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雪山の記憶2023

2023年2月に、友人たちと雪山に行きましてスキーをしました。本稿はその記録を残すものであり、来年記憶がなくなっても今年のセーブデータを活用するためのものです。

今年の記録をする前にこれまでの雪山歴について書きます。大学生のときに一度同学のみなさんとスノボをしたのが最初の雪山です。

怪我なく終わることができたのですが、ロクにやり方がわからない状態でやったので、
①とりあえずリフトに乗る(今思うとよく乗れたな)
②斜面から自由落下する
③危ないと思ったら転ぶ
というものでした。雪小屋で飲んだ紅茶花伝が尋常じゃないくらい美味しかったこと以外は特に覚えていないです。

2回目が昨年度で、これが初スキーでした。はちゃめちゃに豪雪の日にぶち当たってしまい、柔らかい雪の上を滑る日でした。全くコントロールが効かず、転んでは雪の中に埋まり、雪溜まりから出るのに体力を消耗して苦しんでいました。また、おそらく体幹が弱々だったので、普通は曲がらない方向に曲がってしまう不思議現象も起こりました。

そして今年です。今年は快晴で、逆に日差しが厳しいくらいのコンディションでした。雪が非常に硬いもので、止まりやすい状態でした。これが自分にとってはかなり良かったと思います。転んだとしても雪溜まりに埋まることがなく、這い出るための体力を使わなくて済んだのがありがたかったです。二日間滑ったのですが、最終日にはなんと一度も転ばないまま1日を終えることができました。数週間前の自分に言ったら絶対に信じないであろうことが起こりました。非常にいい経験をしたと思っています。

以下に、今年気づいたことをまとめます。

足元に気を取られすぎてはいけない

数々のアドバイスをいただいたのですが、一番効いたのは「雪面を見ないくらいの気持ちで滑るべし」というものでした。わたしは注射される時に必ず針の先をガン見する性質があります。それはどうなっているか分からないと怖いからです。見えないところで事態が進展しているよりも、針が刺されているという状態が目に見えている方が安心するのです。この精神構造がスキーのときにも出てしまっていました。滑っているときに足元がどうなっているかや雪面がどうボコボコになっているかが気になってしまい、つい下を見てしまうのです。この下を見てしまうという行為によって姿勢が崩れてしまい、事態が悪化、それを見てさらに怖くなってしまい正しい姿勢を放棄、そして転ぶ、というスパイラルになっていました。前を見て正しい姿勢を取るのが、止まるために最も安全な方法である、ということを、何回かの成功体験を通じて身体で覚えることができたのが幸運でした。

これは人生に似ているなと思いました。恐怖心が人の行動に与える影響の大きさはすさまじいものです。恐怖心ゆえに自分の行動がおかしくなってしまい、その結果抱えていた恐怖通りの展開になってしまう、というのはよくあることです。たとえば、「皿を落としたらどうしよう」と思いながら運んでいると皿を落として割るイメージだけが脳内を支配し、手汗が出て、その手汗によって皿が滑って落ちてしまうようなことがあります。フラれたらどうしようと思ってオドオドしまくっていたらそのオドオドっぷりに引かれて結果フラれてしまうとかいうこともあります。恐怖にはある種の自己実現力にようなものがあって、スキーにおいてはその自己実現力が敵になるのだと思いました。それと立ち向かうという点において、メンタルと勇気を鍛えるいいスポーツだと思います。

ヤバいと思っても客観的にはそうでもない

足元に気を取られてはいけないものと似ている、恐怖に関する概念ですが、初心者の感じる「ヤバい」という感覚は案外アテにならないものだと思いました。

滑っているとものすごいスピードが出ているように感じます。緩斜面を滑っていましたが、途中時速60kmくらい出てるんじゃないか?くらいの感覚になりました。しかし、実際その様子を撮影してもらったものをあとで見てみると時速10kmも出てないんじゃないかと思うくらいの超低スピードでした。自分ではすごく恐ろしいことになっているのではないかと思っても、実際全くそんなことはなかった、ということがわかったのです。

また、曲がるときには片方の足を軸とするのですが、雪に取られてしまって軸とならない方の足が浮いてしまう事態になりました。「ああっ!?これはまずいのでは!?」と思い、浮いた足を慌てて元に戻そうとした結果、体重が軸足じゃない方にかかってしまい、結果転倒する、というようなことも起こりました。あとで話を聞いてみると、軸足さえちゃんとしていれば、極端な話反対の足は浮いていても何も問題がないということでした。初心者ゆえの「造られた恐怖」に引き摺り込まれて、失敗に陥ってしまったのです。

これも人生に似ているなと思いました。恐怖のうちの何割かは無知に由来するものです。「人間は知らないものを恐れる」という言葉がありますが、その親戚のような概念として、「知らないことが多いと本当は恐るべきでないものを恐れてしまう」というものもあると思います。経験者による客観的な視点の重要性を感じることができました。

勇気には成功体験が必要だし成功体験には勇気が必要

スピードをもっと出すかどうかや、転ばずに自分を信じて耐えることができるかどうかには勇気が必要です。そして、その勇気には「こうしていれば安全なはず」と信じる力が必要です。信じる力のもっとも強い根拠になるのは成功体験です。なので、勇気を出すためには成功体験が必要です。

一方で、成功体験を得るためには、一度は自分を信じて勇気を出さなければいけません。先述した通り、恐怖心は自分の体をあっという間に飲み込んでしまうからです。段階的にギアを上げて少しずつ成功体験を積むことにはなりますが、それでも最初の成功体験にはやはりひとつまみの勇気が必要です。

これもまた人生に似ていると思います。もう例えはいいですよね。

このように、スキーは本当にメンタルのスポーツで、人生に大事なことをいくつも気付かせてくれるものだと思います。いい経験をしたなと思います。

今後の課題

狙った場所に止まれない

複数人数で参加すると、隊列を組んで山から降りていくことになるのですが、他の皆さんはずらりと一列に並んで止まることができています。自分の場合、そういうコントロールができなくて、なんかちょっと変な位置にしか止まれない状態になってしまいます。また、止まり方もうまく制御できていないので、たまたま止まったところがちょっと下り坂気味のところだと、ストックを使って握力で必死に止まるみたいな感じになってしまう場面も多かったです。次回はもうちょっと狙った場所に狙った形で止まれるようになるといいんだろうなと思っています。

結局重心というものがよくわかっていない

わたしは卓球部に所属していたのですが、①ボールに回転をかける②体重移動するという二つの概念が全く理解できず、何もできない中高生活でした。この二つができないと卓球はマジで何もできないです。スキーにおいても体重移動という概念が重要とされているようなのですが、結局これがなんなのか、というところは掴めないまま終わりました。なんとなく、力をどうこめるかとか、足をどう開くかとか、そういう細々とした感覚的なものの集合体でおっかなびっくり自然とできているっぽい感じにはなったのですが、結局自分の重心がどこにあって、それをどこにどう乗っけていくのか、ということはあまり理解できないままだったと思っています。体がどこか歪んでいて、芯がない人間なのでそうなっちゃうという要素もあるのですが、ここが克服できると見えてくる世界が違うんだろうなと思います。

そろそろ怪我をしそう

今年はある程度の成功体験を積むことができたので、来年油断しそうな気がしています。恐怖心がほどけたときにこそ本当の事故が起こります。リフトを止めるか足を折るか何かを破損するかのどれかをやってしまいそうな気がします。次回があったらより気を引き締めていきたいところです。

以上、次年度も参加できるかはわかりませんが、この成功体験と警戒心を忘れずに、また取り組んでいきたいなと思います。

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