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一人で生活し始めました

一人暮らしを始めました。長年両親と同居しており、やってみたいなと思ってはいたのですがなかなか踏ん切りがつきませんでした。物件を探すのは大変だし、これといった口実もないからです。そんなある日、会社が独身若年層向けの期限付きアパートを公開したことを知り、申し込みました。一人暮らしをしたいと打ち明けた時家族はびっくりしていましたが、歓迎してくれました。そして実家を出ることになったのです。

理由

一人暮らしすることにした理由は、生活力がないということにコンプレックスを持っていたからです。わたしには常識がないのです。実家にいても生活力を高めることができるというのはそれはそうなのですが、キッチンの食材をどの程度勝手に使っていいのかわからないとか、わたしが包丁を持っていると周囲の人がビビるだとか、そういう理由で実家ではなかなか手出しできなかったのです。実家で家事を手伝わない奴は仮に結婚しても手伝わないのではないか?という自分に対する疑念はあります。ただ、やったら迷惑をかけるかも、と自信が全くない状態よりは幾分かマシになると信じています。

あとは、「パラサイトシングル」という概念に対する不安が大きかった、というのもあります。シングルの方はすぐにはどうにもならないから、せめてパラサイトをやめよう、という発想です。ちゃんと親の面倒を見るということもそれはそれで大事なので、都合のいいタイミングで家を出てんじゃねえよという自責の念もあります。これを感じるにはまだ親が若すぎるかもしれませんが。

この一人暮らしは必需というより贅沢です。職場にも難なく通えるし、実家にいた方が出費は遥かに抑えられます。その点において、これは修行のための一人暮らしという感じなのです。

洗濯

洗濯機という文明は偉大で、決められた量の液体を入れて、ボタンを押すだけでだいたいなんとかやってくれるからすごいです。洗濯物を干すのは吐血するほどめんどくさいですが、やらないわけにはいかないのでなんとかやれています。

こないだ間違えて槽洗浄を始めてしまって、10時間くらい止まらない騒音に耐える羽目になりました。そういう失敗で人は育つ……

あとは、まだあんまり難しいものを洗っていないのでその辺でいつか手痛い失敗をするんじゃないかという予感はあります。撤退はしない。

掃除

実家暮らし時代の自室はひどい有様で、床にものが散らばり、脱ぎ散らかした服で足に踏み場がなく、一歩歩くとコウモリの死体を踏んでしまうような感じだったのですが、まだそうなっていません。

これは、「自分がこの空間の責任者である」という意識によるものが大きいと思っています。自分しかいないので、ゴミを拾うのも捨てるのも全部自分で、それによる便益を受けるのも自分だということです。ただ、この理屈が成り立つなら実家の自室でも同じことになるはずなので、単純に「まだきれいだからこれを維持したい」という気持ちの影響の方が大きそうです。

これがいつまで維持できるかが、この生活の成否を決めると言っても過言ではありません。生活に成功も失敗もないんですけど、散らかしてしまったらやっぱり失敗という感じはします。誰と約束したわけでもないですが。

掃除機は買ってないのですが、クイックルワイパーがあります。もし床をきれいにするのを半年維持できたら、ご褒美にルンバを買ってもいいかなという気がしています。ルンバのために床をきれいにするという力学も働きそうです。

自炊

思った以上に面白いなと思っています。できなかったものができるようになる過程は面白いです。そして何より「ああああ違う違う」と言ってくる人が周りにいない環境であるというのもデカいです。善意で言われていることはわかっているのですが、誰にも見られていないところでやることによって、恥なしで失敗から学ぶことができるのは大きいです。

また、この世界のものはかなり成功に寄せるように設計されているんだな、ということを感じます。テフロン加工のフライパンとか、三徳包丁とか、そういった科学技術は素人でも失敗の確率を減らしてくれるようにちゃんと設計されているな、と思います。また、今の時代は簡単に動画で検索できるので、「たけのこの水煮ってどう切ればいいんだ??」となったときもすぐに初心者向けのページのアクセスできるようになっています。本当に入門者にやさしい世界だと思っています。

自炊をする前は「皿洗いとかめんどくさいんだろうな」と思っていたのですが、そちらは今のところ意外とそうでもないなと思っています。それよりもめんどくさいのが、「献立を考える」ことだなと思いました。この世界には「あれが食べたい!」というプラスの料理と、「明日の昼飯をどうしよう」というマイナスを0にする料理の2種類あります。後者が爆裂にめんどくさいと感じています。冷蔵庫の中身をきれいに処分しようとすると、同じような傾向のものが連続してしまいます。それでいて新たなジャンルのものを買い出しするとなると面倒だし、買い物の荷物量も増大します。栄養バランスなんかも考えないといけません。プラスのモチベでやる分にはいいのですが、「間を埋めるため」の食事の用意がこんなにめんどくさいものだとは、ということを痛感しております。「今日の晩御飯なにがいい?」「なんでもいい」への怒りはこれか!ということに一人暮らし1週間でたどり着きました。残り物を使って何ができるか計画してやりくりするのはパズルゲームみたいな面白さもあるだろうと思いますが、めんどくささの方が上ですし、仮にその内容で文句でも言われようものなら「なんだァ?じゃあてめえがやんのか?おぉん?」ってなるだろう、ということがよくわかった気がします。スーパーの真ん中で立ちすくむ経験が人類には必要なのかもしれません。一人なのでなんでもいいは本当になんでもいいのですが、なんでもいいの責任を自分一人が負わなければいけないことによって、なんでもいいの罪を感じています。

自由と孤独

誰にも相談せずに遠出できるし、どんなに夜遅く外出してもいいし、いろいろと自分の好きなタイミングでできることの心地よさは正直あります。孤独に対する不安や悲しみがあるかと思ったのですが、仕事でムカつくくらいコミュニケーションを取る羽目になっているので、まだそれはそんなに感じていません。

ただ、一人暮らし開始して3日後にめちゃめちゃ巨大なホームシック感情が出てきたのも事実としてありました。別件で一回実家に帰ったことでそれは完全に治まったのですが、その話もいずれどこかで書けたらいいなと思っています。

所感

今はテンションが高いのでなんとかなっていますが、この今のところうまくいっている状態は永遠ではないと感じています。そのうち全てに飽きて全てがめんどくさくなってきるときが来そうですが、そこからが本当の戦いだと思います。そのときにはまた長文のnoteが書かれるか、泣きながら実家に戻るかのどちらかになるでしょう。なるべくこのテンションのまま駆け抜けて、習慣になるまでにしたいところですが果たして……数ヶ月後に乞うご期待です。

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