感覚の共有

実は言葉じゃなくて
感覚の共有を欲している

「言葉で言ってくれなきゃわからない!」は
鈍った感覚に頼れない時の叫びじゃなかろか


言葉のが意思疎通できるような気がするので
一生懸命言葉にするけれど
実は全然、そんなの
手からサラサラ流れて落ちる砂のようで
全然

だって
「あの時、ああ言ったじゃないか」
「え?そんなこと言ってませんよ」
は、意地悪じゃなくても
全然ある
加工可能で持った人のカタチ(記憶)が優先される


で、実は
感覚の方が共有された時は強固だ
感覚なんて感覚なんで
掴めもしないし見えもしないし
それこそ個人的感覚だろう、と思うのだけれど
一致した時
一致というか共有された時
そこに誰もいないような感覚に、それこそならないだろうか

アメーバみたいに
つながった感覚

そして何度も言うけど
その感覚は見えもしないのに
共有した時にハッキリわかるという不思議

言葉にしたわけじゃなのに
あの時たしかにつながった


これ、大した話じゃないなw


忖度とは全然違うんですよ
空気を読むとも違うでしょ

突然
器同士が消えるような
そんな感覚


大事にするべきはその感覚の方
そしてその感覚を共有できる体験
ですね〜


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