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(連載34)ファッション・ショーで服装史に挑戦:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1998年

今回は自分の作品の事を追ってみようと思います。

年齢を意識した事なかったけど、この頃は、もう40歳になってたんで、けっこう「シリアスな、お年頃」でありましたー。

って、アンタ? 他人事みたいにーっ?!

ホナ、30代はシリアスじゃないんか? 冗談かい? 

(はい。私にしたら、ある意味で。。。汗)

「年齢からのプレッシャー・ゼロ」のアメリカ生活。それも10年近くになると、もう自分の人生から年齢の数字が消えますね。。。(今でも、笑。)

当時、日本からロサンゼルスに来る人から、よく

「ルンナさんて、いくつですかぁ〜?」

と、尋ねられましたが、その度にまず、「え〜っと、、、今年、何年ですかね〜?」から逆算して、(それも忘れとるわ。苦笑)、、、西暦と日本の暦の計算、もともと数字が苦手な上に、平成と昭和の最後が同じなど、もう、ごちゃごちゃになってきて。。。。えっと、えっと。。。。

結果、考えるのが面倒になって、

「ハタチですぅ〜!」

なんて、今から考えたら、信じられないようなレベルの低いジョークで済ませていたのでした。別に「若く見られたい」とかも、思ってもなかったのに。。

あ、今回は年齢についてじゃなくて、作品についてでありました。

表面的な流れを追うと、1995年に、ヘッドドレスのファッション・ショーをやって、来てくれた人に、実際にその場で作品を買ってもらうというマネタイズ計画には、完全に失敗。。。(連載30)

その後は、グループ展にいくつか参加して、2年くらい経過してました。

その間は、便利屋稼業のフリーターをして生活。今は「ギグ・ワーク」とかいうらしいですね? カッコいい言葉になってよかったです。笑 

まあ、「アーティストは食えなくて当たり前」と思えば、なんの問題もないような気がして。。。続けてれば、いつか、どうにかなるだろう。くらいのノリ。。。。

で、作品についてですが、ちょっと前の、これ。。。

サンタモニカ美術館のグループ展の作品、覚えてらっしゃいますかね? 

これですが。。。(連載31)

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この縦長で上から吊るして、中に身体が入るというスタイル。

家を引っ越して、リビングの天井が高くなったので、このタイプが、家でも作れるわ、と、気がつき。。。。

そして、ふと思いついたのが、テーマを「服装の歴史」にして、このスタイルで、一着ずつを時代衣装にしたら、どうかな?と。。。。つまり、。。。

今につながる系譜のファッションという概念が作ったのはマリー・アントワネット(ルンナの勝手な考察)彼女はわざと田舎っぽい服を着たりしてたので。。。そんな時代から現代までの(この時点では90年代)それぞれの時代のトレンディなシルエットを、同じ素材でこのスタイルで作ってみたらどうか?と。

そして、それを吊るしたまま、着れるようにして(つまり、中にはいれるように)しかも、そのまま歩けたら面白くな〜〜い??

((((( わお! ))))) 


もう、コレを想像しただけで、身震い!!したんですよ。

 この時点で、ひえ〜!!

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なんか、深い!

(なぜ、深いと感じるのかは、わからない)

もしかして、アタシって。。。。

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(なぜ、そうかんじるのか、わからない)

ふつふつと、なんか、

ものすごく正しい事をしようとしている感覚!!


私の中では、もうこの時点で、作品は完成したも同然でした!!!!!

ここまでいけば、もう、後は、作業のみです。

昔の時代衣装の服のパターンをリサーチしたり、それを筒状にアレンジして、着れるように工夫したり。

思いついてから形になるまで、1年くらいかかったわけですが、血みどろでやったわけでもなく、仕事もしながら、だったし。でも、実際できてみて、全部と吊るしてみたら、結構な大きさの作品になった。12着ですからね。

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解説いたしますと、一番右がマリー・アントワネットの時代です。

それからナポレオンの時代のエンパイア・スタイル。

次がビクトリアンのバッスルのシルエットとなり。。。。と。

1920年のフラッパーや、戦争の時代のミリタリー、60年のミニ・スカートを経て。。。。

左に行くほど、時代がだんだん新しくなっていき、一番左が90代の若者のヤングカジュアルのシルエットです!!

200年の服のシルエットの変遷でありま〜す!

そして、この服たちのお披露目の形式は、もちろん、

ざっ・ファッション・ショー!!!


ショーのタイトルは

 スプリングand サマー・コレクション 

 1770ー1998年 

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普通、ファッション・ショーのタイトルというのは、『春夏コレクション 1998−1999』という風に数字が続いているのですが、私のは、それが200年も離れているというオチ。。。

(そんなん。。。。ファッション・オタクしかわからんわ!)

で、

今回も、音楽、モデル、着付けなどの裏方さん、全部ボランティアで、やってくれました。あっという間に参加したい人が集まってくれて、本当にアメリカは、こういう時のスピード感がすごい!!本当に、ありがたいです。この場を借りて、お礼を申し上げます!!!ありがとう!涙

会場も、ダウンタウンのノンプロフィットのアートセンターのロフトでやったので、スペースにもお金は、いっさいかかりませんでした。

以下、これがその時のものです。 

ランウェイは、天井にワイヤーを2本貼って、それにすべる滑車にひっかけドレスを吊るしました。

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人もたくさん来てくれて、好評で、終わったら、みんなからグレイト!グレイト!の連発で。。。。わーい。大成功!!

しかし、

もうこの頃になったら、こういうアメリカ人の褒め言葉は、軽いノリだというのが、わかってきてたので、本気で「自分はグレイト!」だと思うのは、やめとこうと思った。。。

その証拠に、このイベントが終わっても、雑誌などにリビューが載ることもなく、ギャラリーから、うちのアーティストになりませんか?と誘いがあるわけでもなく、

まったく何の話題にもなりませんでした。。。。

今のようにSNSもない頃だったので、見せる機会もこのイベントの日だけで、終わり。。。終わった後は、服はダンボールに入れて、ガレージに。。。

そして、また、何もなかったような

いつもの日常にもどり、たんたんと何ヶ月か過ぎて行きました。

一方、この頃、たまにアートスクールの先生からゲスト・スピーカーとしてお声がかかる事があったんです。でも、レクチャーなんていう、そんな大それたものじゃなく、10人くらいの学生さんの前で、自分の作品のスライドを見せて、それについて話す。それだけなので、英語力もそんなにいらず、しかも、お金ももらえるので、いつも誘いにはオッケーしてたんですよ。

そんな関係で知り合った、カル・アーツというアートの学校の先生がいて、彼女の旦那さんが、イギリス人で、私の作品を見て、ロンドンでグループ展があるので、参加しませんか?というお話を持ってきてくれたんです!

そのグループ展というのは。。。。、

場所が、なんと!!!

ヘイワード・ギャラリーだったのでした!!

これですよ。

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美術館なみの大きさ!めちゃでかい!!

展覧会のタイトルも

アドレッシング・ザ・センチュリー

アートとファッションの100年 


 これは記念に額縁にいれて、家に飾っていあるものですが、

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開催中はロンドンの地下鉄はこのポスターだらけ!

この展覧会は、直訳すると「この1世紀を位置付ける:アートとファッションの100年」わかりやすく言えば、アートとファッションの接点からこの100年をとらえてみようというものすごいハイエンド?なものでした。

なので、昔のアーティストも含まれていて、たとえば、バウハウスのオスカー・シュレンマー(このポスターになってる服)です。

他には、マン・レイ、スキャパレリ、ダリ、草間弥生、ソニア・ドローネ、クリスト、オッペンハイム、ピエール・カルダン、パコ・ラバンヌなどなどなど。美術家が作った服から、ファッション・デザイナーが作ったアート的な服まで、いろいろです。

。。。。え? そこに、こ、こ、この私? 

だいぶ、場違いな気が。(さっきまでのあの強気はどこに?)

。。。。そして。。。

私の展示の場所はあの、イッセイ・ミヤケ様の隣ですよ??

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もう、おそれいります、、、わたしなんかが隣で。。。って。

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そして、オープニング・パーティーの後は、招待客だけのファンシーなディナー!!テムズ川を望むレストランで、こちらのお隣はあの、、、

国際的な建築家のザハ・ハディット女史!!

(日本でも国立競技場コンペで問題になったことがある)

こんなんとか

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こんなんとか、作った人!

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もう亡くなりましたが、才能の塊みたいな女性!!

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なぜ、彼女が私の隣になってたのか、今もって、わかりませんけど。

ディナー・パーティには、彼女クラスのセレブも、わんさかいたでありましょう。しかし、私には、誰も、ほとんど、わからん。。。苦笑

皆様、10年前の棚ボタを覚えてらっしゃいますか?(連載5〜6)

ニューヨークのFITで、私のゴリ押しで奇跡が起き、イギリスの国立であるビクトリア・アルバート・ミュージアムの展覧会に参加させてもらい、しかも、作品を買いとってもらって、永久保存になったって事件!!

あの時もそうだったのですが、もう予測もなく突然にふってわいたような状況に、まったく、自分に何が起こっているのか、キャパ超えてるかんじ。

古いコンピュータにサイズの大きいものをいれようとした時、あのレインボーマークがクルクルクルってず〜〜と回ってるような。。。。

すべてに、現実感がなくて、ひらひらひら。。。

いつの間にか、今ここに、長いこと夢だった 何もかもが叶っとるやん?

天国のような時間が過ぎてゆく、、、。

私は、心のシャンペンを、自分のために抜いた。

スっぽーん!

そして、それをゆっくりと、注ぎ、口に運んだ!!!


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こんなスケールのでかい展覧会に参加できた、この現実を受け入れよう!!

おめでとう!!

自分で自分に拍手!!


はやり、続けていると、こうやって、10年に一回くらいは、棚ボタも起きて、だんだんと、認めてもらえるようになるんだ。。。。。

うるうるうる。。。。

やっと報われたね〜〜〜。よかったね!!これで一気にブレイク!!

アメリカにもどり、空港のタラップを降りたらアート批評家、新聞などのミディア取材がぞくぞく。アート・コレクター達が、「価格は、そちらで書いていいからね〜〜!」と、小切手を高く振り上げながら、手をふっている。

そして、もう、家の電話がなりやまない!!


なんて・・・・


まったく、なかったです。

あ〜れーーーーーっ???


あの、ロンドンのパーテー、テムズ川の見えるところで、ザハが隣のディナーは、私の妄想?

ロサンゼルス空港に戻ってきても、何もいませんよ。。。

しーーーーーん。

そうでした。これが現実ですよ。。。

忘れとったわ。


そして、また例の生活のための仕事の続きが、まっとりました、、、。

そんな人生さ。

それも悪くないさ!


だって、やりたい事が続けられるだけで、ラッキーだもん!!

今まで、ずっ〜と毎回読んでくださった読者の皆様も(いたらの話ですが)

「これからも、ルンナさん、頑張れ!」って応援してくださるでしょう。

ありがとうございます!

これからも、アタシ! がんばりますんで!!

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そんな明るい未来を、希望の目で見つめる生きる

40代!!!なのであった。


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これで、この教育系の本(どこが?)は、しめくくられて終わり。。。。

そして、本を閉じようとした瞬間!!


〜〜〜ちょっと、待ぁ〜ったぁーーーーーーー!!


おっとぉーーーー???

(急に謎のサムライ・キャラ登場!)


そこの、40代の姉さんよー。

人生とはな〜!そんなシナリオ通りにいくもんじゃ、ねえんだぜぃ。

 は?  アンタ、誰???

サムライ:俺は、人の運命を、変える使者よ!

????

使者って、なんかふつう、羽が生えてて、空から降りてくるんじゃあ?

あなたみたいに、ワラジじゃないですけど〜? 

それに、あなた、足の爪が伸びてるし!!


サムライ:それは、しばらく巣篭もりで、家にいたせいじゃ。。

そんな細かいところは、どうでもいいのよ〜。

運命の使者というものはナー、

西洋東洋などという文化圏を超えて、いきなり現れる存在なのじゃ〜。

ワシには、羽は生えとらんが、立派な鼻毛がはえとる〜〜!!


そして、このサムライ使者の言う通り、この次の年。

1999年。

私が生まれてきて、思ってもみない、とんでもない方向へ。。。

人生の大転換!!が起きたのでした!!

次回は遡って、それに至る経緯から、お話しいたします。

でわっ!!

L*



































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