十年前のわたしへ
今の家に越してきてちょうど十年である。掃除はたまにしているけれども、ひょっとしたら十年間ずっとあるホコリがあるかもしれない。わたしは部屋の隅っこにある年季の入っていそうなホコリをひとつかみして、ふっと息を吹いた。ホコリがぶわっと空中に舞う。蛍光灯の光に照らされてキラキラするホコリの向こうに、見覚えのある男の姿があった。これは十年前の自分である。わたしはまるで古いスノードームを見るように、ホコリの渦の中にいる若い日の自分をしばらく見つめてしまった。
十年前のわたしは大学生である。この大学生は様々な呪いによってがんじがらめで生きているような存在であった。「勉強・サークル・バイト・恋愛のうち、同時に打ち込めるものは2つまでである」という迷信を信じ切っていた。わたしは勉強とサークルを選んだ。そのためバイトをせず、親からもらっているお小遣いで生活していた。金額はあえて書かないが、多くはなかった。毎日学食の180円のカレーを食べ、ウォータークーラーの水を飲んで生きた。隣の席に座っている女がスターバックスのコーヒーを飲んでいるのを見て、「バイトに打ち込んでいるとお金があるねえ」と思っていた。実際バイトに行かなくてもスターバックスでコーヒーを買うお金はあったはずだった。ゲーセンでbeatmania IIDXをしなければ。十年前のわたしはこのようにあえて貧しい暮らしをしていた。この時は自分がお酒に弱いと勘違いしていたので飲み会にもほぼ行かなかった。映画を見たりだとか、アニメを見たりだとか、マンガを買ったりだとかそういうこともしなかった。ただネットミームによる聞き齧りで話に乗っかったり、二次創作のSSを読み耽って話の全体像を掴むなどしていた。そんな時間があるなら本編を見ればよかったのに。夜に見る動画も無料のものばかりであった。“This video has been deleted.”に絶望するくらいなら、好みのものを買えばよかったのに。今思えばこれも「学生はお金がない」という言葉からの派生の呪いを受けていたような気がする。とにかく、適正なことにお金を使わないことで、文化的にかなりの貧困状態だったように思う。せっかく東京の大学に通っているというのに。あんなに時間があったのに。
十年前のわたしは勉強がとにかく好きだった。打ち込んでいたと言っていいと思う。しかし、それでも上を見ればきりがなかった。サークルの同期にいた教職課程を目指す女は、授業のほとんどを5限目まで埋め尽くしていたが、わたしはそれほど貪欲に授業を履修していたわけではなかった。また、「自己流」というものを信じていなかったから、授業で教えられたこと以上のことを勉強しようという気持ちにならなかった。さらにいえば、わたしの勉強は大学生のものとはいえなかった。知的好奇心というのは消費と生産の二つある。授業で得られるものは「消費」だが、研究の道に進むには「生産」をしなければならない。わたしは消費が大好きだったが、生産をできる自信はなかった。少人数の授業で「議論をしましょう」と教授がいってくるタイプの授業はあまりとらなかった。「議論」という言葉が怖かったからだ。今でもまだちょっと怖い。勉強は好きだったが、それを活かすことができるビジョンがまるで見えなかった。こんなことしていていいのかなと思いながら時間だけが過ぎていった。
十年前のわたしはサークル活動も好きだった。しかしそれでいてなんとも中途半端であった。わたしは尺八を演奏するサークルに所属していた。サークル内ではそれなりにうまいポジションを得ていたが、これを学外で戦わせる度胸はなかった。正確には誘いを受けて学外向けの演奏をしたこともあったのだけども、その後打ち上げに行って人脈を広げるだとかそういうことはしなかった。仲良くなれる自信がなかったというのもそうだが、それ以上に飲み会でバカ騒ぎする人間たちを見下していたから、という方が大きいかもしれない。とにかく、井の中の蛙状態で、大海があると知りながら知ろうとしなかった。腕前的には多少渡り合えたかもしれないのに。面白い出会いがあったかもしれないのに。
十年前のわたしはとにかく不安だった。社会というものが自分を受け入れるはずがないと思っていた。これは勉強、サークルにおいて何も特筆すべき自負がなかったからである。「消費」のような勉強だけして、社会において何の役に立つというのか。井の中の蛙のようなサークル活動をして、社会においてなんの役に立つのか。そのビジョンがまるで見えなかった。それでいて、それをどうにかしようという気持ちを持てるほど、また、どうにかできると思うほど、自信のある男ではなかった。
十年前のわたしは社会を舐めていた。先の不安は、今になって思えばある種の選民思想に裏打ちされた不安である。わたしは高校の時に運よくちょっとした奨学金を得たことがある。そのときに奨学金の元締めである老人から、「この奨学金は返してくれなくてもいい。社会に還元してほしい。」という旨のことを言われた。これが呪いのようにこびりついている。非常に生意気で最悪な考えであることは承知の上なのだけども、「自分にこれほどの教育資源が割かれているのだからそれを還元しなければならない」という気持ちが強くあった。なので、わたしは自分自身に与えられた能力を、その辺の資本家が肥えるために使うのではなく、何らかの社会のために使わねばならないという義務感のようなものがあった。今思えば、あらゆる会社の事業は、社会の役に立っているからお金をもらえているわけなので、そんなもんはどこの会社に入っても実現できることなのだが、そのことに気づくのに随分と時間がかかってしまった。
十年前のわたしはこの後待ち受けていることを知らない。わたしの精神状態はこの2年後~4年後にひどいことになる。わたしは社会を舐めていた。がんばっていれば、自分の選民思想を満たすことができる職に、なんだかんだでつくことができるだろうと思っていたのである。そんなことはなかった。努力は正しい形でしなければ全然裏切るのである。世の中向いていないことはある。中高時代の部活動(卓球部)で知ったそんな当たり前のことを、自分が人生で大事にしていることに対して受け入れるのには相当な時間がかかってしまった。
ホコリが間もなく地面に落ちてしまう。そんなとき、十年前のわたしと目が合ったような気がした。何かもの言いたげな目でわたしを見ている気がする。彼は十年後のわたしを見てもわたしだとは思わないだろう。なぜなら、十年前のわたしは鏡を全く見ないから。たまに鏡を見るたびに「自分はこんな顔だったっけな」と思う男である。村上春樹の『鏡』を読んで、「人はひげを剃るときに鏡を見るのか……」と思う男である。そんな男に今のわたしから声をかけたとして、知らない男でしかないだろう。彼はわたしの言葉をどう受け止めるのだろうか。
十年前のわたしに声が届くとしたら、なんと言いたいだろうか。後悔はたくさんある。もったいないと思うこともたくさんある。でも、「今のお前はダメだ」とは言いたくない。こう言うとますます自信を失って人生に絶望してしまうだろうから。「お前は大丈夫だ」とも言いたくない。これを言ってしまうとますます人生を舐めてしまうだろうから。そのどちらでもあってどちらでもない、絶妙なバランスによって今のわたしがある。叶わなかったことは多いけれども、それでもわたしは運がよかったと思う。わたしの夢は叶い過ぎなくて正解だった。夢がもし全て叶っていたら、もっと人生を舐めていたし、もっと人生に絶望していただろう。今の自分が最適ではないかもしれないけども、最悪だとも思わない。これからひどい目に遭う彼がかわいそうではあるけども、これでいいはずだ。
わたしは無言でもう一度ふっと息を吹きかけて、ホコリを吹き飛ばした。十年前のわたしの姿は見えなくなった。現実の、まもなく30歳になろうという男が子供部屋に残されている。
「30歳になるまで童貞を貫くと魔法使いになれる」というのはわたしが高校生のころから信じてきた迷信である。「お前は魔法が使えるようになるよ」くらいなら言ってもよかったかもしれない。まあでも、それは今じゃなくていいだろう。これから使えるようになる魔法で、いつでも彼に会えるような気がするから。