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百合の間に挟まりたいと思う「女」をどう見るか

百合——女性同士の恋愛を愛する者の多くから忌み嫌われる概念として、「間に入りたがる男」というのがあります。この概念は、百合愛好家の結束を高めるために用意された共通の仮想敵のように思われます。イデオロギー的に、自由にこけおろしてよい存在というか、ネタ的な扱いですらあるかと思います。そんな敵の概念ですが、これを敵視する理由は、意外と人によるのではないかという気がしています。今回は、その敵視する理由を少し深く考えるために、思考実験として、「百合の間に挟まりたいと思う女」について考えてみようと思います。この女を許すか許さないかは、意見が分かれるのではないか?と想像しています。

女性性を重視する場合

「百合の間に挟まりたいと思う女」について、「女か!ヨシ!通れ!」と考えるタイプの人がいるとしたら、その人は何を重視する人でしょうか?こういう人は、「女性であれば、間に挟まっても百合の世界が崩れることはない」という考えの持ち主ということになります。したがって、想像と偏見を含んでしまうのですが、こうした人々はおそらく「女性性」を重視し、信仰の対象としている人ではないかな?と思います。このタイプの方は、「男性」の存在を一種の「穢れ」として扱い、女性だけの世界に神聖なものを感じているタイプだと思われます。実際、男性として生きていても、男性の性欲の汚らしさに対して嫌気がさすことは少なくありません。百合の世界にハマっている人の中には、そういったものから解き放たれた世界を見たい、という人が少なくないように思います。そういう人の場合は、間に挟まりたいということを言った人でも、「それを言ったのが女であればまあいいか」と思うのではないでしょうか。

とくに、「間に挟まりたい男」の持つ代表的な考えとして、「俺が男の良さを教えてやる」という傲岸不遜の極みのものがあります。百合が好きな人間にとっては、このような「異性愛は常に同性愛に優越する」と無批判に信じて疑わないタイプの人間を大きく嫌う傾向にあります。こういった考えに対する憎しみが特に強い人にとっては、女が間に挟まりたいと言っていることへの怒りは小さいのではないか、と思います。同性愛であるという点で、関係性が対等だからです。

2人の関係性を重視する場合

ここからは「許さない」派の考え方になります。許さない派の考えの一つとして、「そもそも、愛し合う二人の恋路の邪魔をするべきではない」というものがあると思います。男であろうが女であろうが、二人の間で完成している世界を壊すべきではない、という理念に基づくものです。

この感覚を持つ人は、同一作品の中に出ているキャラクターが介入することも好まない傾向にあるような気がします。「けいおん!」で例えると、澪と律のカプが好きな場合、唯や紬や梓が間に入ってくることもあまり好きではない、ということです。二人の世界に興味があり、この二人だからこその関係性が見たい、という考えを強く持っている人にとっては、たとえ女であっても、間に挟まることは許されないことです。

世界の区切れを重視する場合

女であっても間に入ることを許さない派の考えとして、もう一つ紹介したいと思います。それは、次元の壁というか、世界の壁に関わるものです。

夢小説という概念があります。これは、推しが自分自身のことを愛してくれる、という妄想の世界を指しています。推しが自分の名前を呼び、自分のことを理解し、自分の言って欲しいことを言ってくれる世界です。世界の区切れ目を重視するタイプの人は、こういう夢的な没入の仕方が苦手な人であるように思います。「推しが自分のことを認識しているはずがない」もしくは「推しには自分のことを認識してほしくない」という考えです。こうした考えの持ち主の場合、作品としての閉じた世界を重視する傾向にあるように思います。「けいおん!」で例えると、澪と律のカプが好きな場合でも、そこに唯や紬や梓が介入してくることを良しとする、ということです。もちろん、この考えの持ち主であっても、作品ごとに推しているカプによって介入してもいいと考える度合いは異なると思います。ですが、その世界の外にいる「読者」の介入はどんな時であっても許さないという点では共通したスタンスを持っているのではないか?と思います。

わたしはまさにこの考え方を持っているタイプです。ソシャゲや恋愛シミュレーションゲームなどで、観測者であるプレイヤーのことを無条件に愛してくるようなタイプのコンテンツに没入できない傾向があります。好意を向けられたとしても、「お前にわたしの何がわかるんだ」と思ってしまうからです。一方で、作中の人物に対する恋心が描かれている場合、その感情はその世界に閉じているため、紛れもなく本物であると確信できます。

したがって、女のプレイヤーが、「間に挟まりたい」といった場合も、「間に挟まったとして、2人から愛される保証がどこにあるの?」と思います。男であろうが女であろうが、世界を飛び越えて彼女たちの世界に入ろうとすること自体に疑いの目を向けてしまう、ということです。もともと妄想の世界なので、そんなことを考えるのが無粋であることはわかっています。それでも、心の底からそれを信じることができず、つい冷めた目で見てしまうのです。

最後に

実際、百合豚の皆さんの多くは、上記の3つの考え方どれか一つというわけではなく、それぞれがブレンドされた感情を持っていて、それを以って百合を愛しているように思います。また、百合について長文で語ること自体が禁忌と見る向きもあるので、これ以上は深く立ち入らないようにしたいと思います。

そうは言っても、「百合の間に挟まりたい女」について考えることは、自分が何を許せて、何を許せないのかを考える一つの材料になるのではないかと思います。もし上記以外の考えをお持ちの方がいれば、ぜひコメントをお寄せいただければ幸いに思います。

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