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納得できなくても理解って言いたい

この世界は難しいことまみれで、理解できないものがたくさんあります。そして、自分が理解できていると思うものも濃淡がさまざまです。

理解を辞書で引くと、以下のように出てきます。

1 物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。「―が早い」
2 他人の気持ちや立場を察すること。「彼の苦境を―する」
(goo辞書より)

内容をのみこむことに関しては、そののみこみ度合いによっても状況が変わってきます。たとえば、なぜ飛行機が飛ぶのか、その物理学上の法則を理解していなくても、「飛行機は飛ぶ」ということを理解していれば安心して飛行機に乗れます。理由がわからなくても、「これは正しい」ということで受け止めておくこともまた理解の一つの形です。

気持ちや立場を察することについても、察した後の気持ちによってはこれに「理解」という名前を付けたくないな、と思うことがあります。たとえば、「なぜこの国は戦争をはじめたのか」とかも、その国にとっての合理的な理由があれば、事実として理解することはできますが、自分の持っている道徳観とか倫理観によって到底納得のできないこともあります。

このように「理由はわからないけどわかる」こととか、「納得はできないけど理由はわかる」ことなんかがすべて「理解」という1語になってしまうのが厳しいな、と思います。雪氷の中で暮らしているイヌイットの人々には「白」を表す言葉が何十個もあるとよく言われますが、「理解」という言葉は意味のブレが大きいのに1語しかないのは不便だと思います。具体的にどこで分ければいいかはわからないですが。

「理解」の訳語として、英語にはunderstandとcomprehendという2語があります。違いを調べると、以下のような記述を見つけました。

「分かる、理解する」を意味する英単語としてすぐに思い浮かぶのが、“understand”。言葉の意味や人が言ったことなどを理解したり、物事や出来事が起こる経緯や理由、その重要性などを理解し、その結果、それを知識として有していることを表す言葉です。
言語や言葉の意味、人の言うことを理解する、という状況で使われることが多いです。
(中略)
“comprehend” も「分かる、理解する」を意味する単語です。理解する過程や努力に重点が置かれ、フォーマルな印象を与える改まった表現です。
事実や考え、道理(理屈)などを十分に理解している状態を意味しますが、一般に否定文で使われる傾向にあります。
(GabaStyleより)

……よくわからん!

なんとなく、知識として持っているのがunderstandで、全てを十分に理解している状態がcomprehendという感じがします。たとえるなら、飛行機が飛ぶということを知っているのがunderstandで、飛行機が飛ぶ原理を完全に理解しているのがcomprehendという感じがします。そう考えると、全てを完全に理解している状態というのはほとんどないので、「"comprehend"は否定文で使われることが多い」というのも納得がいきます。

「ものごとの道理が分かる」という意味での「理解」は2つに分割できる文化圏があることはわかりましたが、「相手の立場が分かる」という意味での言葉は、分けることができるのでしょうか?自分の持つ道徳観や倫理観からは到底納得できないけれど、そういう考え方を持つ人間がいるということはわかる、という言葉があるといいのにな、と思います。争いごとがあるときには、こういう意味での「理解」が重要な気がするからです。もちろん、争いごとを最終的に解決できるのは法だったり暴力だったり権力だったりといったラインナップしかありません。ですが、それよりもっと手前の、それらを持ち出すほどでもないもめごとに直面した時には、「そういう人もいるかぁ~」という、浅めの理解が大事になってくる場面もあると思っています。

そもそも、他人の気持ちを完璧に理解する(="comprehend")ことはできっこないので、「察する」以上の意味合いとして「理解する」を使うことはできないのかもしれません。ただ、「理解する」と言ったときに、差も納得しているかのようなニュアンスが残ってしまうのは何とも歯がゆいなあと思うのです。「お前を許すことはできないがお前の気持ちは理解できる」と言える世界であってほしいし、そう言ったときに「許してはない」ということが伝わる世界でもあってほしいなと思います。わたしは人を許してばっかりなのであんまり使い道はないんですけどね。

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