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語彙力増強作戦会議(第2回)

みなさまは語彙力に自信がありますか?前回の記事で語彙力について書きました。今回はその続きを書きます。前回は、語彙力を高める方法についてわたしなりの考えを書いてみましたが、今回は一転して、嘆きです。語彙力を上げるの難しくない?もうこんなの無理だよ、という話になります。

前回のおさらい

前回の記事では、言葉を4象限に分類して、それぞれについて考えてみました。

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知らなくてかつ使えない言葉は、自分の世界を広げることで副次的に得ることを狙う、知ってるけど使えない言葉は、本をたくさん読んだり丁寧に読んだりすることによって、知っていてかつ使える言葉にすることを目指そう、というのが前回の内容でした。本稿では、残りの、「使えるけど知らない言葉」というちょっと変な概念と、この4グループに微妙に当てはまらない、ある恐ろしい概念について考えてみます。

使えているけど知らない言葉

使えているけれど知らない言葉とはどういうものでしょうか?おそらく色々あると思うのですが、「なんとなく使えてしまっている言葉」を題材に考えてみます。具体的には、周囲が使っているから自分も何となくで使っていて、かつ使えてしまっているが、本当のところ意味はよくわからない、という言葉です。例として、「アジェンダ」「エモい」などがあります。

「アジェンダ」というのは日本語で言うと「議事次第」または「議題」になると思うのですが、「議題」とも「議事次第」とも、いずれとも微妙に違う言葉です。ですが、どう微妙に違うのか、説明できる人は多くありません。そして、どう微妙に違うのかを説明することができなくても、パワーポイントの打合せ資料で1~2枚目に「アジェンダ」と書くことができるのです。使えているから別にいいじゃんという話ではあるのですが、意味を分からずに言葉がつかえている状態というのは、解決の難しい危うさを秘めていると思っています。

たとえば、上司からの指示で、「資料にアジェンダを入れておいて」と言われた場合、部下は「ああ、パワーポイントの資料で表紙の次に入るアレね」ということで入れようとします。「アジェンダ」という言葉に対して、なんとなくの共通認識が生まれているので、部下はおそらく、上司の指示を達成することができるでしょう。

一方で、たとえば、上司からの指示で、「資料の表紙にエモい写真を入れておいて」と言われた場合どうでしょうか?この場合、部下は「ああ、IKEAのサメが駅のホームのベンチに忘れられてる写真ね」ということで写真を入れ、上司のイメージしていた、「メイドカフェの店員がタバコを吸っている写真」ではない、といった悲劇が生まれる可能性があります。これは極端な例で、こんな指示を出す上司は懲戒ものですが、このように、何となくで乗っかっている言葉は、話し手と受け手で違う受け取り方をされて、認識の齟齬を産むケースがあるのです。これを防ぐためには、話し手と受け手の両方が、その言葉の指し示す正しい概念を理解し、使う必要があります。

この問題の厄介なところは、国語辞典を読んで正しい意味を理解すれば完全に解決するというわけではないところです。相手が間違っていれば、間違って伝わってしまうのです。もし、マナー的に目上の人への「了解です」が正解であっても、相手がそれを失礼だと思ったら失礼になってしまう……ということに似た、構造的問題があります。仮に自分も相手も、言葉の意味を国語辞典的に正しく理解していたとしても、言葉の指し示す領域が広ければ、勘違いが生まれてしまう可能性があります。「アジェンダ」の例で言うと、話し手は「議題」だと思っていて、聞き手は「議事次第」だと思っていることによる認識のずれは十分に起こりえる話です。

これについては、正直解決する方法があるとは思えません。そういうものだ、と思うしかないように思います。「この言葉にはこういうニュアンスがある」とか、そういったことをすべて知ったうえで言葉を使うのは至難の業です。解釈のブレを許さないように法律の文章を書く人などは、このあたりの訓練を積んだ、語彙力の怪物の一人なのだと思っています。

なお、文学作品や芸術作品の作り手は、逆にそこを楽しんでいるような節があります。音楽の世界の話ですが、ミスチルの桜井さんは、「聞いている人に星空を思い浮かべてほしいけど、星座を限定したくない」という話をしたそうです。解釈の幅をもたせつつも、伝えたいことはしっかりと伝えていく……ということもまた、語彙力の怪物のなせる技の一つなのだと思います。

見ているのに目に入ってこない言葉

語彙力についての考えを終える前に、もう一つの概念について考えてみます。冒頭で述べました4つの象限に含まれているような、いないような、中間の概念として、「見ているのに目に入ってこない言葉」というのを挙げたいと思います。語彙力を高めるうえで、最大の難敵はこれだと思っています。具体的には、読めないとか、書けないとか、それを超越して、認識することを自体をサボってしまう言葉を指します。

レポートのための課題図書を必死で読んだり、朝の足りない時間の中で新聞を必死で読んだり、忙しい中仕事のメールを読んだり、文章を読む人間は、たいがい忙しいです。こういった過程の中で、人間は自分に必要な情報だけをピックアップすることで、脳を効率的に使おうとするように思います。そんな時、文章中でちょっと理解できない言葉に遭遇した時に、どうするでしょうか?あるときは、勝手に推測で「まあこういう意味なんだろうな」と思って、ろくに調べもせず文脈の中から理解しようとします。またあるときは、「よくわからないな、こんな分かりにくい言葉を使うやつの文章は読む価値がない」として、文章自体を脳に取り込むことを放棄します。またあるときは、わからない言葉を脳に取り込もうとすること自体をサボって、文章自体を無意識のうちになかったことにします。

本を読んだり、ネットニュースを見たり、Twitterのタイムラインを眺めたり、現代人は数多くの時間を活字を読むのに割いています。それでも、語彙力が増えない~と嘆き悲しむことになるのは(※嘆いてなかったら、勝手に一緒にしてすみません)、知らない言葉を勝手に読み飛ばしていることが原因なのではないか、と最近よく思います。まるで、映画を1.5倍速で見てストーリーだけを追うかのように、文章の中から、自分の読みたい部分だけを勝手に切り取って読み、理解できるものだけを理解している節があります。

この「サボり」によって失っているものは、局面によってさまざまだと思います。自分の良く使う言葉を、知らない用法で使っている文章を読み飛ばしてしまうのであれば、「使えているが知らない言葉(Bゾーン)」を知る機会を無意識のうちに失っています。同様に、「知っているが使うことがない言葉(Cゾーン)」「知らないし使えもしない言葉(Dゾーン)」との出会いも失っています。一番恐ろしいのは、自分の全く知らない世界との出会いの機会を失ってしまうことです。認識をサボることで、自分の世界がどんどん狭くなってしまう、ということを考えると、せっかく文章を読んでいるのに、なんともったいないことか、これが、「老化」ということか……と思ってしまいます。

上述の無意識のサボりをやめる方法についての処方箋はわたしにはありません……。あれば教えてほしいです。文章を読む時の姿勢というか、新しい物事に接する時の姿勢を改めることによって、サボりの確率を減らすこと以外に方法はないのかもしれません。

めざせ語彙力マスター

以上、2回にわたって語彙力について考えてみました。いかがでしたでしょうか?本稿では長々と語った挙句、結果何らの処方箋もなく、ただ「むずかしいよね~」ということで終わってしまって無念なのですが、「難しい!」ということを意識することが、語彙力増強の第一歩であると思っています。まさに「無知の知」です。(使い方あっているのか不安ですが)

語彙力をつける方法については、わたしが書いた方法以外にももっとたくさん存在していると思います。そんな手法をご存じの方がいらっしゃれば、ぜひ共有していただければうれしく思います。語彙力の怪物になるという崇高な目標に向けて、一緒にがんばりましょう!めざせ語彙力マスター!

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