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(連載1)東京のキラキラ80年代:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1980年代前半
前回は、初回だったので、緊張して、なんか、口上のような感じになってしまいました。
今回からいよいよ、私の半生を少しずつご紹介していこうと思います。
〜〜〜〜〜〜はじまり、はじまり〜〜〜〜
カ ン カ ン カ ン カン!カン!カン!カン!カン!。。。。。。
(拍子木の音)
しゅるしゅるしゅるしゅる。。。。(カーテンの上がる音)
時代は80年代前半であります!!
場所はトーキョー!!
そうです!
80年代トーキョー と言えば、。。。。。。
「バブル」!!!!!!
(始まりから、びっくりマークが多すぎる?)
ともかくいい意味でも、悪い意味でも、「表面は」キラキラしていた時代でした。
私はその時、「スタイリスト」という仕事をしておりました。
これまた、なんかキラキラ系のお仕事。(表面的には)
テレビ、舞台、広告、雑誌などで、モデルさんやタレントさんなどの衣装を用意するという職業。
広い意味でいえば、スタイリストという仕事は、都市の中をぐるぐると動き回り,いろいろな人に出会い、いろいろな情報を得て、いろいろな物に接して、その瞬間の「旬」のものを自分の判断で選び、編集し直してゆくような、そんな仕事です。
当時は、情報を得る方法が、今と違ってネットでリサーチなんてのがありませんでしたから、当然、直接行ってみる、やってみる、という事がメインのアクションでありました。
なので直接的に躍動する都市を横断する時の、ダイナミックな空気感を肌で感じる事ができる。。。。
あらゆる場所:ストリートからホテルのバーまで。低価格の住宅から建築家の家まで。
あらゆる人々:赤ちゃんから老人まで。農業や肉体労働従事者からカタカナ職業まで。演歌が好きな大衆から、洋楽指向のスノッブな人々まで。
あらゆる衣服:スーパーの服からデザイナー・ブランドの服。一点物から大量生産される服。古着から消費されてゆく服まで。
今、今、今の文化のすべてを吸い込んで、自分の体内で消化し、呼吸のように、吐き出す。そんな一瞬、一瞬が勝負の仕事でもありました。
まるで生物のような都市の呼吸に合わせて、自分自身も呼吸していく。
私は組織などには、入ってなく、個人的なマネージャーはいましたが、基本的には、ソロで、フリーランスで、やっておりました。
ともかく、お仕事があるだけでも、有難い、、、と、基本、頂いた仕事は、全部100% やっておりました。
ま〜〜〜〜〜、皆様の想像を超えた、ありとあらゆる仕事をやりましたよ。
テレビの歌番組から、音楽だと、アイドルから、確かお相撲さんの演歌のレコジャケもやった。
雑誌だと、業界雑誌から週刊誌。「痩せて見える着こなし」のアドバイズから、犬の首輪のコーディネイトから、料理の先生のエプロンのスタイリング。
広告は、車からお菓子からタバコから旅行代理店から。。。もう、これはきりなくて、思い出せないです。
例えば、、、、と、やってたことを片っ端からお見せしたいのですが、今と違って、携帯電話もない時代だったので、カメラを持って歩くという事など、余程、準備してない限り、ほとんどありませんでした。
ですから、当時の仕事の写真などは、全く残ってないですが、
ちょっと段ボールの底を、ひっくり返して探してみたら、、、、
あ、こんなのがありましたよ。
例えば、。。。。ですね。このような当時のアイドルの服。
名前は忘れましたが、これも、アイドルっぽいですね。
これは石野真子ちゃん。雑誌かなあ?
「美容と経営」っていう雑誌の表紙は、レギュラーでやってました。
そして、大塚製薬の広告。
サンディー&ザ・サンセッツのサンディ(ファンだったので嬉しかった)
当時の六本木?ディスコのポスター(この方はモデルかな?)似てるけどジュリーではないです。
これをみてもおわかりだと思いますが、この幅の広さ!
やってなかったのは、オサレ系のファッション雑誌くらいでした。笑
ともかく、当時お仕事を下さった方々、
本当にこの場を借りて、厚くお礼申し上げます!!!
そんなこんなで、これだけ色々な仕事を頂いたというのは、私に才能があったというよりも、バブルにむけて、景気が上向きな時代だったってのも、あったと思いますよ。
ともかく、やってもやっても、仕事があるんです。。。
一つ終わったかと思ったら、また次の仕事。。。また次、また次。
私は来る仕事は、絶対に断らない!と決めていたので、当然、どんどん仕事が増える。
増えても、増えても、もっと増やそうと、頑張る!!
そうしてるうちに、仕事の量がパンパン膨れ上がってきて、
もう、寝てもさめても、仕事オンリーの生活。
つまり、まー 寝てる時間なんて、ないわけです。
当時は恵比寿に住んでいたのですが、仕事は渋谷、六本木、代官山、赤坂などなど都内グルグルと原付のバイクで走り回り、
家に戻って、ドアをバタンと開けて、斜めがけバッグはそのまま、
ドアの裏側で、そのまま仮眠。
30分後にまたムクっと起き上がって、出かける。。。。
なんて、日常茶飯事です。実話ですよ。
こういうのが、続くと、どのくらい眠らないで仕事ができるか?
などど、くだらないチャレンジをしてみたり。。。。苦笑
答え:最高、48時間でした。完徹2日コンプリート!
忙しくて、食事などはもちろん外食。ランチは移動中のタクシーの中か、立ち食いそば。夜は打ち合わせも兼ねた、ディナー兼飲み会。
家でもコーヒーなどを入れてる時間などないので、近くの喫茶店(当時はスタバとかなかったですからね)からのデリバリー。
私でさえ、こんな感じなので、周りもすごいわけです。
ともかく、多忙な人だらけ。みんな、分刻みで移動してる人ばかり。
なので、打ち合わせなどは、夜中の1時からなんていうのもありました。
私自身、打ち合わせの直前しかその段取りをする時間がないので、その直前の移動中がすべて。移動中にアイデアを考える。
ラッシュ・アワーなどは、タクシーではなく、あえて電車で移動して、仕事のプランを考える。
出版社に行く電車の中でスケッチブックを広げてデザイン画を描いた記憶もあります。
ともかく、今から考えたら、よぉーーーく、体がもったな〜と思うんですが。。。。
そうです。
。。。。もたなかったんです。
当たり前ですがねー。
心も体もボロボロになりましたよ〜〜。涙
ともかく、一旦、すべてをストップして、そして考えました。
ともかく仕事の量を減らさんと、ヤバい。。。
自分で作ったブラックな仕事環境で、自ら過労死するかァーーーー?
そんなん聞いた事ないわァ!
それって自殺行為やん。。。。。どうにかせんと!
冒頭にも申しましたが、都市の生動に合わせて、自分自身もエネルギーをコントロールして、常に燃やし続けなければなりません。
しかし、私の場合。。。。膨大なエネルギーがありすぎて、あまりにフル回転しすぎて、酸欠になった。。。。
ボヤの煙が、おそらく出ていたのに。。。
そのエネルギーにガソリンを注ぎまくって、しかも馬鹿でかい打ち上げを何度もぶち込んで、
遂には、焼け野原になったのでした。。。。
つまり、自分のエネルギーで燃え尽きた。。。。トホホ。
それで、しばらく、休養したあと、やり方を変えようと決心しました。
レギュラーだったテレビ番組や雑誌の仕事はすべてやめました。
スピーディにこなさなくてはならない既成服のコーディネイトのお仕事よりも、もっとゆっくり時間の取れる「つくりもの」のお仕事だけやっていこうと。。。
できれば、デザインもできるような。。。と、決めました。
例えばですね。。。その頃の写真も、探してみました。
こんな風に絵を描いて、気に入ってもらったら、形にしてゆく。。。
これは、「少年隊」っていう、アイドルがいて、スケッチ出しましたが、確かポシャったと思います。苦笑
そういや、先ほどは「少女隊」でしたね?苦笑
あとは、宮沢章夫さんが作った「ラディカル・ガジベリンバ・システム」というパフォーマンスで、衣装をやらせていただきました。衣装は、ほとんど全部、オリジナルで作ったと思います。確か場所は原宿のラフォーレ。音楽は、のちにシブヤ系の音楽シーンを作った井出靖君でした。あと、いとうせいこうさんとか、竹中直人さんもこれに出演してました。
また、新宿の伊勢丹のディスプレイの仕事は、既成服のコーディネイトは別のスタイリストにやってもらって、アート・ディレクターのような事をさせていただいたので、大変充実してて、面白かったです。
これは実際の大きなの服を人形の服に見立てたもの。セットも自分で作りました。
もちろん、そんな仕事だけにしていたら、、急に仕事が減りました。
当たり前ですが。。。。
でも、おかげで、ちゃんとした、人並みの生活が戻り、「ものづくり」って本当に楽しいなあーと、実感できるようになりました。
とさ。。。。。
ハッピーエンド、ちゃん!ちゃん!
ん??????
では、ありませんよっ!!
にゃにおぉーっ?
あの、、、、連載、まだ一回目ですよ。冷汗
まだ、終わるのは早いです。
これで終わったら、いくらなんでも、カネ返せ〜〜!!ですよね?
あ、貰ってなかったんだった!!笑
ともかく、このハッピーエンドがですね、私の。。。。。
。。。。。。。。本当の人生の始まり。。。。。。
でもあったんですよ。
まあ、どんなハッピーエンドのお話でも、
実は、「その後」があるのですねー。
私のハッピーエンドは、エンディングのマークの横に
「終わり」と出なくて、よく見ると、小さく「続く」となっておったのです!!
それを、当時は気がつきませんで、「あ〜よかったわ〜〜」心も体も元気になって!!などど、ノンキに過ごしておりました。
しかし。。。。。その後。。。。。
私の人生を大きく変えた人物が現れたんです。
その人の名前は。。。。 じゃじゃ〜〜〜〜〜〜ん!
((((((( 月ノ夜ロヲザ )))))))
さて、次回は、彼女との出会いから、お話します。
では。
L*
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