繰り出すことができるようになるのです。
ミルキ~ウェイかと思ったら~、
— コウメ太夫 (@dayukoume) July 7, 2021
織姫?織姫?織姫?織姫?織姫?織姫?織姫?どした~。
チクショー!! #まいにちチクショー
……力まなさすぎるのも、いいのかわかりませんね……。